幕が開ける



段々と、イライラしてきた。


「なぁ、今日は総会だろ?晩飯いらねーんだよな?」


一週間、一ヶ月、半年、そして一年がたった。


「今夜は総会かー。飲みすぎんなよ?」


毎日毎日同じことの繰り返し。


「総大将と姫さんによろしく伝えといてな。あと牛鬼に酒飲ませ過ぎんなよ」


それでも今夜の予定を聞くのをやめられないのは戻ったかもしれないと期待しているからだろう。

奴良組待望の二代目が生まれたというのに、魎の時間は進まない。
おかげで狒狒は日に日に大きくなる鯉伴の成長振りを目の当たりにすることが出来ている。

幽霊の魎は成長しない。
死んだ時の姿(13〜15才)のままだ。
この分では鯉伴もすぐに魎の年を越して、奴良組を引っ張っていくようになるのだろう。

それを考えるとどうにもやるせなかった。
せめて鯉伴の存在だけでも覚えていて欲しい。

どうか魎の時間が、流れて欲しい。


「…なぁ、魎」

「んー?」

「総大将にガキが出来た」

「え!?マジ!?聞いてねぇよ!!」


このやり取りも、もう何度目になるだろう。
珱姫が身ごもったと聞いてすぐに話した時は、もしかすると良い刺激になって戻ってくれるのではないかと期待したものだ。

それでも教えるのを止められないのは、魎のためではなく自分のためなのかもしれない。

魎とは違って自分は現在を生きていることを実感したいだけなのかもしれない。


「……鯉伴って名前でな、大将によく似た元気の良い坊主じゃ」

「え…もう生まれてんの?うそ、まじで??」

「こないだ鯉伴が立ち上がってな、そりゃあ盛大な宴会じゃった」

「いつの間に……あれ?こないだ?」

「……ああ」

「言ってくれりゃあ俺も祝ったのに……次の総会には俺も一緒に行って良いか?」

「……ああ、連れて行こうな」


お前には次の総会なんて永遠に来ないというのに。

明日になれば、また全て忘れているのだろう。
二代目のことも交わした約束も、全て忘れてまた今日が始まる。

何の問題も無いと思っていた昔が懐かしい。
今じゃ問題だらけだ。

流れていく時間の中でたった一人、ずっと立ち止まったままの魎に新しい事実を与えては反応を見る、その繰り返し。

何をしても、魎の記憶が戻る兆しは見えてこない。


「あ、待って。今日総会だろ?だったら今夜連れてってよ」

「……あー…そうじゃな……」

「え……何かあんの?大事な会議?」

「…そういうわけじゃねぇんだが…」


流石に子供が生まれて手のかかる時期に毎夜の如く飲みに行く気にはなれない。
かといって魎を連れて行く気は毛頭ない。


「…今日は総会は中止なんじゃ」

「えー!?いつそんな連絡来たんだよ」

「ついさっきな。だからまた今度一緒に本家に行こう」

「……わかった。絶対だぞ」


いつまで、こんなことを続けなければならないのか。
ただでさえヒトよりも長い命だ。
終わりが見えない上に、長期戦となると余計に歯痒い。

いつもこんなやり取りをしていると騙しているつもりはないのに後ろ髪が引かれる気になってしまう。
どちらにも悪気など無いというのに。


「でも総大将も喜んでるだろうな。姫さんこれから大変だろう…し……」

「…どうした?」

「……なぁ狒々。人間の女って身ごもってから生むまで十ヶ月かかるんだろ?なんでその間に教えてくれなかったんだ?」


これも毎回のこと。至極普通の疑問で、いつも適当にあしらっていた。
自分も知らされていなかったとか生まれるまで言うの忘れていたとか。
魎も毎回納得するわけじゃないが、それでも"次に会ったときに祝ってやれ"というと大人しくなる。


ただ、何故か今日だけは苛々していたのだ。



「――……教えたぞ」


恐ろしく冷たい声だった。
その声色に魎は一瞬目を見開いた後、眉間に皺を寄せて首を横に振る。


「聞いてねぇよ」

「教えた。昨日も一昨日もその前も。毎日お前に話した」

「え?……嘘つくなよ、俺聞いてねぇもん」


狒狒は嘘などついていない。
全てが真実で、現実。

魎はちゃんと毎日聞いていた。
だけど魎も嘘などついていない。



「―――……っお前が忘れちまうだけじゃねぇかっ!!」


どんなに話して聞かせても、魎の耳には届かない。


「っ!?」

「いい加減にしろ魎!なんで忘れてしまうんじゃ!こんなに毎日話してるっていうのに!」

「な…っに言ってっか全然わかんねぇよ!忘れるって何だよ!ボケんのはまだ早ぇぞ!」


怒鳴ったところで何も変わらないことなど分かりきっていた。
なのに頭に血が上り過ぎて、もうどうでも良くなっていた。


「ボケてんのはお前じゃろうがっ!ガキの成りして痴呆なんざふざけるな!忘れてねぇなら昨日話した内容言ってみせろ!」

「ああ良いぜ!えーと………ちょ、ちょっと待てよ!今思い出すから…」

「っどうせ全部忘れとるんじゃ…!そして明日になれば、今日のことも忘れる……」

「んなわけねぇだろ!お前さっきから何言ってんだよ…意味わかんねぇ…」


ひとしきり怒鳴りあった後、魎は静かに「……寝る」と一言残して自室に向かった。

感情に任せてしまった後に後悔の波が押し寄せる。
今まで守ってきたものを自分の手で壊してしまった。


だが魎は違う。
明日になれば、喧嘩したことも忘れて何事もなかった顔で挨拶してくれるんだろう。


それが容易に想像できて、狒狒は思わず奥歯を噛み締めた。

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