兵助から逃れた雛姫は安息地へやって来た。
そう、不運の巣窟、医務室に。

「はっ……はぁ、はぁ…」

「雛姫、どうしたんだい?そんなに息をきらして」

「あ、伊作、先輩…」

キョトンとした顔を向ける伊作に苦笑で返すと伊作は昨日遠目に見ていた食堂前での騒動を思いだし納得の表情を見せた。
先程ちょうど左近が持ってきた氷水があったためそれを注いで雛姫に渡す。

「はい、お疲れ様」

「ありがとうございます…」

「それにしても、久々知もよくやるね」

兵助が雛姫に白昼に大胆告白をした事もひたすら雛姫を追いかけいてる事も学園中、勿論先生方にも知れ渡っている。
今までずっと優等生であった兵助が堂々と忍の三禁の一つを破る。これには五年間い組の教師をし、兵助を見てきた木下も驚くばかりだ。

「どうして先生方は何も言わないんでしょうか?」

「やっぱり久々知が優等生だからじゃないかな。先生も人間だからね、優秀な子には多少贔屓したり甘くなるものだよ」

「そんなの……私はどうなるんです?」

確かに兵助は優等生だ。だから伊作の言うとおり、贔屓が入りこの追いかけっこを止めないのは理解できなくもない。
しかしそれでは兵助のみが優遇され、雛姫に味方がいなくなる。雛姫も兵助に劣らず優秀で真面目な生徒であるのにだ。

「きっとそのうちシナ先生あたりが止めてくださるよ」

「それは有り得ません。シナ先生には昨日これを課題にされましたから」

「どうゆう事だい?」

「期間は一ヶ月。久々知くんが諦めたら私の実習の点数が上がるそうです」

「…諦めなかったら?」

「諦めなかったり、私が久々知くんを好きになってしまったら補習に加えて夏の長期休暇をなしにすると」

「それはまた…」

シナが何を思ってそんな課題を出したか。
雛姫はくのたまにしては如何せん優しすぎた。人を嵌めたり騙したりという事をせず、やはり保健委員であるのも理由の一つか、敵であれ怪我人に情けをかける事もしばしばあった。勿論、重要な忍務になれば雛姫もしっかりくの一として仕事を全うするが…
しかし普段は自室にさえ罠を仕掛けないため下級生のくのたまたちが案じて罠を仕掛けていくくらいである。
この課題の言わんとするはもっとくの一らしくあれという事だ。罠を仕掛け、騙し欺き、時には武力行使も構わない。雛姫に狡猾さを得させようと、そうゆう事だろう。

「手は出さないけど一応は雛姫の味方みたいだね。…過剰防衛を許可する辺り」

「何とも言えませんけれど…」

今日は苦笑いばかりだと思わせるほどそれを繰り返してしまう。
もうそれ以外にどんな表情をすればよいのやら。

「ところでさ、あの子は何か言ってないの?」

「あの子?」

「藤堂だよ」

「あぁ、椿ちゃんの事ですか。椿ちゃんは忍務でここ一ヶ月ほど留守にしてますから何も…」

「いつ帰ってくるんだい?」

「明日くらいに帰るって文が……あ」

「それ、かなりマズイんじゃないかな」

伊作が顔を引き攣らせる訳。それはこの椿という少女の特殊な性格にある。
くのいち教室五年生であり、作法見習いで入学した彼女は本来四年生で学園を去るはずであった。
しかし卒業まで学園に居座ると言って聞かず、色の授業や必要以上の実習はしないかわり時々簡単な忍務に出る事を条件に籍を置いている。
なぜ学園に執着するのか、それは単に雛姫の事が好きで好きで仕方なく、一秒でも長い間一緒にいたいという所以あってだ。
さらに椿は上記の雛姫好きの延長線で雛姫に近寄る男には問答無用で制裁をしている。そこに恋愛感情がなろうと関係ない。

「今でこそ何もしてこないけど三年生くらいまではやたらと僕の事、目の敵にしてたよね」

「三郎の事も相当嫌ってましたよ」

「ぱっと出の久々知の事を知ったら荒れそうだなぁ」

「あまり過激な事はして欲しくないんですが…」

「ははは…」

散々罠に嵌められたり、言葉での辛辣な精神攻撃をされていた日々を思いだし伊作は顔面蒼白だ。
情けないが何度か留三郎のところで泣いた事もある。

「普段は私の言うことを聞いてくれるんですけど、どうもこれ関係だけは譲れないらしくて」

「藤堂も極端だからね……あ、そういえばくのたまの子達は?」

「今のところ何もしてませんよ。多分相手が久々知くんだからだと思います」

「確かにくのたまといえ下級生が久々知に喧嘩を売るのは賢明ではないね」

「椿ちゃんが帰ってきたらどうなるかはわかりませんけどね」

上記の会話でわかる通りくのたまは椿と同類だ。そう、雛姫大好き人間の集まりである。
つまり兵助の行動が癪に障って仕方ないのだ。

「とりあえず怪我人が出ないように気をつけてね…」

「あー…まぁ、善処します」

「…心配だなぁ……」



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「兵助、兵助」

「勘ちゃん、どうしたんだ?」

所変わって五年長屋。三郎次によって雷蔵に引き渡された兵助は不破の名の木札が掛かった部屋で大人しく豆腐を突いていた。
天井板を外して下りてきた勘右衛門が兵助の名前を呼ぶ。

「今見てきたんだけどさ、くのたまの子たち相当イライラしてるよ。しかも明日藤堂さんが帰ってくるって」

「ふ〜ん、そうなのか」

「…それだけ?」

「何が?」

「だって兵助、近い内にくのたまからの呼び出しがあるかもしれないんだよ?」

「ああ、それなら大丈夫」

勘右衛門の疑問を汲み取った雷蔵が兵助に再度尋ねるもそんな軽い答えが返ってくる。
何が大丈夫なのか全くわからないが、その言葉はやけに自信に溢れているものであった。

「だって俺が雛姫関係の事で屈するなんてありえないから」

何とまぁ良い笑顔だことで。