神様、ちゃんと帰ってきたからよろしくね





「リクオ様ー、八つ時ですよー」

「はーい!!」

「ああっリクオ様!先にお手を洗ってくださーい!!」


間延びした男の声が、台所から庭先に向けて放たれた。
呼ばれた子供は輝くような笑顔で勢い良くやって来る。
後を追いかける少女は困ったように近くにいた妖怪に手桶を持ってくるよう指示を出していた。


「魎、今日は何だい?」

「桜餅だよ、鯉さんも食べる?」

「こりゃ魎!二代目と呼ばんか!」

「固ぇこと言ってんなよ烏天狗……勿論食うに決まってんだろ?」


パタパタ羽をはばたかせて烏天狗が小さく魎の頭を叩くと、その些細な痛みに魎は軽く目を閉じる。


「今日のは自信作」

「そいつぁ楽しみだな」

「大体二代目も甘いんです!どこぞの子供を拾ってきたかと思えば給仕に据えて…もう少し疑うということを覚えて、奴良組を統べる者としての自覚を―――」

「どう?」

「うん、美味ぇよ」


烏天狗の小言を右から左に聞き流して、鯉伴は魎の頭を撫でる。
現代の光溢れる世界で再会した子供は相変わらず真っ黒な瞳をしていたが、その奥には更に深い闇色の芯が存在していた。

それに気づいた瞬間、ひどく安堵したのを覚えている。


――…やぁ、鯉さん。調子はどう?


あの丘の上でリクオの隣に立っていた魎は、子供のように笑っていた。
言葉を失うほど驚きもしたが、それ以上に急激に脱力する自分の体に思わず笑ってしまった。


――…っぼちぼちだよ!


座り込んだ体勢のまま皮肉を言うようにそう返すと、魎は声を上げて笑い出した。急にゲラゲラと腹を抱える魎にリクオは心底驚いていたが、それは鯉伴も同じ。

腹の底から笑う魎を、初めて見たのだ。


「なんじゃ、桜餅か?ワシにもひとつくれや」

「はい、どうぞ総大将」

「もう一個おかわり」

「沢山あるから好きなだけ食べていいよ、鯉さん」

「ちょっと!僕の分はー!?」

「ちゃんと残してるから焦って喉に詰まらさないでくださいね、リクオ様」


鯉伴の知己として連れて来られた魎は、甘味専門の料理番として立場を貰うこととなった。
奴良組の保護を得る代わりに、リクオのために菓子を作る。
そういう約束のもと、魎は三度目となる人生を歩んでいる。


「…僕のことも普通に呼んでよ、魎」

「え?」


桜餅に齧り付くリクオは、頬を一杯に膨らませて不機嫌そうな顔をした。
鯉伴の友とはいえ奴良組に世話になっている者として、リクオの世話役として、一定の距離を保つように接していたが、幼いリクオにはまだそれがわからない。


「最初に会った時みたいに…僕の兄ちゃんみたいに喋ってよ」


それは子供特有の独占欲とでも言うのだろうか。
鯉伴と魎が顔を見合わせる中、ぬらりひょんがブッと噴き出す。


「おい鯉伴、お前ワシの知らん所でこんなデカい子供を儲けておったのか?」


魎を指差して人の悪い笑みを浮かべるぬらりひょん。
そんなわけねぇだろ、と鯉伴は喉まで出かかった言葉を飲み込み、同じようにニヤリと笑った。


「昔は遊び人だったからなぁ」

「どういうことですか二代目!?隠し子!?長男!?だとすれば組の者になんと説明を―――」

「………冗談ですよ?」

「大丈夫よ、わかってるから」


鯉伴に詰め寄る烏天狗の怒号に紛れて、魎はこそっと若菜に耳打ちする。
親子の楽しげな様子から、そんなシリアスな展開などあるはずもない。
それに、と若菜は微笑む。


「鯉伴さんが、よく言ってたもの。息子同然に世話してたって」

「っ、……そりゃあ…」


嬉しい話だけど父親が四人になっちまう。

自分をこの世に生んでくれた父が二人、団子屋でぶっきらぼうながら親身にしてくれた父が一人、そして二度も命を救ってくれた鯉伴。

どの父親も皆優しく、温かい人だった。


「血なんて繋がらなくても魎は僕の兄ちゃんだよ!」

「……リクオ、もう一個食べるかい?」

「うん!」


可愛いなぁと思いながら桜餅を差し出すと、魎の口調の変わった様子に満足したのかリクオは満面の笑みを浮かべていた。



何も無い世界で、聞こえてきた声はとても悲しそうなものだった。
ごめんね、本当にごめんなさい。
あんな世界に入れてしまったから、二度も死なせてしまった。

そんなことはない、と魎は否定する。
助けてもらった。
辛くて、寂しくて、いつだって泣きたかったけれど、それでも。


「明日は何が良い?」

「なんでも!魎の作るお菓子なら全部好きだもん!」

「あーもー、超かわいい」


神様に会えたよ。
あなたも神様だろうけど、あの人も神様だった。
だから、もう一度あの人のもとに返して欲しい。

死なすつもりが無かったのなら、
もう一度俺を助けたいと思ってくれるのなら、

あの人に、鯉さんに、もう一度会わせてくれない?


「リクオは俺の天使」

「魎、苦しいよっ」

「あ、ごめんね?力緩めるから、もうちょっとだけー」

「あははっ!髪の毛くすぐったい!」


ぎゅうぎゅうと抱き締めあって笑う子供二人を、鯉伴は優しい顔で見守っていた。

墓の前で報告するという約束だった。
現代になり、彼が誰よりも強く魎を願ったら、届けてあげようね。


「明日は大福にしようね、中は普通の小豆で抹茶の牛皮に包んだやつ」

「やったぁ!」

「おー、そりゃあ楽しみじゃのう」

「魎、昔より腕上がったよなぁ。かってぇ団子食わされた時が懐かしいぜ」


頬に手をついてニヤニヤと言う鯉伴に、魎は「当然でしょう?」と余裕の笑みを浮かべる。

だって、ずっと待っていたのだ。


「そりゃあ神様のところで修行してたからね」

「は?」

「さて、と。リクオ、食べ終わったんなら明日の買出し一緒に行こうか」

「うん!」


鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする鯉伴を他所に、魎はリクオの手を優しく握る。

今はもう、寂しくない。
真っ白な世界にいたからこそ、自分から闇を望んでしまった。


「リクオ、魎君にワガママ言わないのよ?」

「わかってるよー」


若菜が魎に財布を預けながらリクオに注意を促すと、幼い胸をいっぱいに張って頷いた。


「気をつけてな、魎。リクオを頼むぞ?」

「ええ。少しの間お借りしますね」


リクオに向けるものと同じような視線を魎に向けるぬらりひょんは、特別心配している様子ではない。


「ワシも空から見ておりますからな!」

「えー…烏天狗来るのぉ…?」


それを補足するように烏天狗が言い放つと、リクオは眉を顰めて「二人きりだと思ったのに…」と口をすぼめた。

闇の世界といっても、ここは明るい。
誰もが目を細めるように輝いていて、だからこそ心から落ち着けた。


「それじゃあお父さん、行ってきます!」

「行ってきまーす」

「…おう、行って来い。あんま遅くなんなよ?」

「「はーい」」


心から、帰りたいと思える場所が出来た。
最近幼稚園で覚えたんだよ、とリクオが言った童謡を二人で歌いながら門をくぐる。

手を取り合う二人の並んだその姿は、本当に兄弟のようで実に微笑ましいものであった。

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