結局一睡もできず筋トレに一晩を費やしてしまった朝、共同洗面所で顔を洗い部屋に戻ってきたアレンは思考をフル回転させていた。
なぜなら確かに昨夜コムイに案内された自室に知らない女性がいるから。

(あれ?ここ、僕の部屋ですよね?それとも似てるだけでこの人の部屋…?いや、でも……)

ふわりと鼻を掠るアールグレイの芳香に今一度、彼女を見る。
(多分、と言うより間違いなく)自分の部屋で早朝の優雅なティータイムを満喫しているのはやはり見知らぬ人。

「あなたがアレン君?」

「へ?あ、はい」

かちゃん、と静かに硬質な音をたてた後にそう問われ、戸惑いつつも肯定した。
自分が部屋に入ってから随分と間をおいて質問するあたり彼女はかなりマイペースなのだろう。

「良かった、ちゃんと会えたわね」

「し、失礼ですがあなたは…?」

「ああ、ゴメンなさい。私はスピカ・オーベルジュール。初めまして」

陳腐な表現だが、世界中の美を集めたような、あまりにも綺麗すぎる笑顔を向けられて思わず頬が熱くなる。
そして『スピカ』という名前に既聞感を覚え記憶を辿った。

(……あ…もしかして)

リナリーが言っていた『スピカ』という女性。
この人が天使の人なのだろうか。

「あなたが入団したって聞いて会いたいと思っていたの。だけど昨日は夜も遅かったし、日を改めようにもここって広いでしょう?だからずっとすれ違って会えないもの嫌だっだからお部屋で待たせてもらってたのよ」

「待たせてもらってたって…」

なかなかぶっ飛んだ思考の持ち主のようだ。
その一言に尽きた。

「同じホームに住んでいる人の名前と顔は早く覚えておきたいの。だから少し非常識だけど部屋に居させてもらったわ。ごめんなさい」

「いえ、構いませんけど……」

「本当?良かった」

あ、また笑顔。
本当に綺麗な人だ。天使って呼ばれるのも納得できる。

「ところでアレン君はエクソシスト?」

「はい。スピカさんは?」

「スピカで良いわ。私も一応、エクソシストよ」

「あ、僕もアレンで構いません。……あーそれで、一応っていうのは?」

「教団には仮入団しているだけなの。ちゃんとエクソシストや科学班のお手伝いはしてるけれどね」

「…どうして、仮なんですか?」

「私は機関に所属しちゃいけないから」

機関に所属できないなんて、中立の立場の人間かどこかの要人くらいだろう。
しかし黒の教団はに対するは千年伯爵。中立というのはまずない。
ということはやはりどこかの国の要人なのか。
そんな事を考えているとスピカが、あ、と言葉を発した。

「アレンはもう朝ご飯は食べたかしら?」

「まだです」

「それじゃあ一緒に行きましょう?」

アンティークの陶器の中で揺れる茜色を飲み干して、すっと立ち上がる。
窓から入る朝日がスピカの銀髪を輝かせた。

「……スピカの髪は、綺麗ですね」

「え?」

思わず、というのはまさにこの事を言うのだろう。素直で率直な思いだった。
色素の薄いそれは自分のものと同じはずなのに似ても似つかない。

「あ…いきなりすみません」

「ううん、ありがとう。アレンの髪もとても綺麗よ?サラサラで、とても優しい触り心地」

「ありがとう、ございます…」

まさか撫でられるとは思わなかった。
こんなのはいつぶりかも覚えてないけど、なんだか懐かしく感じた。

「行きましょ?ジェリーさんの料理はとっても美味しいの」

「それは楽しみです!」

そろそろ腹の虫が鳴きはじめる頃だ。
昨夜はまともに食事を取っていないし、今日はいつもより沢山食べよう。そう心に決めた。





食堂につき、厨房前のカウンターへ向かうとジェリーは早速アレンに気づいた。

「あらん!?この子は?」

「新しく入ったアレンよ」

「んまーこれはまたカワイイ子が入ったわねー!」

「どうも、はじめまして…」

ジェリーの勢いに押され気味のアレンだが、何を食べるかを問われると表情が変わった。

「グラタンとポテトとドライカレーとマーボー豆腐とビーフシチューとミートパイとカルパッチョとナシゴレンとチキンとポテトサラダとスコーンとクッパにトムランクンとライスあとデザートにマンゴープリンとみたらし団子20本で。あ、全部量は多めでお願いします」

「あんたそんなに食べんの!?」

「あはは……」

「まぁいいわ。沢山食べてくれるのは嬉しいもの!それでスピカ、あんたはどうすんの?」

「それじゃあ「何だとコラァ!!」」

スピカの声に被せて聞こえてきた怒鳴り声。
その出処は食堂の中央の方だった。

「もういっぺん言ってみやがれ!」

「おい、やめろバズ!」

バズと呼ばれた探索部隊の大柄な男が拳を震わせながら叫ぶ。
その相手は神田だ。彼は頬杖をつきながら箸を置くと口を開いた。

「うるせーな。メシ食ってる後ろでメソメソ死んだ奴らの追悼されちゃ味がマズくなんだよ」

「テメェ…それが殉職した同志に言うセリフか!!」

バズは片手を胸の前で握りしめ、涙ながらに抗議する。

「俺達、探索部隊はお前らエクソシストの下で命懸けでサポートしてやってるのに…それを…それを…っ…メシがマズくなるだとーー!!」

怒り、腕を振り上げて神田に殴り掛かった。
それを容易く避けて神田はバズの首を掴み上げる。

「サポートしてやってる、だ?」

神田は鼻で笑って、さも可笑しそうに言う。

「違ぇだろ。サポートしかできねぇんだろ。お前らはイノセンスに選ばれなかったハズレ物だ」

ざわり。
周りにいた探索部隊が騒がしくなった。

「死にたくなきゃ出ていけよ。お前ひとり分の命くらいいくらでも代わりはいる」

そう言って、もう抵抗もできないバズの首を掴む手に更に力を込める。
その時、神田の手首を赤い手が掴んだ。

「ストップ。…関係ないとこ悪いですけど、そうゆう言い方はないと思いますよ」

「……放せよモヤシ」

「(モヤ…っ!?)アレンです」

「はっ!一ヶ月でくたばらなかったら覚えてやるよ。ここじゃパタパタ死んでく奴が多いからな。こいつらみたいに」

「だから、そうゆう言い方はないでしょ」

少し手首を捻りあげると神田はバズを放した。

「早死にするぜ、お前……嫌いなタイプだ」

「ご忠告どうも」

「二人ともそこまでよ」

睨み合う二人をスピカが間に入り引き離す。

「ここは確かに追悼をする場所じゃないけれど、アレンの言う通り言い方が悪いわ」

「……」

「それに、誰もハズレなんかじゃない。人の命に代わりはないの」

「……ふん…」

スピカを見下ろしていた神田は興が逸れたと言うように視線を外した。
そしてスピカはそれに小さく息を吐いてから探索部隊に呼びかけた。

「誰か彼を医務室に運んであげて?……それから、誰が亡くなったか教えてもらえるかしら?」

スピカの言葉に数人の探索部隊がバズを連れて食堂を後にする。
そして残った者が亡くなった人物の事を教えた。

「ああ、彼が……美味しい紅茶をくれたり、とても優しい人だったのに…」

その一言にアレンははっとした。
この人は教団にいる全ての人間を覚えているのかと。
名前と顔だけでなく知っている限りの些細な事まで全てを。

「(ちょっと、いや、かなりとんでもない事ですね…)」

そう思っていると遠くから自分と神田、スピカを呼ぶ声が聞こえた。
それはリーバーで、隣にはリナリーもいる。

「10分で飯食って司令室に来てくれ!任務だ」

神田はスピカを一瞥すると食堂を去って行った。
その瞳には様々な感情が混ざっていたが、それに気づいた者はいなかった。

「帰ってきたら大聖堂で弔いをしましょうね」

そう言った彼女の笑顔には寂漠の影が掛かっていた。








- ナノ -