子供が大人に変わる瞬間 白装束に着替える様子をじっと見つめていた。 まだ夜だというのに、どうせ眠れないならばもう支度をすると言った魎の顔は穏やかだった。 「…本当に痣があるのう。背中一面、蛇のようだ」 「ええ。私が生まれた後、痣を見た父は気を失ったそうですよ」 わずかに期待していたのだ。 もしかしたら死なずに済むのかもしれないと。 だが、やはり無理そうだ。 壊れた生への執着は粉々になって戻らない。 諦めてしまえば、気持ちも落ち着く。 「しかしさっきの話…どうも腑に落ちんな…いくら怒りが静まらんとは言えども何百年も生贄を求める必要があるのか?」 「水神様…大事なところをおっしゃっておりませんでしたからね」 「どういう事だ?」 帯を締めながら魎は苦笑する。 この顔はどうも好きになれない。 一度だけ見た子供らしい笑顔の方が、断然似合っていた。 「水神様はご先祖様に惚れたのです。池に身を投じた後、水神様に兄を許せと懇願したそうです。ご先祖様のお優しい心根に惹かれたと、以前お話をした時におっしゃっていました」 ただ人の命は短く、わずか数十年で先祖は死んだ。 純粋な魂は留まることなく消えていく。 嘆いた水神はひとつの呪いをかけてしまった。 「ご先祖様が消失し、それ以降私の家系にこの痣を持つ子供が生まれました」 「…それってただの醜い執着じゃねぇか」 「水神様ですから。それに…随分とご先祖様も水神様を慕っていたんですって。だからこそ呪いを受け入れてしまったんです」 狭く場所で長い間2人で過ごした時間は恐怖を羨望に変え、羨望を情愛に変えてしまった。 優しい人が嫉妬深い人を好いてしまった。 嫉妬深い人が悲しむ様を見たくなかった優しい人は、その想いゆえに子孫を差し出してしまった。 「これもひとつの愛なんでしょうね」 「だとしても魎が犠牲になる必要なんてあるめぇよ」 「あるんです」 現に、雨は降らない。 水神は今尚求めている。 乾いた心を訴えるように、太陽は照りつけて村は日ごとに荒んでいく。 自分の命で皆が助かる。 ならば喜ぶべきことなのだ。 そういう星の元に生まれてしまった、ただそれだけのことなのだ。 「水神様は、寂しがりなのです」 「……何だかんだで、お前も惚れちまってんのかい?」 「さぁ…生まれる前からの運命なので、気持ちも操作されているのかもしれません」 ぬらりひょんは大きく息をついた。 妖怪の自分が人間を助けたいと思うわけは無い。 ただ心の奥底で生まれた炎はちらちらと火の粉を散らしている。 水神が気に食わない、それだけの感情なのかはわからない。 こうして運命を受け入れている魎にも怒りが沸いていたのだ。 「命が惜しくは無ぇか?」 「…惜しめば助けてくれますか?」 「ああ」 「ふふ、ありがとうございます。でも、惜しくないです」 妖怪の世界などわからない。 だけど先の2人の会話から様々な暗黙の了解がある事が覗えた。 だとすれば、邪魔をするとぬらりひょんに危害が被る。 最悪の場合も起こるかもしれないのだ。 「……これもひとつの愛のかたちですね」 「あ?」 「いえ、独り言です」 「そうかい……ま、達者でな」 陽が昇り始めた。 きっと今日で最後になるであろう強い日差しが山間から差し込み始めた。 「……ぬらりひょんさん」 「惜しくなったか?」 「いえ、……貴方に出会えて良かったです」 「…お前さんの短い人生に花を添えられたならワシらが出会った意味もあるだろうな。…じゃあな魎」 窓から外に出る瞬間に魎を見ると、一番似合うと思っていた笑顔で手を振っていた。 やるせない気分を打ち消すように、疾風の勢いでぬらりひょんは村を後にした。 恋も愛も十五年しか生きていない自分にはわからない。 だけど、それに近い感情は知ることが出来たのかもしれない。 「――…この運命でなければ、身も心も貴方に捧げることが出来たのかもしれませんね」 大人びた口調で小さく呟き、父が用意した魔除けの香を焚く。 自分が生きたいと言えば、彼は死ぬかもしれない戦いを挑むことだろう。 生に執着することで大切な人が傷つくのであれば、喜んでこの命を投げ出そう。 村を守ること以外にも、死に意味が出来たことを魎はひっそりと喜んだ。 [*前] | [次#] 【戻る】 |