まだ月が別れを告げきらない早朝、地下水路に神田はいた。

「遅ぇ……」

今回の任務に行くはめになった元凶がまだ来ない。
任務に駆り出された事に対する苛立ちはないが、待たされる事には少なからずムカついてはいる。
神田が舌打ちをする度に水門の衛兵はいたたまれなくなるのだった。

「ゴメンねー遅くなっちゃった」

「ごめんなさい」

コムイとスピカが謝罪の言葉と共に薄暗い通路の奥から現れた。
それに溜め息をつきながら腕組みを解く。

「今回の資料はスピカちゃんに預けといたから移動中に読んどいてね」

「ああ」

そのスピカを見ると、昨日に増して白く見えた。
コムイから貸し出されたと思われる漆黒の団服に袖を通しているからだろう。

(白すぎだろ……)

そう思っていると、ふとスピカのディープブルーの瞳が神田に向いた。
視線が合うと、すぐにそれをそらす神田を見てコムイは面白そうに口端をあげるのだった。

「スピカちゃん、先に行っててくれるかい?」

「え?えぇ、わかったわ」

小船へと向かうスピカの背中を見てからコムイは神田に向き合った。
楽しそうな、嬉しそうな、そんな表情で。





「そういえばさっきコムイさんに何を言われたの?」

列車の中で神田に資料を渡す際にスピカが問う。
当然に気になることだろうが、神田の返事はただただ短い。

「別に」

「そう?」

それ以降は互いに何も言わず資料に目を通していた。

「(コムイの野郎、意味わかんねぇ事言いやがって……)」

神田は他事で頭がいっぱいだったが……
そう、それは先程の地下水路での事。


□□□


ニヤニヤとしながら自身を見るコムイに顔を顰る。

『………何だ』

『綺麗だよね、スピカちゃん』

『あ?』

『だからスピカちゃん』

何が言いたいんだという目で睨みつける。
しかし不機嫌なそれもコムイには無意味だ。

『神田くんさ、スピカちゃんの事、結構好きでしょ?』

『んな訳あるか』

『でも嫌いじゃないよね』

『何が言いてぇ』

『別に〜?まぁ良いや。ほらほら行ってらっしゃい』

誰が引き止めたんだと、思いながらも急かすコムイに何も言わずその場を後にした。
これ以上コムイと話すのが面倒だったのが一番の理由だ。

『嫌いだったら名前を呼ばれて君が何も言わないはずないでしょ』

クスッと笑って船を見送ったコムイを神田は知らない。


□□□


(チッ、うぜぇ……)

頭に入ってこない資料の文字を再度目で追い始めた。
今回の任務はスウェーデンのとある森に起きている怪奇現象。

「ガラスの森?」

「一見普通の森だけど奥に進むにつれて木や地面や草花がガラスになってるそうよ?」

「イノセンスと関係ありそうだな。」

そう言って神田は資料を座席に置く。
そして何気なくスピカを見ると彼女は何やら首をかしげていた。

「どうした。」

「いえ、ガラスの森なんて普通だと思っていたから……下界じゃおかしな事なのね。」

「……」

この瞬間、神田はスピカには常識が通用しないと確信した。





目的地に到着し近隣の村で村人に話を聞いてから例の森へと向かう。
そして視界に緑を捕らえるのは、数分後であった。

「ここか」

「まぁ、立派な森」

「……行くぞ」

鬱蒼とした森を前にしても緩い感想を述べるスピカに気を抜かれながらも、森へと足を踏み込み道なき道を進んだ。
途中でアクマに遭遇する事も考えたが、それも今の所はない。

「あ、ここから地面がガラスになってるわ」

「この先に何かあるって事か」

「そうみたいね」

スピカの言う通り、地面は土ではなく、まるで凍っているかのようにガラス張りになっていた。
花や木も同様にガラス造りになっており光が反射し何とも幻想的な光景を作り出す。
その上を歩くとヒールとガラスが当たる音が静かな森に響いた。

「……」

「どうしたの?」

「静かにしろ」

しばらく歩いた所で突如六幻に手をかけて警戒をはじめた神田にスピカも辺りに何かの気配を探す。

「来たぜ。アクマだ」

「あれが……?」

数十メートル先に見えた卵のような形のモノ。
おぞましい姿のそれは今まで見てきた悪魔とは似ても似つかずスピカは思わず目を丸くした。
何重にも巻かれた鎖は魂を縛り付けて離そうとしない。死んでもなお苦しみ続ける様はまるで地獄だ。

「酷い……」

下界に囚われた魂の状況を目の当たりにして出てきた感想はその一言に尽きる。
神田にはアクマに囚われた魂は見えていないためスピカの言葉の真意は理解できない。それでも眉を寄せる彼女が悲しげであることは見てとれた。

「ユウはここにいて。行ってくるわ」

「一人でか?」

「ええ。だけどダメそうだったらお願いね?」

そう言ってばさりと翼を広げて空へ飛び立った。数枚の羽が散る。
ひらひらと落ちてくるそれを一枚掴みスピカの姿を見た。

(天使か…)

昨日の事で信じていなかった訳ではないが、改めて未知の存在が未知でなくなった事にため息をついた。
そんな天使はどこからともなく二丁銃を取り出しアクマに狙いを定める。

「………」

もし彼女の攻撃がアクマに効かなかったなら、自分が出ていかなくてはならない。
もしもの為に神田は目を鋭くさせ様子を見守った。


アクマの砲弾をひらりとかわし、確実なコントロールで銃弾を命中させる。
スピカの弾を被ったアクマは不気味な音とともに派手に爆発した。

「よかった、大丈夫みたいね。魂も解放できてる……」

ちゃんと送ってあげるから、静かに眠りなさい。
そう言って華麗に空を舞いながらアクマを破壊していった。



辺りが静まり、しばらくしてからスピカは戻ってきた。

「お待たせ。さぁ、この現象の原因を探しましょう?」

無傷なのを確認し神田は息を吐いた。
肩の重荷がおりたというか、安堵のこもった息を。

(……安心?)

頭の中にそのワードが浮かび眉間を寄せる。
何で俺は安心した?

「どうしたの?具合が悪いなら休「何でもねぇ」」

黙り込む神田を心配したスピカの言葉を遮る。
昨日といい自分の様子がおかしい。
原因も何もわからないそんな己自身に苛立つ。

(くそっ)

ぐるぐると色々なものが回る感覚に歯を食いしばった。

「……行くぞ」

「え、えぇ?」

眉間にしわを寄せ、頭を押さえていた神田が突然そう言って歩き出したのにスピカは慌てて後を追う。
そしてアクマがいた方、森の中心へと二人は向かって行った。





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森はFF10のマカラーニャをイメージしていただければ良いかと。





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