静寂が支配する森の中をただ黙って歩き続ける。 一面ガラス張りでは木々の揺れる音すらしない。果てしなく喧騒から遠い空間だ。 「……」 神田が止まった。 少し後ろを歩いていたスピカも神田の隣に並ぶ。 「あら、泉?」 「ああ、ここだけガラスになってない」 目の前に現れた泉の水面は周りのガラスと同じように輝いていたが風が吹けば静かに揺れていた。 つまりはこの中に(イノセンスかどうかは別として)何かがあるのだろう。 「泉の中か……」 「……」 「……」 「……」 「……」 「あの、実は私泳げなくて……だからユウが、行ってきてくれない、かし、ら?」 申し訳ないと思っているのだろう。だんだん声が消えてきている。 その言葉に神田は深くため息をついた。 「ごめんなさい……」 しゅん、と俯くスピカに再び小さくため息をつく。そして団服の上着を脱いで押し付けた。 スピカは突然視界が黒に覆われた事に驚きながらもそれを腕に抱える。 「……火」 「え?」 「俺が出てくるまでに火起こしとけ」 「わ、わかったわ!」 少しキョトンとしてからスピカはぱっと笑顔を見せ、すぐさま燃やせそうな物を探しはじめた。 その間に神田は冷たい泉へと入水した。 春先の泉の水温はまだ身に刺さるような冷たさだ。 仮にスピカが泳げたとして、彼女をこの冷水に入れたなどばれた日にはリナリーに何を言われるかわかったものではない。それにいくら女にも容赦がないとは言え、神田も男を捨てている訳ではないため、こうなることは必然的だったのだろう。 (……光?) はっきりとしない視界に輝くモノを捉えた。 そこまで泳いでいくと光を放っていたのは小さな石。 (イノセンスか?) とりあえずその発光物を取り水面へ向かい水を蹴った。 「お帰りなさい。何か見つかった?」 水から顔を出すと水際にスピカが座っていた。 ザバッ、と泉からあがるとすぐにスピカにタオルを渡され、火の元まで連れていかれた。 「イノセンスかはわからねぇがこんな物は見つけたぜ」 「?……あ、」 神田からそれを受け取ると見覚えがあるのかスピカが声を上げた。 「何だ」 「これ、私のだわ」 「……は?」 「花の種なの。少し前にこの種類の種を下界に落としちゃって…害はないと思ったから放っておいたんだけど、まさかこんな所にあったなんて」 一人で納得するスピカに神田は眉を寄せた。 害はないどころか怪奇現象騒ぎだ。 「おい、つまり俺はてめぇの紛失物を取るためにこんな事をしたのか?」 「えぇ!本当にありがとう。私一人だったら取れなかったもの」 刺々しい言葉にそんな満面の笑みで言われてしまうと怒るに怒れない(それにスピカは謀っているわけではない) 神田は口から出かけた暴言を飲み込んでスピカから目を逸らした。 「帰るぞ」 「まだ乾いていないでしょう?」 「歩いてりゃ乾く」 ぶっきらぼうに言い放ち立ち上がる。 そしてスピカの横を通り過ぎようとした時、スピカが神田の袖を掴んだ。 「離せ」 「ダメ。風邪をひいちゃうわ。ちゃんと乾かして。ね?」 「風邪なんざひかねぇよ」 「いいから座って」 「……」 いつもと変わらない、透き通るソプラノなのにどこか逆らえない雰囲気だった。 「チッ……」 何となく負けた気がするが、スピカの目を見ていられなくなり腰を下ろす。 正面にではなく隣に座ったのは顔を見なくて良い辺り正解だと神田は思った。 「二人ともおかえり」 「ただいまコムイさん」 「……」 もともと挨拶などしない神田ではあるが、何故か不機嫌な神田にコムイは疑問符を浮かべる。 「どうだった神田君、スピカちゃんは大丈夫だったかい?」 「問題ねぇよ。こいつの攻撃は全部アクマに有効だ」 「へぇ……スピカちゃんは何でアクマと戦ったの?魔法?」 「銃よ。普段はイヤリングだけど私が必要とする時は銃に変形するの」 「ふむふむ、興味深いね。そのイヤリング見せてもらっても良いかな?」 「……これは遠慮してもらえるかしら?とても大切なものなの」 少し眉を下げた、困ったような表情で笑いやんわりと断る。 そして代わりに、と任務先で見つけてきた『落とし物』をコムイに渡した。 「これは?」 「今回の怪奇現象の原因だ。こいつが上から落としたらしい」 「(割と抜けてるよなぁ…)成る程ね。じゃあこれは借りとくよ」 青白い小石のような種を受け取る。 そしてそれを一瞥するとスピカに向き合い、今一度声をかけた。 「スピカちゃん、突然で悪いんだけど入団する気ない?」 「え?」 「今、僕らにはアクマに対抗できる人材が必要なんだ。君の力を貸してくれるとすごく助かるんだけど…ダメかな?」 コムイの突然の誘いにスピカは何度か瞬きを繰り返す。 そして少しばかりバツの悪い顔をして視線を下げた。 「……そうね、まだ下界にはいるつもりだけれど、立場上、組織に加入するのは難しいかしら」 「そう、だよね……」 肩を落とすコムイにスピカはまたしても困ったように眉を下げた。 それを見たコムイはずるい方法だとわかっていながらも続ける。 「アクマは悲劇の塊だ。スピカちゃんが力を貸してくれたら、この世界の悲しみは少なくなると思ったんだけど」 「……」 ダメなもんは仕方ないよね……と苦笑する。 その姿に神田は白々しい演技を、と呆れていたが、スピカは自責の念に駆られていた。 「えっと、……教団には所属できないけれど、アクマを破壊するだけなら力を貸せるわ」 「本当かい!?」 「えぇ、見過ごせない状況という事は重々理解しているし、アクマの魂を回収するのも目的の一つだから」 「ありがとう、ありがとうスピカちゃん!」 コムイがスピカの腕を掴んでぶんぶんと振る。 少しよろけながらスピカは口を開いた。 「利害は一致してるもの、お互い様よ」 よろしくね。 ←→ |