神様ありがとう 「よう、魎。調子はどうだい?」 「おお鯉さんか。ぼちぼちだよ」 このやり取りはずっと変わらない。 初めて出会ったのが2年前で、それからずっと一字一句違えることなく最初の挨拶となっている。 「魎さんよ!もうひと皿追加しておくれ」 「あいよ、鯉さんも食っていってくれよ」 「勿論そのつもりだ」 「はは、いつもすまねぇな」 名前は空いた机を片付けて店の奥へ入っていった。 今しがた魎を呼んだ客は親しげに「本当に美味くなった」と力一杯魎の背中を叩いた。 頑固で有名な旦那さんが営業用に笑みを保って茶を持ってきた。 「ゆっくりしておくれや」 「おう。ありがとよ、旦那さん」 奥では魎が団子をこねている様子が見えた。 ――ようやく目に光が灯った。 出会ったときは死んだ魚のような目をしていて、壊れた笛のような一定の掠れた声色で行き交う人間からの慈悲を仰いでいたのに。 「おや鯉さん、また来てくれたのかい?」 「よう、女将さん。アイツの様子はどうだい?」 「来た時はどうしようもないボロ雑巾だと思ったけれど、今じゃ見ての通り立派にやってるよ」 他の客と話していた女将さんがヨモギ餅を持ってやって来た。 「こうしてみると、中々の男前だろう?」と言う女将さんはまるで魎の母のようだ。 物乞いをしていた魎を拾って、近くの団子屋に預けたのが2年前。 それから半年間の魎は店先に立って死んだ目と死んだ声で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言う仕事を貰っていた。 客に声をかけるたびに大きな声を出せと女将さんの大きな怒りの声が店内に響いていたのも今では懐かしい過去。 「食ってみなよ、上達したろう?」 「…ん、本当だな。これなら食える」 ヨモギ餅はほどよい甘さと弾力で喉を滑り落ちていく。 最初の頃はまるでほぼ水じゃないかと思うような羊羹や、外身はまともなのに中身は粉のままの団子、ガリガリと芯の残った桜餅が出てきた。 見事な進化だ。 「これでようやく怖いもの見たさの常連以外の客にも魎のが出せるよ」 「はははっ!世話かけちまったなぁ」 「良いんだよ、最初はびっくりしちまったけどね。今じゃ亡くした息子が帰ってきた気分さ」 悲しそうに嬉しそうに呟く女将さんの懐にはきっと今なお息子さんの形見である髪紐が入っているんだろう。 子供の時に川で遊んで亡くなったと聞いている。 魎が施しを受けていたのもその川辺で、狙ったつもりはないが良い塩梅に世の中まわっているようだ。 人の良い女将さんで助かったのは魎と、その魎を連れて来た鯉伴である。 旦那さんはやはり反対していたが、真摯に頼み込む鯉伴の姿に胸を打たれて生きた死人の魎を預かることを了承した。 細々と魎の世話を焼いていく2人は、鯉伴から見ても立派な家族であった。 江戸を守るという信念は、こうして実行されていく。 2つ目のヨモギ餅を手にして、鯉伴は空を見上げた。 ああ、今日も平和だ。 「鯉さん、味はどうだい?」 「うめぇぞ、やれば出来るじゃねぇか」 「鯉さんにそう言ってもらえると本当に嬉しいな」 魎がみたらし団子が3本乗った皿を持ってやって来る。 嬉しそうに笑う魎が女将さんから「ちゃんと礼を言いなさい」と小突かれているのを見て鯉伴は笑った。 「鯉さん、ありがとう」 「何をだい?」 「…ん〜…神様を紹介してくれて?」 「ぶはっ!!あははははっ!何じゃそりゃ…!」 声を上げて笑い出した鯉伴を悪戯成功とでもいうかのように魎は八重歯を出して目を細める。 そして、助けてくれた鯉さんも神様なんだよ。 魎の心は今日の晴天のようにほわりと温かかった。 [*前] | [次#] 【戻る】 |