平日の昼間。リョウの通う女子高では楽しげにはしゃぐ声が響いていた。 「あ、リョウのそれ美味しそう」 「あげないよー」 「えー、良いじゃん。ハンバーグと交換しようよ」 リョウも漏れることなく、息の詰まる授業の合間にもうけられた昼休みを堪能していた。 数人の学友と机をひっつけて若菜が作った弁当を摘みながら、おかず交換を提案してきた友達の申し出に首を振る。 「やーよ。私もこれ好きなんだもん」 形の良い出汁巻き卵は若菜の好みで少し甘め。 細切れの野菜がほのかに色味を足していて、見た目も味もリョウのお気に入りだった。 「ちぇ、じゃあ良いですよーだ」 「あ、そうだリョウー。見て見て、可愛いでしょ?」 「何ソレ、すごーい!自分で作ったの?」 「あはは!そんなわけないじゃん、ママが作ってくれたんだよ」 「へぇ〜、良いねこれ」 頬を膨らます友人を遮るように、鞄から携帯電話を取り出したもう一人の友人がストラップとしてつけられた小さなあみぐるみを机の上に座らせる。 普通の編んだ人形とは違い、幼すぎることなく少し辛めなテイストのそれは様々な色の糸で編まれており、そこにあるだけで大きな存在感を醸し出している。 「可愛いなぁ、良いなぁ」 「あげないわよ」 「出汁巻き卵と交換しよ?」 「ちょっとー…だったら私のハンバーグと交換してよう」 コツンとあみぐるみを指で突いて、リョウは物欲しそうな声を出す。 この私立の女子高は、学費が馬鹿高いことで有名だ。 だから自ずと入学する女子生徒は皆が相応の家柄の出身で、似たような価値観を持っていた。 「作り方はネットに載ってるみたいだよ」 「作れるかなぁ…」 「ママは一晩で出来たって言ってたけど」 「取り巻きの誰かに似たようなの買ってもらえば?」 「この手作り感が好きなの」 欲しいものはどうやってでも手に入れる考えを持つ娘達の集まりは、いざこざなど無く平和であった。 誰もが男をとっかえひっかえ。 誰もが親の権力にものを言わせて自分の欲望を貫き通す。 「今日は早くおうち帰ろっと」 「遊ばないの?彼がリョウに会うの楽しみにしてたのに」 「今夜は女らしく編み物するって決めたもん」 「そんな事しなくたってリョウはいつだって女らしいわよ…」 ただ、その中でもリョウが郡を抜いて整った容姿をしていただけのこと。 リョウが予定をキャンセルしたことで、友人の一人が内心ホッとしていたのは誰も気づかなかった。 *** 夕食も食べて、お風呂も入った。 髪と肌の手入れをした後は、くつろぎの時間。 「首無、糸ちょうだい?」 「糸…ですか?髪紐でなく?」 「うん。首無がたまにくれるぬいぐるみに使ってる感じの糸が欲しいの。色も違うの沢山あると嬉しいなぁ」 首無の部屋の戸を開いたリョウは、一歩も部屋に入ることなくその場で欲しいものを伝えきる。 発した言葉からリョウが何をしようとしているのか分かった首無は、戸棚から糸を取り出しながら一つの提案を促した。 「形を教えていただければ作って差し上げますよ?」 「いやよ、自分で作るって決めたんだから」 部屋の入り口で首無から両手いっぱいの糸を受け取ったリョウはすぐさま提案を棄却した。 思い立ったらすぐに行動に移す。 それが欲しいものに繋がる場合は殊に頑固になる。 「そうですか…」 「うん」 「え、お嬢…!?」 少し残念そうに首無が声色を落とすと、リョウはそのまま首無の部屋に入っていった。 文机の上には通常より小ぶりの編み棒が置かれてあり、近くに座ったリョウは印刷したあみぐるみの作り方を見ながら静かに作業を開始する。 「わかんなくなったら教えて?」 「は、はい…!」 ずっと部屋に入ってこなかったものだから、糸を手に入れたらすぐに自室に戻るとばかり思っていた首無は部屋の戸を閉めながら笑顔で頷いた。 先ほどの行動は、牽制。 首無の部屋の前にリョウが居たことを、家族の多いこの家なら誰かが目撃している。 だから首無はうかつに手出し出来なくなった。 リョウに何かがあれば、それは首無の責任となってしまうからだ。 「出来るとこまで独りでやってみるから、首無は自分のことしていいよ」 妖怪たちが自分に甘いことを16年間身に染みつけているリョウは、二人きりという状況に頬を緩ませている首無を見てにっこりと笑った。 浴衣ではなく薄手のルームウェアに身を包んでいるリョウにちらちらと首無が視線を送る。集中しているリョウはそれに気づかず、黙々と編み棒を動かしていた。 そこにいるだけで…部屋が華やぐとは…。 幼少期と違い、成長したリョウはあまり本家の者と二人きりになろうとしなかった。血の繋がる者とは平気で部屋を行き来するが、本家勤めの妖怪たちとは少し距離を置いて接していた。 もし二人で会話をしたとしても、常に誰かの視線がある。 だからこそ首無は歓喜する。 それと同時に、小さな胸の痛みを覚えた。 手を伸ばせば触れられる位置にいるというのに、なぜか遠く感じてしまう。 リョウの中では、自分は下僕のひとりに過ぎないと自覚してしまうのだ。 「……うーん…」 「…お手伝いしましょうか?」 首を傾げて唸るリョウに首無は手元の書物を閉じて近くに座り直す。 隣に座るような勇気は無かった。 「ここってどうしたら良いの?」 「えーと……あ、わかりましたよ。貸してください、そこだけ私が編んで差し上げます」 資料と製作途中のクマの頭を見せられ少し頭を捻ったが、何度も似たようなものをリョウのために作り上げた経験から首無は笑顔で手を差し出した。 それを、リョウはやんわりと首を振って拒否をする。 「首無がやっちゃダメよ。教えてくれなきゃ」 「え…?」 体をにじりながら首無のすぐ目の前に対座したリョウは、大きな瞳を細くして笑った。 胸元で編む格好のままの両手は、動かされるのを待っている。 「どうするの?」 「あ…は、い……えっと、まずは…」 恐るおそるリョウの手に触れた首無は、かぁっと体が熱くなるのを覚えた。 触れてはならない存在に今まさに触れることが出来ているのだ。 「ここを…この糸の間に……」 「首無、もっとちゃんと手を持ってよー」 「っ、すみません……では…」 見上げてくるリョウの顔が本当に近く、思わず首無は体を強張らせる。 まるで禁忌を犯している気分だった。 小さくて細い手を掴み、卒倒しそうになる気持ちを抑えて首無は編み物に意識を集中させる。 リョウは完全に手に力を入れていない。 されるがまま、首無に自分を任せている。 それが、何よりも首無を喜ばせた。 「へぇ〜、そうやるんだね」 「資料の絵が詳しいので…でも初めて編むには難しいですよ、これ」 「だって友達のが可愛かったんだもん」 人形の頭を完成させると次は様々な色の糸を編みこませて体を作り上げていく。 「服の色はどうします?」 「えっとね、ピンクと白と黄色と…」 リョウの選んだ華やかな色の紐を細やかに編んでいく首無は、まるでリョウの分身を作っている気持ちになる。 全てリョウの好みで彩られているのだ。 最初にリョウがひとりで編んだ部分は少しいびつな形となっているが、それすら可愛らしく思えた。 「ここまで編めば後は簡単ですよ」 「本当?」 「ええ、ご自分でされますか?」 「うん」 本心では、離したくなかった。 だが自分で作りたいと言ったリョウの気持ちを無碍にするわけにもいかない。 時間も大分遅くなっている。 これ以上部屋に留めてしまうと、流石に誰かから苦言を呈されてしまうだろう。 「じゃあ部屋に戻るね」 「はい、あまり遅くまでされないようにしてくださいね」 「はぁい」 糸と編み棒と資料をまとめたリョウが立ち上がり、部屋の外に向かう。 名残惜しい気分を噛み締めながら、首無も戸口まで見送りに出る。 「おやすみ首無、ありがとうね」 「いいえ、お気になさらないでください。おやすみなさいませ、リョウ様」 手を振るリョウに同じように手を振り替えした首無は、リョウの姿が廊下の奥に消えるまで見送っていた。姿が見えなくなる瞬間にリョウが再度振り返って大きく手を振ったことに微笑み、ようやく部屋の中へと戻っていく。 ほのかに部屋に残ったリョウの香りに包まれて、首無は幸せそうに自分の手を見つめた。 *** 次の日の朝、眠そうなリョウが掃除に取り掛かろうとしていた首無を見つけ笑みを作った。 「首無」 「お嬢、おはようございます」 「うん、おはよう」 挨拶を交わし終えると、リョウは制服のポケットから小さなあみぐるみを取り出した。 やはり独りで編むのは難しかったようで、少し糸が緩んでいたりはみ出ている。 それでも、リョウが作ったその人形は可愛らしく手のひらの上で座っていた。 「出来たんですね、お上手ですよ」 「でも寝不足だよー。やっぱり首無みたいには出来なかった…」 ここの部分がね、難しかったんだよ。 人形の足の部分を指差しながらリョウは少し不満気だった。 そんな姿を見ると心が温まるのを感じる。 「お可愛らしいですよ、お嬢によく似ています」 「本当?」 「ええ」 本心からの言葉だった。 褒められるとリョウは嬉しそうに笑い、手に持つ人形を首無に差し出した。 「これ首無にプレゼントだよ」 「……はい…?」 「いつも可愛いの作ってくれるから、たまには私から何か作ってあげようと思って」 くい、と人形の頭を傾けてリョウは続けた。 「ちょっと変になっちゃったし、結局首無に助けてもらったけど…いらない?」 「え、あ、いや…いります!嬉しいです…っ!」 「良かったぁ」 本当は首無の部屋で作り上げて渡すつもりだったが、思った以上に時間がかかった。 首無の普段の苦労も知ることが出来て、リョウは改めて感謝していた。 「いつもありがとう、首無」 人形を首無の手のひらに置いたリョウは、指の腹で軽く人形の頭を押さえてお辞儀をさせた。 「あ、お嬢!こちらにいたんですか、お迎えが参りましたぞー!」 「わかったー、教えてくれてありがとう烏天狗」 後ろから現れた烏天狗の言葉に、リョウは首無のもとから離れていく。 その華奢な後姿を首無は微笑みながら見送った。 「お嬢、本当にありがとうございます!」 角を曲がる瞬間に言うと、リョウは足を止めて首無を振り返った。 「…私だと思って大事にしてあげてね?」 リョウは悪戯っ子のように笑った後、迎えに来た人間の男のもとへと向かって行った。 大事にしないわけがない。 昨晩、共に過ごせたことだけでも嬉しいというのに、こんな思いがけない贈り物があるなんて。 手の中に残ったリョウの小さな分身を、首無は宝物を見るように眺めていた。 [*前] | [次#] |