負ければそれが糧となる



夜だというのに異常な存在感を見せる湖は、星の輝きを受けて更に神秘的なものになっていた。
規模こそ大きすぎはしないが、底が深い様子を教えるように透き通った水の奥は闇色だった。


魎の案内でやって来たぬらりひょんがぴたりと足を止める。
底知れぬとは言ったものだ。
異様な美しさを放つ湖に、眉を寄せる。


「これは…?」

「私の村の守り神が住まう湖です」

「何?」


トンと地面に足をつけて、魎は湖に近づいた。
腕を引っ張って、力づくでそれを制止させたかった。
だが、ぬらりひょんの足が動かない。
動けないのだ。


「魎っ!?」

「大丈夫ですよ」


池の淵で魎は安心させるように笑う。
その複雑な思いの込められた視線がぬらりひょんから湖へと移動した。


「…水神様。魎です」


湖面が微かに揺らぐ。

やはり、とぬらりひょんは小さく舌打ちをした。
同属の気配に緊張感を高める。
だが水神様と呼ばれたモノが出てきたとして、自分に何が出来るのだろうか。
足がこれ以上進まない。

知らずの内に、畏れていたとでもいうのか。


…どうした?まだ約束の時刻では無いというのに

「…眠れなかったんです」


姿は見せずに池の底から低い声が辺りに響き渡る。
闘わずに済みそうな様子にぬらりひょんは小さく安堵の息をついた。

そして同時に沸き起こる疑問。


「…約束だと?」

なんだ?誰かおるのか?

「知人に連れて来て貰ったのです。1人で出歩くのは危ないですから」

…知人?妖怪がか?


ならば顔を見てやろう、と湖の主が波音立てずに浮かび上がる。
上半身まで姿を現してぬらりひょんを見やると「ふぅん…」と興味無さ気に呟いた。


「見ない顔じゃのう」

「…そうじゃろうの。ワシは転々と移動しておるからなぁ」

「かと言って勝手にワシのシマに上がらんで欲しいのう…礼儀を知らぬ、若い妖よ」

「そいつぁ悪かった。ワシはぬらりひょん。ぬらりくらりと生きる妖よ。挨拶が遅れちまったな」

「…聞かぬ名じゃなぁ……あいわかった。ぬらりひょんよ、魎の共をしてくれて感謝いたすぞ」


完全に見下された発言に青筋を浮かばせるも、魎が苦笑しているから怒りを発散させることは止めた。

土足で縄張りを踏み荒らしたのは確かに自分。
どうも妖怪の気配があまり感じられなかった山だったが、想像以上の大物が支配していたというわけだ。


「父が用意してくれたので禊をしたんですが、効かないものなんですね」

「弱い輩には効くがの…しかしあやつ、未だ納得しておらぬのか」

「お優しい人ですから」

「…おい魎、どういうことだ?」


一抹の不安が過ぎった。

魎は眉を下げてぬらりひょんを見据える。
口元はわずかに上がっていたが、その顔には申し訳ないという思いがありありと映っていた。


「明朝、私は水神様に嫁ぐのです」

「……それ、俗に言う…」

「……人柱、です」


だから今夜来てくれて良かったと、嬉しそうに魎は続けた。

しかしぬらりひょんの胸中は穏やかではない。
何故、という疑問が渦巻いていた。


「お前が生贄になる必要なんて…」

「…あるんですよ」

「生まれる前からの約束じゃ。のう魎や?」

「ええ…、以前お話しましたよね?私の名は、私の家を豊かにしてくれたご先祖様に由来したと」

「ああ…」


水神がこの地を統べて数百年。
穏やかな時間は突然崩れ、今と同じように日照りが続くようになった。

誰かが水神を怒らせたのだと噂が広がるのにそう時間はかからなかった。


「その昔、どこぞの阿呆がワシの湖で人情沙汰を起こしてなぁ…せっかく透き通っておった水も赤く淀んでしもうた。ワシの怒りはそうそう治まらぬ。下手人か身内を差し出せと申してやったのだ」


日照りは今以上に厳しいものだったという。
事件の発端は当時の領主が、既に人のものであった女に惚れたことにある。
ありきたりで、水神にはよく似合う嫉妬話だ。

女の旦那を殺し、女を得た変わりに大きなしっぺ返しを喰らってしまっただけの話。

信頼は失せ、村人は困窮し、己の命を出せとの命令がやって来た。


「心優しき下手人の弟がワシの湖に身を投げた。だがなぁ、ワシはしつこいのだ。下手人の血筋が続くことが許せなんだ」

「…それ以来、この儀式は続いています。生まれたときに背中に鱗のような痣を持って生まれた子供は魎と名付けられ、元服を過ぎると村を守るために死ぬのです」


それが丁度自分だったというだけの話。

命を受けたその時から、既に決められていた運命。


「…魎や、そろそろお帰り。明日からどうせずっと一緒なのだ」

「はい」

「ぬらりひょんよ、…無粋な真似はせぬ方が身のためじゃ」

「……肝に銘じておこう」


解せないという気持ちを示すように殺気を飛ばしてくるぬらりひょんをあやす様に水神は優しく諭す。

どんなに足掻いても勝敗は目に見えている。
拳を握って、生まれて初めて強く力を欲した。

[*前] | [次#]
【戻る】

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -