主役は遅れて登場するもの?



実に居心地の悪い空間だと猩影は思った。


「と、とりあえず中に入ってよ。お茶いれる……あ、酒の方がいい?……あ、そう…だよな、まだ昼だもんな。あそこの襖の中に座布団あるから勝手に使ってくれる?何もないけど…読み終わるまで待ってて。うわ、俺すげぇ混乱してる。どういうことだよ。皆目見当もつかねぇよ。……子供って、…でかすぎんだろ。いつ出来たんだよ…そもそも俺に教えろよ、生まれる前に教えろよ……」


ぶつぶつと途切れることなく言葉を続ける少年に、猩影の方も混乱しそうになる。

知らないはずが無い。
だって父は毎日手紙を書いていたのだ。
よくネタが尽きないものだと感心していたのだ。

毎日起こった些細な出来事も全てを拾い上げて、文章に起こしているのだと…そう思っていたのだ。


「つーか長ぇ…よくこんな書けたなあいつ……」

「確かにいつもより量が多いですよね」

「いつも?」

「あ、すいません……すぐに持ってくれば良かったんですが、バタバタしてて中々来れなかったんです」

「いや、そうじゃなくて……いつもって……手紙?今回が初めてだろ」

「え?いつも親父が送ってたじゃないですか」


何を言ってんだコイツは、と互いに眉をひそめる。

手紙なんか貰っていない。
ただこの少年が嘘をついているようには見えない。
だとすると、"いつも"とは何なのか。

少年の言葉によると、しばらく手紙が来なかったらしい。
"いつも"は狒狒が送っていたらしい。

じゃあ、"今"の狒狒は何をしているんだ?


「"昨日"は確かに暇だった…」

「え?」


何をしたのか、思い出せない。
だけど確かに何もすることが無くて…?
何故かはわからないが、考えるなと警報が頭の中でガンガンと鳴り響く。


昼頃に起きて、顔を洗った。
朝食を作った後は掃除をした。

畑に行って野菜の世話をした。


何かが、足りない気がした。


「……とりあえず、読んでくれませんか?親父があんたのために書いたんですから」

「お、う……悪いな、ちょっと待っててくれ」


ずっしりと重みのある手紙を開くと手本にしたいほどの綺麗な文字が羅列されていた。

元気にしてるか?

いつもと同じ何気ない一言から始まる、狒狒の最後の手紙だった。




―――……元気にしてるか?
  この手紙を読んでいるという事は
  きっと自分はもうこの世にいないという事だろう。

  お前の時間がある時から止まって数百年の時がたった。
  時代は変わった。
  お前は山にいて知らないだろうが町は大きく様変わりした。
  自分の目で確かめてみろ。
  きっと驚くだろうよ。

  今もきっと驚いているはずだ。
  だが最後まで読んで欲しい。
  書き漏らすこともあるだろうが出来る限り全てを書く。

  お前の失った数百年を取り戻したい。……―――




魎の手から力が抜ける。
それでも目は文章を追い続けた。

失くした何かを取り戻している気がした。

"いつも"と違って感嘆の声も微笑むこともない。
血の気の失せた顔で、狒狒の言葉を読み込んでいった。

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