どうして世界は暗いの、神様



あれは春だったか夏だったか、冬かもしれない。
それ程記憶は薄くなっている。
それでも覚えているのは自分の死に際。

部活を終えた高校から帰る途中に、車に轢かれて暗転。
衝撃と驚愕とで長い間痛みは感じずに意識が飛んだのはありがたかった。

そして気づいたら女の乳を吸っていた。
気持ち悪いと思ったのに、欲求は理性を撥ね退けて無我夢中で食事を続ける。
その女が母だと気づいたのはすぐ後のこと。

でも、母じゃない。


「魎、良い子だから寝んねしましょう」


背中を叩かれながら寝かされる。
違う、俺の名前は「     」だ。
魎じゃない。

今じゃもう、どんな名前だったか覚えていないけど。


「魎、ゲンさんとこにコレ持っていっておくれ」

「はい、女将さん」

「道中くれぐれも気をつけろよ!?」

「わかってますよ、旦那さん」


この店で働いて1年目ぐらいだったか、とにかく仕事にも慣れた頃に「父ちゃん、母ちゃんと呼んでくれないかい?」と女将さんに言われた。

でもそれは嫌だった。俺の母が3人になってしまうのはどうも気が進まなかった。


小さな村で、物心がついた直後に焼かれてしまった。
あれが山賊というものなんだろう。
でも化物だ、人の姿をした"もんすたぁ"だ。ああ、片仮名の発音がうまく出来ない。この時代で言うと、物の怪とか妖怪って言うんだっけ?


「ゲンさーん!お届けにあがりやしたぁ!」

「おお魎!悪いな、まぁ上がってけよ?おい、茶ぁ頼む!」

「まったくお前さんが入れれば良いでしょうに…ああ魎や、気にせずゆっくりしていきなさいね」

「あはは、奥さんこんにちは。お邪魔しています」


焼けた家から逃げて、村に戻ると家の前で父が冷たくなっていた。
首はなかった。

裏口から逃がしてくれた母の姿はどこにもなかった。
きっと連れ去られたのだろうと達観した気持ちで理解した。
美しい人だったから。


「注文された団子30本と、金団10個です」

「すまねぇな。今夜は親戚が集まるもんでよ…ガキが多くてかなわんのだ」

「いやいや、いつもご贔屓にしてもらって…嬉しい限りです」

「くくくっ、お前さんも立派になりやがったなぁ!早く良い娘貰ってお前も所帯を持てよ?」

「物好きがいると良いんですけどねぇ…いやはや、これが中々難しい問題で…」


流れに流れて、着ていた服もボロボロになった。
髪は蜘蛛の糸みたいに縮んで、引っ張るとぶちぶちと抜けた。
体は痩せ細って、それでも下腹だけ出ていたから、前の人生で夏祭りの時に見た地獄絵図にいる餓鬼そのものだと自嘲した。

そう、前の人生。

これが2回目。


「何を言うか、もう17、8だろう?俺がアイツを貰ったのも19だった。早くしねぇと良い女は皆嫁に行っちまってああいう女しか残らねぇぞ」

「ちょいとアンタ!?聞き捨てならないねぇ」

「おお怖い怖い…な?聞いたろ今の声。まるで鬼だ」

「あんた!!」

「はははっ!仲が良くて羨ましい限りでさぁ、ゲンさん」


生まれ変わったとしたら、なんでこんな歴史の授業で習ったような世界にいるのだろう。
前向きに「いや、これは2次元だ!」と思った時もあったけれど、いつまでたっても俺の知っている"きゃらくたぁ"は出てこない。

ボロボロになった俺は人攫いからも目を背けられて、自分と同じようなボロボロの寺に捨てられてあった死体に巻かれていた御座を拾って川原にたどりついた。

草を食べて、飢えをしのいで、御座に座って、「めぐんでください」

銭が入れば近くの店で魚を買った。
タンパク質が欲しくてたまらなかった。
川で獲れば良かったけれど、平成の東京で生まれ育っていたからそんな技術は知らない。


「子供が出来たら俺に名づけさせてくれよ」

「それ、うちの旦那さんも言ってましたよ」

「それもそうか、なら2人目は俺がつけよう。何が良いか…」

「今から考えるんですかい?気が早いなぁ、もう…」


日に日に世界が暗くなっていった気がした。
闇が俺を誘っていた。


今でも思う。
ここは死後の世界で、ただの夢で、起きたら病院で、薬のにおいがするんじゃないかって。

でも、やっぱり現実で、古めかしい服を着て、古めかしい言葉を喋って、日がな一日働いて。

電気もなくて、"がす"もなくて、水は井戸から汲んで。

どこへ行くにも歩いて、お侍さんを見つけたら距離をとって、色町のお姉さんを見つけたら口笛を吹いて、迷子の子供を送ってやって、近所の悪ガキ共を叱り付けて、お得意さんに世辞を言って、旦那さんに感謝して、女将さんに感謝して、"べっど"じゃない床に布団を敷いて、蝋燭の火を消して


寝て、起きたら井戸で顔を洗う。


きっと俺の頭はおかしくなっているんだ。
こんなにも平和で、幸せで、これからゲンさんが言うように結婚して子供を作っていく輝かしい未来があるのに、違う"未来"を願っている。


帰りたいよ、帰りたいよ、ああ、ああ、ああ!!


―――…寂しいな。


「それじゃゲンさん、俺はもう戻ります!ご馳走様でした」

「おうよ、しっかり働けよ?」

「アンタもよ!ったくこの大飯食らいめ…魎!気をつけて帰るんだよ?」

「はい、奥さん心配ありがとうございます。…あんまりゲンさんを叱らないでやってくださいね?」

「あら、やだよこの子は。これは私の愛ってやつさ」

「うわぁ…愛されてますね、ゲンさん」

「おい!なに魎に阿呆なこと言ってやがんでい!」


腹の底から笑って玄関を出る。
今日も晴れ。
でも、この空を突き進んでもあの時代には帰れないんだろう。

青いはずのそれは、物乞い時代から変わらず黒いままだ。

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