永遠の開始



最初の異変は、ずいぶんと昔のことだった。
時代は江戸で、リクオどころか鯉伴すら生まれていなかった。


「――…あれ?なんでまだいんの?」

「あ?」


心の底から不思議だという顔をした魎。
いちゃ悪いのかと悪態をつきそうになった狒狒は小さな青筋を浮かべるものの、魎の次の言葉で目を点にさせた。


「今日って総会だろ?お前幹部じゃん、早く行って来いよ。総大将待たすなって」

「は?」

「え?」


腹の立つ第一声の後、魎は素っ頓狂なことをほざく。



「総会は昨日じゃ。とうとうボケたか?」

「はぁ?嘘つけ、昨日は」


その続きは聞こえなかった。
魎が口を開けたまま固まっている。
パチパチと瞬きを繰り返した後やんわりと首を傾げた。


「あれ?俺って昨日何してたっけ?」

「はぁ!?」


ただの冗談のつもりだったのに、まさか本当にボケるとは。
最初の頃の狒狒の感想はそんなものだった。


「え?待てよ。ってことは俺の言う今日が昨日で、昨日が総会なら俺の昨日は二日前ってことで…じゃあ俺って二日前何してた?二日前…んー……いや、そんなはずねぇよ、昨日は昨日だろ。昨日昨日きのう昨日きのー昨日昨日…ダメだ、そもそも昨日って何だ?意味わかんなくなってきた……」

「……もう止めろ、こっちの気がおかしくなる…」


呪文めいたように言葉を紡いで悩みだした魎を止めて狒狒は頭を抱える。


なんだコレは。
どうしてこうなった。


「……魎、お前疲れてるんじゃな……。今日はさっさと寝ろ。そして明日は元のお前に戻っといてくれ、頼む」

「なんだよ、病人みてーに扱うんじゃねーよ」

「悪かった。すまん。だから寝ろ、今すぐ寝てくれ」

「……わかった。ちぇ、俺間違ってねーのに……」


ぶつぶつ文句を垂れながら部屋に戻っていく魎を見送って、おもむろに酒瓶に手をかける。



昨日の夜に「行ってらっしゃい、総大将によろしく」つって送り出したのはお前じゃろうが。

朝方帰ってきた自分を「酒臭ぇ、さっさと風呂入って来いクソ猿」つって冷たくなった(ほぼ水)風呂に叩き込んだのはお前じゃろうが。

病気になりてぇのはこっちの方じゃ…。



小さな苛立ちと不安は、この時はまだほんの序の口に過ぎなかった。



次の日、目が覚めたら太陽も昇りきっていた。
昨夜は酒も進まず、体調は良いが気分的にすっきりしない朝(= 昼)だ。

屋敷の奥から味噌の香りが漂ってくる。
寝癖をつけたまま狒狒が台所に向かうと昨日のことなど無かったかのように魎はせかせかと動き回っていた。


「起きたぞー、メシー」

「おう、用意出来てっぞ」


目の前に並べられた朝餉を見て、軽く安心した。
昨日の朝とは違う内容のそれに、やっぱり一時的なもので、ただ疲れていただけなんだろう。


「お前よー、昨日みてぇなこと二度としてくれるなよ。相方がボケるなんざ見たかねー」

「あ?朝から喧嘩売ってんのかテメー。お前より先にボケるはずねぇだろ」

「ボケてたじゃろうが、実際」

「……さっきから何言ってんの?もう良いからさっさと食えよ」


相手にするのが面倒だと言うように魎は茶の準備をしていた。
一抹の不安が狒狒の脳裏によぎる。


「………魎」

「あー?」

「今日の晩飯、何じゃろうな?」

「……今起きたばっかだろ、お前…」


湯飲みを差し出しながら魎は呆れた顔。



「今日は総会だろ?姫さんと雪麗のうまい飯としか答えようがねぇよ」



肩をすくめた後、魎は袖をまくって先に食事を済ませた自分の食器を洗い始める。
そんな魎の背中を、狒狒は血の気の失せた表情で見つめていた。

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