すべては自然のままに



それはどこにでもあるような山の谷間の小さな村。
それほど大きくもない田畑を所有する農家の六男、末っ子として生まれた。

村の皆は細々と、助け合いながら暮らしていた。
近所の娘が嫁ぐと決まれば村中が祝福をしたし、家畜など新たに命が生まれれば幸せのお裾分けなどもあった。


「すまねぇ、魎……村のために頼んだぞ……」


共同体では皆の命が優先される。
小さな村の小さな農家、その中の六番目の息子に白羽の矢が立ったのは、兄や姉が働き手として十分なほど育っていたからだろう。
他の家にも子供はいたが、魎よりひとつふたつ年が上だったことで逃れることができた。

村の取り決めには逆らえない。
村一番の年下が神に捧げられるのだ。

これから沢山手伝うはずだった。
兄の子供もこの秋に生まれるはずだった。
姉の嫁ぎ先も決まった矢先の、よくある話。


「はい」


嫌だと言えるわけがなかった。
山の池で体を清めて、上等な布地の白い着物に袖を通した後は豪勢な輿に乗せられた。

連れて来られたのは断崖絶壁。

これから死ぬというのに身を竦ませた子供を無理やり叩き落した大人の手。


最後に魎が見たのは、泣きながら腕を突き出した父親の姿だった。


雨が降ると川は氾濫。
田んぼは水かさを増して作物はぼろぼろ。

そんなところの、ただの生贄。
祈願のための供物。


喜ぶべきなのだろう。
自分が死んで、確かに雨の量は減ったそうだ。
皆が喜んだ。
父も母も兄も姉もその子供も嫁ぎ先の家族も、皆が歓喜の声を上げたのだ。


生贄にして良かったと。


「うあああーん!」


失敗すれば、他に犠牲が出たのだろう。
もしかしたら顔も見たことの無い血のつながりのある甥っ子や姪っ子にその運命がまわってきたかもしれない。

だからこれで良かったのだ。


「うああああん!」


そう思えるほど、魎は大人ではなかった。

死にたくなかった。
生きたかった。
悔しい、悲しい、怖い、寂しい。

そんな思いが魎をこの世に残してしまった。


「うるっせぇなー!二日酔いに響くじゃろうが!!」

「っひ!?」

「なんじゃ、ガキか……殺す価値もねぇな」


弱弱しい姿で顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
汚らしいが、子供特有の中性的な顔。


「暇じゃしなぁ、飼ってみるのも一興かのう」


顎に手を当てて考えをまとめると、子供を掴みあげてずんずんと山の奥に入る。
風呂に入れてやると男と分かって少し残念だったが、身の回りの世話ぐらいは出来るだろう。

野宿は寒い、土が痛いと文句を垂れるから家を作った。
土いじりが得意のようだから道具を与えると小さな畑を作った。


「ちょ、こら狒狒ー!そこ人参植えてんだぞ!踏むなよ!!」

「あ?ああ悪ぃ」

「そこは茄子!もうっ!!手伝う気ねぇなら酒でも飲んどけ!!」

「ちっ、うるせぇクソガキじゃなー!!」

「うるせぇクソ猿!!」


捕食者と得物の関係から飼い主と愛玩動物。
それがいつの間にか世話を焼かす者と世話を焼く者になり、友人とも家族ともいえない、なんとも不思議な深く強い関係となった。


よくある話。
雨量が減った村は洪水に恐れることなく平穏に過ごすことが出来るようになった。

何年、何十年と幸せな時間が過ぎた。

犠牲になった子供を皆が覚えていた。
すまなかった、ありがとうと血を引く者の手によって手厚く弔われていた。
魎が飛び降りた崖には絶えることなく花が添えられた。

花びらが風に舞って、崖の下に降りていく。



よくある話。
幸せな日々など永遠ではないのだ。

突如訪れた盗賊に、村が襲われた。
生き残った者たちでなんとか暮らしを立て直すことは出来たが、皆が自分の生活で手一杯になる。

昔のことより、今を生きなければならない。

村の誰もが魎のことを忘れ、感謝などしなくなった。

崖の上には花は無い。荒れ果てた土と雑草で覆われてしまった。

その昔、崖の下に舞い降りた花びらは朽ちて土へと帰る。
自然は繰り返すが時間は進む。


魎の時が止まったのは、そんなある日のことだった。

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