「一年の四月、まだ勘ちゃんともそう仲良くなってない頃だな。雛姫との出会いは食堂だった」

ただ一言、いつ知り合ったのかを聞きたかったのに語り始めてしまった。
昔を懐かしむように遠くを見ながら言葉を連ねる兵助を止める術はない。

「その日はあんかけ豆腐定食の日だった。だけど俺が食堂に着いた時はすでに豆腐定食は売り切れていたんだ」

「また豆腐かよ!」

「まぁ兵助に豆腐は通常装備みたいなものだから…」

八左ヱ門に雷蔵が苦笑しながらフォローを入れる。
雛姫は雛姫で兵助の話を聞きながら一年生の頃の事を思いだそうと頭を回転させていた。

「俺は仕方なく他の定食を頼んで、そして席についてそれを食べようとした時に誰かが控えめに豆腐定食を差し出した。それが雛姫だったんだ」

「ほぉ、雛姫にしては良いことするじゃないか」

「三郎は黙っててください」

「さっきから冷たいな。お前にとって私はその程度の存在なのか?」

およよ…と泣きまねをする三郎には誰も触れず、八左ヱ門が兵助に話しの続きを促す。出会いの話だけと言いつつも、やはり何だかんだ最後まで聞きたいものである。
そしてぞんざいな扱いを受けた三郎は今度こそ落ち込んだ。

「あの時から俺は雛姫が気になって……でもくのたまと会う機会なんて食事時を除いたらほとんどないし、雛姫の名前すらわからなかったから探しようもなかったんだ」

「たまに演習で一緒になるくらいだもんね」

「それに何たって忍たまの天敵だし?」

入学早々に受けるくのたまからの洗礼は忍たまにとってトラウマベスト3には入るショックな出来事だ。
くのたまを『天敵』と称した勘右衛門もかつて幾度にわたって団子に痺れ薬を盛られたり、饅頭に毒を盛られたりと例に漏れず酷い目に遭っている。(彼の場合は食に関する悪戯以外は華麗にかわしているが)

「とにかく何の情報もなく会えない日々が続いた訳だ。だけど同じく一年生の冬にひょんな事から名前がわかった」

「また豆腐関係とか?」

「よくわかったな」

「そうなのかよ!!」

冗談半分で言った事が当たっていたとは…雷蔵は目をぱちくりと瞬きを繰り返す。
八左ヱ門も先程からツッコミばかりでお疲れなのだが反射的に口を開いてしまった。

「冬っていったらもう俺たち五人でいた頃だろ?だったらその時高屋敷さんに会ってるはずだけど覚えてないよ?」

「勘ちゃんたちは先に席に着いてたからな」



「え、豆腐定食売り切れなんですか?」

「ごめんね久々知くん、さっき雛姫ちゃんに出したので最後だったのよ」

「雛姫?」

「あの子よ。ほら、あそこにいる…」

「……あ」




「と、いう感じで」

「そう。でもさ兵助、それって四年も前の話だろ?何で今更?行動を起こす機会なんてもっと前にもあっただろうに」

「だって忍の三禁に引っ掛かるだろ?だからずっと俺の中だけで留めておこうと思ってたんだよ」

酒と欲と色。
しっかり守っている生徒なんていない忍の三禁だ。
学園一忍者してる文次郎でさえ酒は飲んでいる。

「でも色が三禁に入る理由は現を抜かして忍務を遂行できないとか、忍に弱点となるものはいらないからって事だろ?この五年間で公私の切り替えもできるようになったし、恋人を弱点にする程弱くもなくなった。だからだよ」

「おほー。さすがは兵助」

八左ヱ門が俺もそんな事言ってみたい、などと盛り上がっている中、雷蔵が雛姫に声をかけた。
先程から神妙な顔つきをしていた雛姫が視線を寄越す。

「ねぇ雛姫ちゃん、ちょっとズレてたり豆腐狂だったりするけど兵助は良い奴だよ。だから……」

「あの、雷蔵くん」

「ん?」

「実は私、さっきから思いだそうとしてるんですけど久々知くんに豆腐をあげた記憶がないんです」

「え」

雷蔵の言葉を遮って言い放たれた言葉に兵助から渇いた声が漏れる。
たった一言であるがこの言葉には様々な気持ちが込められているのだろう。

「本当に覚えてないのか?」

「大変申し訳ない事に、全く記憶にないです…」

「兵助、こんな女だぞ?それでも好きなんて言えるのか?」

「……」

「兵助?お〜い、大丈夫?」

「……」

三郎や勘右衛門に声をかけられても俯いたまま無言を決め込む兵助に雛姫も少しばかり焦りを見せる。
悪い事をした、という自責の念が雛姫を襲う。

「何かヤな予感」

「雷蔵もか?俺もだぜ」

動かない兵助を見ながら八左ヱ門と雷蔵が何かを察知する。
不思議思考の兵助といえ長年の付き合いだ、こんな時何を考えているか何となくわかる。

「じゃあ……って……てくれ」

「え?」

「俺の初恋の記憶を忘れた責任を取って結婚してくれ」

「やっぱりなー」

「こじつけにも程があるよ」

何が何でも結婚に結び付けたいのかと思うほどの屁理屈であるが兵助は至って本気だ。
なぜ恋人という過程を踏もうとしないのかは恐らく真面目すぎる兵助にとっては『試食』なんてものは相手に失礼であり、自分にとっても心地好いものではないと思っているからだろう。
結婚は運命の人でありたいなんてなかなか乙女思考であるが、彼のインスピレーションでは雛姫がその『運命の人』と認識されたようだ。

「雛姫」

冷や汗が頬を伝る。これ以上この場にいても状況を変化させる自信はないし、色々と限界だ。
雛姫は兵助を見ることなく今一度箸を持ち直してまだ皿に残っていたキャベツの千切りを一気に掻き込んだ。

「ご馳走様でした。それじゃあ私はこれで!」

盆を持ち上げ脱兎の如く走り去って行く雛姫に雷蔵たちは唖然とし、兎を逃がしてしまった兵助を見る。

「まぁまだ時間はたっぷりあるし、絶対に捕まえてやるのだ」

明日から楽しみ、と音符を飛ばしながら雛姫に貰った豆腐を幸せそうに食べる兵助に一同は雛姫に同情する他なかった。
もとよりこの大胆告白騒動は兵助が雛姫に自分の存在を認知させる事と、意識させる事のために起こしたにすぎない。
本能のままに行動する訳ではなく、しっかりと計算も交えているところは流石である。

「雛姫ちゃんご愁傷様だね」

「兵助ってああ見えて打算的だからなぁ、どういう行動に出るかわかんないし、高屋敷さん苦労しそうだね〜」

「三郎助けてやんねぇの?」

「雛姫がどうしてもと頭を下げてきたら助けてやらない事もない」

「あいつの周りは敵ばっかだな…」

八左ヱ門の言葉に勘右衛門と雷蔵は深く頷いた。