今日の仕事はもうすでに終えていたから、ただ廊下を歩いていた。
本当にそれだけだった。


「よっ!」

「え」


かけられた声に反応するや否や、急に視界が低く、目線は床に。
首が落ちた。いや、落とされたと気づいたのは、本当にあと三寸で床と口吸いをしてしまう距離まで落下していた時だった。


「ほっ!」

「え」


ピタリ、と床から一寸手前で首が止まった。
耳に当てられた手がしっかりと俺の頭を支えている。
くるりと視界が変わって、棒立ちの俺の体があった。


「元気?首無?」

「たった今死ぬかと思いましたよ、魎様…何しやがるんですか!?」

「あっはっは!元気だな!良いことだ」


俺の頭を目線まで持ち上げる魎様は子供のような笑みを浮かべている。
いや、実際子供だ。図体がでかいクソガキだ。


「何か用でもあるんですか?わざわざ頭落とすなんて…」

「いや、特に無い。目の前にふよふよ浮いてる頭があったから気になって落とした」

「…アンタ、どんだけ俺がここにいると思ってるんですか!?いい加減慣れただろ!?」

「慣れたは慣れたんだけどねぇ…」


またもや視線は床に。
首のあった場所を見られているのだろうか?
そう思っていたら、髪の毛の襟足を摘まれる。


「痛っ!?髪引っ張らないでくださいよ!」


ピンピンと何度も毛を引っ張られて、何かを確認しているようだ。
本当に子供だ。
まるでアリの巣に水を流し込んで溺れるアリ達を見ながら大笑いしているガキ大将だ。


「首無って首無いのに、襟足はあるんだな」

「髪は別ですからね…」

「うなじはないのにな」

「首は無いですからね…」

「でもココ、何か色っぽいよな」

「はぁ!?」


ワシっと髪を掴んでうなじがあった部分を見ながら「どういう仕組みになってんの?」と言う。
俺からしたら、アンタの頭がどういう仕組みになってんのか知りたい。


「何ですかもう…欲求不満なら色町行ってくださいよ…」

「うーん…欲求不満か、そうかもしれんなぁ」

「男に欲情してる場合じゃないでしょう、さっさと嫁貰えば良いんですよ…」


黙って座っていれば見れないことも無い。
寧ろ総大将や鯉伴と張るほどの美丈夫だというのに、残念な脳みそのせいで残念な雰囲気になっている。

気づいているのか、わざとなのか。
それを知るにはまだ魎様との過ごした時間が短い。


「つれないなぁ。口吸いするぞ」

「やめてくださいよ、アンタの首も落としますよ」


離れてしまった体が糸を構えると、残念そうに再び「つれないなぁ」と言う。
多少の本気が伝わったのか、ようやく頭を体に返してもらった。
ああ、やっと落ち着く。


「なぁ、首無」

「なんですか?」

「俺を抱いてみない?」

「…………は?」


頭の居心地を確かめている矢先の爆弾発言に、思考回路が止まってしまった。
口が開いたままだ。
なのに魎様は「今から遊びに行こう!」とでも言うかのような笑顔。
なんなんだ、本当にこの人は。


「…………何でですか、お断りしますよ」

「そんな間を空けなくてもいいのに。流石の俺も傷つくぞ」

「アンタの心臓はそんなヤワじゃないでしょうが…ていうか本当にさっさと色町行けよ」

「だってこの前に大量出費したから懐寂しいんだよなぁ…」


そういえば先日にこの人の部屋を掃除しに行ったら凄い豆の袋が積み重なっていた。
どうした、と聞く勇気も無かった。
節分の日に牛鬼殿が珍しく足音立てて本家から帰る姿を見ていたから、なんとなく予想はつく。


「しょうがないなぁ…紀乃ちゃんの乳でも揉んでくっか」

「待て!何がしょうがないだ!どうしてそうなんだ!」

「紀乃ちゃぁあん!おっぱい触らしてぇぇえ!」

「ちょっと待てコラァアア!!」


ふざけんなよこの色情魔!
なんでそんなに目を輝かせてるんだよ!
本気か!?本気なんだな!!

脱兎の勢いでと走り去る魎様を追うが、角を曲がったところで姿が見えなくなった。
ムダに身体能力高いことは知っていたが、こんな時に使う必要もないだろうに!


「え、ちょ…紀乃っ…!」

「呼んだ?」

「………え?」

「何だい、バケモノでも見るように…」


振り返ると「まぁ、バケモノだけどね」とクスクス笑う紀乃がいる。
どういう事かわからない。
あの人どこに行った?


「……魎様は…?」

「魎様?知らないわよ」


キョロキョロとあたりを覗っても姿どころか気配も無い。
本当に、どういう事だ?
ただの冗談だったというのか?


「どうかしたのかい?」

「いや、ちょっと…」

「魎様にからかわれたんだろう?首無は真面目だからねぇ」

「からかわれた……だけなら良いけど…」


どこから本気でどこから冗談かがわからない。
抱けと言われたのも冗談なんだろうか。
それはそれで構わないが、なんか腹立つ。






「――…ということで首無に振られた」

「そいつぁお前がいかん」


紀乃ちゃんのおっぱいは触りたかったけど、やっぱり思いなおして総大将の部屋に来た。
扉を開けて仁王立ちして「俺をかまえ!」と叫んだら将棋の相手をさせらることになった。
何か違うけど、まぁ良いや。


「義兄貴ー。金くれよー。花買ってくるからさー」

「無駄遣いする方が悪い。大体さっきの話からしても…お前は女を抱きたいのか、男に抱かれたいのか全くわからん」

「どっちでも良いよー。気持ちよければそれで良いよー」


出すもん出せればそれで良いんだよ。
ケチ大将はそれでも金をくれない。
その煙管を質に入れるぞ、この野郎。


「ったく…ほれ、王手」

「あ」


最悪。つまらん。
意地悪大将の煙管を奪って煙を体内に入れたけど、それでも気分は全く晴れない。


「やってらんねぇー」

「さっさと嫁貰え」

「バーロー。貰ったら遊び歩くこと出来なくなるだろうが」

「鯉伴の代から入った奴らはお前の色狂いを知らんからのう…そろそろ腰を据えても良い頃じゃろうが」

「酷い言われようだな。誰にだって性欲はあるだろうに、俺ばっか悪者みたいに…」


色気違いと言われ続けて数百年。
どいつもこいつも自分のことを棚にあげて俺ばかり好色家扱いする。


「そのムダに良い面引っさげてさっさと女を落として来んか」

「失礼な。俺の顔はムダじゃねぇよ」

「中身が伴っておらんからムダじゃ」

「酷ぇ」


つまらん、と煙管を灰皿に叩きつける。
カン、と鈍い鉄の音が俺の乾いた心に響いた。

寂しがりやのウサギだって万年発情期なのに、俺は許されないとでも言うのだろうか。


「あーあ、まぐわいたい…」

「頼むから新参者の前ではあまりそういう事言ってくれるなよ」

「この際アンタで良いから俺を抱かない?」

「最初からワシに言えばやってやらんことも無かったがな。断る」

「酷ぇ」


行き場の無い欲求はモヤモヤしたまま俺の下腹部に溜まっている気がした。
実際、溜まってるけどね。

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