見守る観客 早朝、いつも通り本家の玄関を箒で掃いていた首無は背後に気配を感じて振り返る。 小柄な少年が見た目とは裏腹に随分と落ち着きのある声で「おはようございます」と頭を下げた。 「ええと…おはようございます。何か御用ですか?」 「すみません、総大将にお取次ぎをお願いしたいんです。…魎と言えばわかると思います」 「わかりました、少しお待ちください」 箒を門の内側に立てかけて首無は怪しみながらも急ぎ足でぬらりひょんの元へ向かった。 居間でくつろいでいる様子を庭から目撃し、近づいて膝をつける。 「総大将、お客様がいらっしゃってますが……」 「客ぅ?今日は誰とも約束してないぞ?」 「魎様とおっしゃっておりました」 「な……っ!?……そうか、客間に案内してくれや。すぐに行く」 「…?はい、わかりました……」 驚きはしたものの、時期を考えると何故か納得できた。 狒狒が死んで、まだ間もない。 ショック療法とでもいうものだろうか。 「……皮肉じゃのう…」 あれだけ狒狒が取り戻そうとしていたというのに。 これだけ時間がたってしまったというのに。 狒狒がいなくなった今、時間が流れてしまうとは。 客間に向かうと、懐かしい姿がそこにあった。 数百年前からとんと見なくなった顔。 魎は昔と変わらない様子で微笑んだ後、頭を下げた。 「お久しぶりです、総大将…。随分と長い間、禄にご挨拶もせずに篭ってしまい申し訳ありません。昨日ようやく…全てを取り戻しました」 「……堅苦しい挨拶は止めな、魎。似合わねぇぞ」 「…っご心配、おかけしました…!」 はっきりとした声だというのに消えそうな気がした。 床につくほど頭を下げた魎の頭を撫でてやると、ゆっくりと顔を上げる。 目の下は赤く、昨夜は泣いて過ごしたことがうかがえた。 「狒狒の言葉は届いたかい?」 「はい…」 「そうかい…わしのことは気にするな。これからは魎のしたいように過ごせばいい。世代交代…わしも隠居したようなもんじゃしな」 「…今までも、隠居していたようなものですよ」 「っくく、そうじゃな」 ぬらりひょんの笑い声につられたのか、泣き腫らした目で魎も笑顔になった。 「……長い手紙でした。奴良組に入る前に二人で過ごしていた生活から、貴方と出会って奴良組に入ったこと、牛鬼や烏天狗なんかの古参幹部のこと、珱姫様のこと……二代目の鯉伴様のこと、三代目のリクオ様のこと、そして……猩影のこと…」 「驚いたか?」 「そりゃあもう…。届けてくれたのが猩影だったんですが、子供だって聞かされた時には山中の動物がいなくなるんじゃないかってぐらい叫びました」 「はははは!そうか……それで?時間を取り戻して、どう思った?」 「……最初は、何も考えられませんでした。でも目の前には猩影がいたので悲しいのか嬉しいのか……狒狒の面を見せられて、実感したんです」 記憶を失っていたということは理解できた。 自分でも説明できない"昨日"が、狒狒の手紙によって取り戻された。 猩影の存在も、時間を取り戻すことによって実感できた。 ただ、狒狒がいないことだけが納得いかなかった。 なのに形見の面を見せられ、墓を見せられ、血の跡の残った屋敷を見せられると現実を突きつけられる。 全てが真実で、もう遅いのだということを。 「狒狒を弔った後は猩影の教育でもしますよ。古いやり方でしょうけどアイツの若い頃は反面教師にもなります」 「酒を飲んで暴れるだけじゃったからな」 「っく、はははは!そうですね」 猩影と一晩中語り明かして、立ち止まることを止めようと決めた。 妖怪として自覚したばかりで畏の使い方さえ知らない子供だ。 自分は戦闘に特化した妖怪ではないが、猩影よりは戦い方を知っている。 「猩影が組の復興に励むというのであれば、俺も協力します。俺の居場所はあいつの隣です。なのに自分のせいで離れてしまった……これからは猩影の後ろで小言を言いながら、味噌汁でも作ります」 「……そうかい。本家に来て将棋の相手でもなってくれるかと思っていたがな」 「今更どんな顔して古株の連中に会えば良いのかわからないです」 小さく舌を出した魎から、本当に戻ったのだということがわかる。 皮肉なものだと、ぬらりひょんは再度胸を締め付けられた。 [*前] | [次#] 【戻る】 |