今日は忍たまの五年生が郊外実習から帰ってくる日。
ここ一週間は例の彼に追い回される事なく実に平和な日々を過ごせていた訳ですが、それも昼過ぎには終わります。
思わず出たため息は憂鬱そうに聞こえるかもしれませんが別に彼の事が嫌いという訳ではありません。ただどうにも度が過ぎるというか、もう少し色々と抑えて欲しいのです。

「あ、そろそろ食堂のお手伝いに行かなきゃ…」

うだうだと考えている内に今日の食堂当番の時間になっていた。
学園全員の食事の用意をするのだ、二時間は前から下準備などをしていなくては昼食に間に合わない訳で。
私は卓上の筆とくのたまの友を片してから自室を後にした。

「おばちゃん、お手伝いに来ました」

「あら雛姫ちゃん、ありがとう」

「何をすれば良いですか?」

「そうねぇ、じゃあ野菜を切ってくれる?」

「はい、わかりました!」

にんじん、じゃがいも、ごぼう、ねぎ…今日は肉じゃがかな。
渡された大量の野菜を見てそんな事を考える。
一方、おばちゃんはというとこれまた多くの木綿豆腐の水切りをしている。成る程、豆腐料理が一品あるんですね。

「(久々知くんが喜びそう…)」

なんて、豆腐を見ただけで久々知くんの顔が浮かぶ辺り相当キてると思う。
せっかく一週間も顔を合わせていないのに、これじゃあ心が休まらないじゃないですか。

「そういえばそろそろ五年生が帰ってくるわねぇ」

「え…あ、そうですね」

「雛姫ちゃんは五年生の子たちとよく一緒にいるし、一週間も会えなくて寂しかったんじゃないの?」

「確かに静かすぎだとは思いましたけど、寂しくはなかったですよ?」

「あらそう?何だか時々物思いに更けてるのを見たからそうじゃないかって思ったんだけど」

「次の課題が難しいので憂鬱になってただけですよ」

苦笑しながらそう言うと鼓舞の言葉を投げかけながらおばちゃんは笑った。
しかし課題が憂鬱というのも本当だが、物思いに更けているというのに久々知くんが関係しているのはあながち間違いではない。

「(寂しかった、ですか…)」

一度そう言われてしまうとそんな気になってしまい困る。
寂しさなんて今の今まで感じていなかったのに。

「(何だかんだ私も単純ですね。)」



□□□



食堂の手伝いを終えて少し遅めの昼食を取っている時、慌ただしい足音が廊下から聞こえてきた。
五年生が帰ってきたのかな、などと思いながらみそ汁を啜ると目の前がふと陰る。

「高屋敷、大変なんだ!すぐ来てくれ!」

「竹谷くんに雷蔵くん…どうしたんですか?」

「ちょっと実習でミスしちゃってね…」

「まさか…」

私にこんなに切羽詰まった表情で言ってくるのだ、きっと三郎に何かあったんでしょう。
普段は愉快犯で迷惑極まりないですけど大切な幼なじみである事には変わりない訳で。

「三郎は無事なんですか!?」

「え?三郎?」

「あいつは全然いつも通りだけど?」

「え?」

「え?」

「え?」

………
…………
……………

「雛姫ちゃん、ちょっと君は勘違いをしてるよ」

「俺達は誰も怪我なんてしてないし、ミスをしたのは三郎じゃなくて兵助だ」

「あ、そうだったんですか…良かった。……それで、どうして久々知くんがミスをしたらそんなに慌てて私のところに来るんですか?」

久々知くんが重症で私を呼んでるならまだしも、実習でミスをして何故私が呼ばれるんでしょうか。

「雛姫ちゃん、兵助が優秀なのは知ってるよね?」

「ええ、知ってますよ。有名ですしね」

「それに加えて兵助はあれでもプライドの高いい組なんだ」

「…成る程、そうゆう事ですか」

雷蔵くんの言いたい事はよくわかりました。
普段は謙虚でありながらも本来矜持の高い久々知くんが実習でミス。そうくれば彼が今どうゆう状態かなど容易に想像できますね。

「すっかり落ち込んじまってよ。布団から出てこないんだ」

「でも雛姫ちゃんが来たら出てくるんじゃないかって思って」

「頼むよ高屋敷、兵助を慰めてやってくんねぇか?」

「迷惑なのはわかってるんだけど、ダメかなぁ?」

多分この二人を送り付けてきたのは尾浜くん。
私が竹谷くんの何だか放って置けない困り顔や、雷蔵くんの本当に申し訳なさそうな苦笑いを向けられて断れるはずがないとわかっているのは尾浜くんしかいない。

「…わかりました。後で伺います」

「ありがとう雛姫ちゃん!」

雷蔵くんの笑顔が眩しいです。
ここまで喜ぶなんて、やっぱり彼らは友達思いなんだなぁと改めて痛感します。
椿ちゃんや紅葉ちゃんも友達思いですけど、少しベクトルが違うんですよね…



□□□



「雛姫、来たか」

「三郎」

「それは?」

「昼食ですよ。今日は豆腐料理が一品ついてるんです」

「そうか。兵助も喜ぶな」

五年長屋に着くと、久々知くんの部屋の前に座っていた三郎とそんな会話をした。
尾浜くんは中にいるようですね。

「久々知くん、高屋敷です。入ってもいいですか?」

「雛姫…?ダメだ、入って来ないで」

「…どうしてです?」

「今は無理。会えない」

自惚れと言われたらそれで終いですけど、久々知くんが私を拒絶するなんて有り得ないと思ってました。
だからか驚愕はもちろん、その拒絶の言葉が酷く胸に突き刺さって、すごく…痛いです。

「とにかく帰っ「入って良いよー」」

頑なに会おうとしない久々知くんに被せて障子の先から明るい声が聞こえた。
外からでもわかる、焦る彼を余所に障子が開いた。

「お、尾浜くん」

「ホントしょうもない事でメソメソしてるだけなんだ。ちょっと喝入れてくれるかな?」

「、はい」

「ありがとね。じゃあ鉢屋、行こう」

「ああ」

声をかけられた三郎はすっと立ち上がり、軽く私の頭を撫でてから尾浜くんと一緒に去って行った。
そして私も開かれたままの障子の先に見える布団に包まる久々知くんの元へ進んだ。

「久々知くん」

「……」

「何をそんなに落ち込んでるんですか?」

「……」

無言を貫き、微動だにしない久々知くんのの傍らに座った。
頭まで布団を被っていて出てくる気配はない。

「……」

返事がないと私も無言にならざるを得なくて、沈黙のまま時が過ぎていく。
持ってきた昼食も冷めているのではないかと時折横目に窺ってみたりと、特にすることもないので久々知くんの動きを待った。

「……じゃなきゃ…」

「え?」

「完璧じゃなきゃ、雛姫に相応しくない」

突然出てきた自分の名前に少し驚いた。
久々知くんは実習でミスした事に落ち込んでたんじゃなかったんでしょうか?
あ、落ち込んでるのは失敗した事についてじゃなくて、失敗した事で私に見放されるという…?

「どうゆうことです?」

「雛姫の横に並ぶためには…完璧じゃなきゃダメなのに…」

実習でミスする俺は完璧じゃない。
そう続けた久々知くんに思わずため息が出た。

「誰がそんな事を決めたんですか?」

「それは…」

「そもそも久々知くんは完璧じゃないですし、私もそうです。完璧な人間なんていないんですよ」

どれだけ容姿も頭脳も性格も完璧と言われていても、人間なんてものは最初から完璧になどなれはしないのだから。
もし本当に『完璧』な存在があるとしたらそれは人間ではない何かです。

「不完全だから人間は支え合って生きるんじゃないですか」

「……それじゃあ、雛姫は俺が完璧じゃなくても嫌いにならない?」

「はい、勿論です」

そう返事をすると、もぞもぞと布団の中から久々知くんが出てきた。
少し目が赤い気がしますけど、そこには触れないでおきましょう。

「せっかく帰ってきたんですからいつもの久々知くんでいてください。……私も、寂しかったみたいですから」

「…雛姫」

「ほら、今日は久々知くんの好きなお豆腐がありますよ」

箸で豆腐を挟み久々知くんに向けた。
驚いた顔をされているけれど、自分でも何でこんな事をしてるのか分からないからどうしようもないんです。
だけど久々知くんに明るさが戻ってきているのは確かで、彼が幸せそうに豆腐を食べていのを見ると…まぁ、何でも良いかな?





一一後日一一

「雛姫、雛姫。俺と結婚してくれるんだよな?」

「…何でそんな事になってるんですか」

「だって雛姫言ったじゃないか。人間は支え合って生きるって」

「言いましたけど…」

「不完全な俺で良いとも言った。それって俺と今後支え合って生きるって事だろ?つまり結婚「違います!」」

都合の良い方向に解釈しすぎな久々知くんは至極面倒で、こんな日常が送れなかったあの一週間が寂しく感じたなんてやっぱり気のせいだったんでしょう。