優しく扱ってください



「…魎、急に元の姿に戻らないでよ」


今この現状をはたから見ると、首無は変人だと思う。
だって手の中にある棗に話しかけているのだから。


「…ねぇ、何をそんなに怒ってるんだい?」


これでも俺は首無よりも年上の年期の入った憑喪神で、自分で言うのも何だけどそれはそれは綺麗な朧月夜の蒔絵の描かれた棗だ。

様々な茶人に好まれ、気の遠くなるような年月を茶道具として過ごした結果、いつの間にか自我が芽生えていた。

奴良組本家にやってきたのは、江戸中期頃だったかな。
立派なお屋敷の茶室に飾られていた俺をさっと持ち出していったのが総大将だった。


「今までだって口付けしてきたじゃないか。なんで今日に限って逃げるのか教えてくれよ」


それから俺は、奴良組本家の茶室で日がな一日を過ごしている。


「…魎、無視するならこっちにも考えがあるよ。抹茶の代わりに唐辛子でも詰めてあげようか?」

「やめろよ!辛いものは苦手だって知ってるくせに!」

「やっと戻った」

「ん…」


首無の不穏な言葉に慌てて人型に戻ると、首無の唇が軽い音をさせながら頬に落とされる。

本家の茶室が俺の家になって数百年。
首無が茶室の掃除を担当することになって数十年。

たまに話す関係から掃除の時間が待ち遠しくなって数年。


恋仲になって数ヶ月。


長い長い片思いの時期を経て、こういう関係になれた事は本当に嬉しい。
だけど。


「…まだ怒ってんだからな」


たまに首無が俺の嫌なことをする。
好きだから嫌いになるわけないけど、首無だから余計に腹が立つ。


「なんで?」

「自分の胸に聞いてみろよ」

「……わからないな、教えてよ」


首無の指に俺の髪が絡まる。
綺麗な黒髪だと自分でも思う。さすがは有名な職人が上等な漆を使って仕上げた俺。


「何が気に入らなかったんだい?」


首無の唇が今度は俺の指に落とされる。
女のような肌だと自分でも思う。さすがは職人の技巧によって上品な装飾が施された俺。



俺は棗で、ただの無機質なモノ。
だからこそ棗の姿は自分でも誇りに思える。

だからこそ人の姿は気に入らない。



「――っ」

「魎?」


首無の手を振り払って、床の間に座る。俺の下に敷かれたこれまた綺麗な布は首無が用意してくれた上物の袱紗(ふくさ)で、控えめな唐草の模様が気に入っていた。


「理由がわかるまで、人型には戻らないからな!」


棗の姿に戻る直前に首無が目をぱちくりと開いたのが見えた。
首無が何かを言おうとしているのがわかって、見えるもの聞こえるもの全てを遮断するように眠りにつく。


「…まったく…明日また来るからな」


まどろみの中で、呆れたような首無の声だけが小さく聞こえた。



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