例えばそれが嵐であったら、もっと前兆というものがあったのだろう。


「おはようございます」

「え?あ、おはようございます…」


にっこりと、花が咲くように笑う相手に首無は酷く戸惑いを覚えた。
いつものように敷地の門を掃除していると、ふいに背後から声をかけられ振り向いたら絶世の美女。

不躾に目を動かす首無に、女はしなを作りながら色っぽく笑った。


「ここに魎がいると聞いていたのだけれど…今いらっしゃるかしら?」

「え?」

「青北、と言えば分かると思うのだけれど…」


あおぎた、そう名を告げた女は土産と風呂敷包みを手渡し、再度「いらっしゃるかしら?」と首を傾げた。

確かに魎はいる。
いるにはいるが、この女は魎の何なのだ。
またどこかの女郎屋で買った女かと思うが、それにしては雰囲気が怪しい。

人ではないことは一目で分かる。


「す、少しお待ちください…!」


右手に箒、左手に土産を持った首無は屋敷の中にすっ飛んでいく。

まさか恋人だろうか。
いや、それは魎の性格から考えても有り得ない。
ひとりの相手に絞るよりも、より多くの相手から愛を得たいと思う幼稚な思考の持ち主なのだ。

だとすれば、あれは誰だ?


「っ魎!様!!お客様がいらっしゃってますよ!!」

「…今さぁ……首無…完全に呼び捨てにしてたろ…後付けで"様"を足しただろ…」


足音大きく魎の部屋にやって来た首無はスパーンと障子を勢いよく開いたと同時に一発で目を覚ますために大きな声で要件を告げる。
のそりと布団から頭を出した魎は眉間に皺を濃く刻みつけたまま、二度寝の体勢に入ろうとしていた。


「青北様、と申しておりましたよ!」

「いや、聞けよ人の話…なんだって若い奴らは俺のこと舐めてかかってんだよ……って、え?」


あおぎた?と魎は寝ぼけた声で呟いた。
こくり、と首無は頷く。


「そいつ、どんな格好してた?」

「朱色地に大柄な模様の着物を粋に着こなした美女です」

「……ありがとう、把握した」


布団から起きたと思えば頭を抱えてまた布団に沈む。
朝日は昇ったばかり。
本来であればまだまだ夢心地に朝寝を楽しむはずであったのに。


「……来ちまったもんは仕方ねぇよなぁ…」


追い返すのも、首無の興味津々という顔を見ると気が引ける。
確かにアレは誰の目も奪う美女だ。
見かけは。


「総大将にも伝えといて。青北が来たから俺は今日一日遊んでくるって」

「そうでなくても貴方はいつも遊んでるじゃないですか」

「うるせぇ押し倒して服ひん剥くぞ」

「朝っぱらから何言ってんですか!」

「あーあーあー、うるさいから襲っちゃおう、うん、そうしよう」


妙に不機嫌な様子の魎は有無を言わさず首無の腕をひっつかんで押し倒す。
首は無事だったが、体には衝撃が伝わり思わず目を細めた。


「ほーら、脱げ!」

「や、め、て、く、だ、さ、い!!」

「…何してんだ、お前ら……」


首無の胸元を広げて顔を埋めようとする魎を渾身の力で押し留めていると、開け放たれたままの魎の部屋の戸口から呆れたような声が投げかけられる。
柱によりかかるぬらりひょんを、魎は冷たい目で睨みつけた。


「せっかく鯉ちゃんの夢を見ていたのに首無君が邪魔をしたので鬱憤を晴らそうと思いました。なので邪魔すんなら総大将も襲うぞコラ、上に乗って腰振って屋敷中に聞こえるように喘いでやるぞコラ」

「筋が全く通ってねぇぞ」

「うるせぇ気分は最悪なのに下半身は最高に元気なんだよ、朝だから」

「聞きたくもねぇ…」


とりあえず、とぬらりひょんは首無の上に跨った魎を引き剥がして座らせる。
顔を赤くした首無は小さな声で「ありがとうございます、総大将…」と頭を下げた。

どうして機嫌が悪いのか。
それは言わずもがなあの客人が原因だろう。


「……青北が来たんだよ…」

「青北ぁ!?」

「…てことで俺はちょいと出てくるわ。夜には戻るから鯉ちゃんには今日一日外に出るなって言っといて」


ふてくされたように呟いた魎は、面倒くさそうに着替えを始める。
客人の名を聞いたぬらりひょんは急に顔をしかめた後、大きく肩を落とした。


「なるほどなぁ…分かった、伝えといてやるから安心しろ」

「あいつ帰ったら慰めてくれる?」

「……愚痴を聞くぐらいならな」

「ありがとー、鯉ちゃんには絶対会わせないから安心しとけよ」


帯を締めて羽織を肩にかけた魎はひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。

家主がいなくなった部屋で、ぬらりひょんは大きく溜息を吐く。
わけがわからない首無は声をかけるべきかどうか迷いながらも、おずおずと口を開いた。


「あの…青北様とは……?」

「…魎の昔馴染みでなぁ…そりゃあワシなんかよりもずっと深い付き合いの奴よ」

「恋人…、でしょうか?」

「いやいや、そんなんじゃねぇ」


思い返すのは、魎と出会って死闘を繰り広げた後のこと。
奴良組に入ることが決まった魎を追って、青北は目の前に現れた。


「とにもかくにも、魎のことを一途に想っている奴なんだがなぁ…魎以上に面倒な男じゃ」

「あの人をそこまで好いてくれる相手がいるもんなんですね……え?」

「魎の色狂いは首無も知っておるじゃろう?元々はあいつもただの女好きだったが…それを助長させたのが青北という妖怪じゃ」

「………男?」


あんなに女よりも女らしいのに?

いや、確かに考えてみれば自分よりも背が高かった…?
艶っぽいと思った声も男だから低くかすれていたのか?


「綺麗なものが好きな男だからな、何より自分の顔が好きらしいぞ」

「…そう……なんですか…」

「ちなみに二番目に好きなのが魎の顔らしい」

「………」


魎も生まれつきアレであったわけではない。
意識を持って、自分の足で動けるようになったばかりの頃はまだまだ毛も生えていないような子供だった。

それを拾って、戦い方を教え、遊び方を教え、丹念に愛情を込めて自分好みに育て上げた。それが青北だった。


「ワシも散々手を焼いたもんじゃった…」


盗った奪ったと喚いては攻撃を仕掛けてきた。
だったらお前も来るかと誘ってみたが、誰かの下に付くことは矜持が許さなかったそうだ。

数年に一回ぐらいは会いに行ってやるから!と魎が説得してようやく首を縦に振ったのだが…


「…魎の奴、一度も会いに行かなかったな…」


ひくり、と空笑いをするぬらりひょんと首無。
大方痺れを切らしたのだろう。
魎の信憑性の無い約束を信じ、数百年と待ち続けたのだろう。

ある意味可哀想な男なのだ。


「――…どこに行きたいんだよ」

「魎と一緒ならどこでも良いけれど…そうねぇ、出会い茶屋にでも行く?」

「なんでこんな時間からしっぽり決めねぇといけねぇんだよ!しかもお前と!」


並んで立つと完全に注目の的となる一見は美男美女、中身はバカとバカの二人組みは、目的も無く江戸の町をふらふらと歩いていた。


「だって魎が来てくれないから寂しかったのよ?」

「察しろよ!何で俺が行かなかったのかぐらい分かるだろ!?」

「ええ、きっと奴良組が居心地良いんだろうなァ…とは思っていたわ」


それだけじゃない、と魎は頭を抱える。
とにもかくにも、青北が異常なのだと気づいてしまったのだ。
物心ついた頃から共にいたために知りえなかった青北の狂気に、ほとほと愛想が尽きてしまったのだ。

なのに、こいつときたら何も分かっちゃいない。


「つーか着物!悪趣味!嫌がらせにも程がある!」

「あの女と一緒だから?」

「そうだよ!俺の清らかな思い出を汚すな!」

「何よ、ワタシの方が似合ってるじゃないの」

「くっそ、言い返せない…」


顔は良いのだ。顔は。
派手で、それでいて品があって、そんじょそこらの女とは比べ物にならない。


「お屋敷に上げてくれても良かったのに」

「誰が入れるか。足踏み入れた瞬間に総大将襲うだろ」

「ええ、憎らしいけれど中々キレイな男だったものね」

「絶対にダメ、総大将は俺のなんだから許さんぞ」


魎を巡っての七日七晩に及ぶ死闘の末に、いくらか気持ちの落ち着いた青北が発した台詞が「じゃあアンタの尻を三日ほど貸しなさいよ」だった。
良くも悪くも、師匠と弟子。旧知の仲の魎と青北は根本的なところが似通っていた。


「あの時は魎が相手をしてくれたから我慢したけれど…」

「おかげで俺の腰がしばらく使い物にならなくなった」

「生まれたての小鹿みたいだったわよねぇ、可愛かったわァ」

「お前はえぐい上にねちっこいんだよ」

「好きなくせに」

「好きだけども」


快楽主義者の二人だからこそ、体の相性は抜群に良かった。
といっても、そうなるように青北が魎に仕込んだだけの話だが。


「青北のせいで一人の相手と永く続いたためしがねぇんだよ…」

「あら、魎のためにやってるのよ?相応しい相手じゃないと許さないんだから」

「恋人できる度に男女問わずボコボコにされてみろ。俺がお前から離れた理由がわかるだろ?」

「相変わらず魎ったら照れ屋なんだから。もう少しワタシに素直になりなさいよ」

「喧嘩売ってる?」

「魎の体ごと買いましょうか?」

「……やめとく」


早く鯉伴の顔が見たい、と魎は目頭を押さえた。
だが絶対に会わせてはダメだとも思う。

何だかんだと青北が奴良組参入を許したのはぬらりひょんの顔が好みだったからだろう。そして、そうなると鯉伴も好みという事になる。
ともすれば、鯉伴がこの自分異常の好色男の餌食になるかもしれない。

それだけは阻止しなければ、と魎は心に固く誓った。


「どっかで飯食おうぜー、起き抜けで腹減ってんだよ」

「いいわね、驕ってあげるわ」

「え、マジで?」

「久しぶりだもの、甘えなさい」


それじゃあ、と滅多に訪れることの無い高級料亭に歩みを進める魎は、結局は青北のことが嫌いになりきれているわけではない。


「驕るから一晩中相手しろ、とかは無しだぞ?」

「……わかってるわよ」

「おい、今の間はなんだ」

「…一発ぐらいダメ?」

「青北とするぐらいなら総大将とやる」

「いいわね、乱交しましょう!」

「よくねーよ!全員お前に掘られるだけだろ!」


脳内エンジェルの鯉伴を守るために必死な魎は半ば強引に有名料理屋に引きずり込む。
様々な快楽を教えてくれたことは素直に感謝しているが、何度拒否しても毎回気絶するまでやられては嫌気が差すのも当然である。

いい加減に自分以外の、自分以上の相手を探してくれ。
そういう気持ちもあって、青北から離れたというのに数百年も律儀に待つとはどういう神経をしているのだろうか。

店員に座敷に案内された二人は堂々と腰を降ろし、やって来た女将に品書きも見ずに口を開いた。


「この店で一番高い酒と飯持ってきて」

「ついでに女も」

「今の格好でそういうこと言うな!でも、とびきり上等なのを二人頼むわ」

「…あい、わかりました」


青北の姿を見て一度困惑した女将だったが、高級料亭ともなると訳あり、お忍びの客などザラにいる。見たところ着物も一級品、見目形もすこぶる良い二人組みだから懐も随分と潤っているのだろう。

そう言い聞かせながら、女将はにこやかに座敷を出て行った。


「胸でかい女だと良いなー」

「いつまでたっても馬鹿ね、男も女も尻が一番でしょ」

「つーかお前いつまでそんな格好してんだよ」

「この姿で女に迫るのも面白いでしょ?」

「うん、まぁ、確かに」


結局は似たもの同士。男も好きで女も大好き。
そんな色情魔の青北の相手を出来るのは同じ色情魔の魎だけであった。

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