「よぉーし、マジでやるからな。びびって腰抜かすんじゃねぇぞ」


そう言った魎の目は確かに本気だった。
庭先で不穏な空気を放つのは奴良組総大将とその義弟。互いに目をギラギラさせながら木刀を構える。


「だ、大丈夫でしょうか二人とも…」

「…たきつけた俺が言うのもアレだが流石にまずい気がしてきた」


ただの、何気ない一言だった。
昼下がりにいつものように縁側でだらけていた魎にふと抱いた疑問。

――…魎が奴良組にいるってことは親父に負けたってことだよな?

その言葉に珍しく眉をひそめた魎が「ちっげぇぇぇぇよ!引き分けだ!」と噛み付く勢いで否定した。奴良組に入ったのはぬらりひょんに気に入られ、自身もこいつなら付いていっても良いと思えたからだと続けた後、「そんなに俺の実力が気になるなら今からあの隠居ジジイをフルボッコにしてやんよ!」と走り出していた。


そして静かに仏前で茶を飲んでいたぬらりひょんを引っ張り出し、「やいジジイ!ちょっと鯉ちゃんのために俺とひと勝負しやがれ!ついでにウン百年前の決着もつけてやんよ!」の言葉からその後10分に及ぶ罵倒を繰り返し、ついにぬらりひょんも「…面白ぇ…そんなに言うなら相手になるぞ?」と腰を上げたのであった。


怒涛の勢いの攻防。
どちらともなく始まった喧嘩に屋敷中の妖怪達も目を丸くしながら見守っている。


「凄いですね…!」

「どっちも畏を使ってねぇのに…」


きっと割って入ることも出来ないだろうと鯉伴は頷く。
唾競り合いになる度に木刀がギシギシと悲鳴を上げていた。


「なんじゃお前、力落ちたのう…」

「そりゃお前も同じだろうがよ…何なら畏出してやろうか?」

「見学者のことも考えるなら止めとけ」

「…乙女ちゃんに影響が出るのはマズイ気がするなぁ…」


距離を取った二人が動きを止めた。目を見張るほどの剣技であったというのに、互いに汗ひとつかいておらず息も乱れていない。
これが大妖怪たる由縁か、と鯉伴は感心するように息を漏らした。


「しっかし畏無しじゃ埒があかんぞ」

「ふむ、どうしたもんかのう…」


双方が木刀とは名ばかりの木の棒を投げ捨てた。
激しい動きに耐え切れなかったのか磨り減ったそれはササくれ立っており、軽く振っただけで簡単に折れてしまうだろう。


「どうしたらこんなになるんだよ…」

「撫でたら指に針が刺さりそう…」


足元に転がった木刀だったものを鯉伴が拾い上げまじまじと見つめる。心なしか、当初より短くなっている気がした。


「乙女ちゃん!」

「は、はい!?」


急に魎に名を呼ばれ、山吹はびくりと反応した。
魎はぬらりひょんから視線を外さずに、それでも口角を上げる。


「あんたは下がってな!他の奴らもだ!良い人がいるなら散ってくんな!」

「鯉伴は良いのか?」

「鯉ちゃんには俺の格好良いとこ見せなきゃだから居て貰わないと困る!」


最初の言葉通り本気を出すようだと察した鯉伴は何が起こるのかわからないが指示に従った方が良いだろうと確信する。


「山吹、下がってな」

「は、はい。わかりました…」

「お前らもとりあえず一旦どっか行ってろ!見てぇのはわかるが言う事聞いといた方が良さそうだ!」


屋敷中に聞かせるような声で言うとバタバタと足音がそこらじゅうから聞こえ、ひと時すればしんとした静寂が訪れる。
残ったのは魎の畏を知る古参の者だけだった。


「久しぶりじゃなぁ、魎の畏を見るのは…」

「今の総大将にはちぃっと酷かもしれねぇな」


縁側で楽しげに庭先の騒動を見守る烏天狗と一ツ目入道が呟いた言葉に鯉伴はますます今後の展開に期待する。
魎の戦う様など見たことが無かった。自分が襲名すると同時に引退した魎の実力が気になっていたのは確かだった。


「ほう…本気のお前なんぞ久方ぶりじゃな」

「後で吠え面かいても知らねぇぞ、"妖様"」


うっそりと笑った魎の手のひらから無数の花びらが舞った。
黒く薄い花弁はあっという間に庭中に広がる。


「…珱姫はそんな邪気にまみれた呼び方はしなかったぞ?」

「そうだったか?」


  妖様


「ああそうとも。愛くるしい声だったろう、忘れたか?」

「少なくとも俺にはいつも説教ばっかだったからな、珱ちゃんは」


  妖様、妖様


「そうじゃな、お前は昔から性分は変わらん…いや、昔の方が酷かったかもな」

「あの時の俺は若かったからなぁ、よく叱られたよ。"何をお考えなのですか!"つってな」


  妖様っ!私です!気づいて…!


甘い香りと、どこからか聞こえてくる懐かしい声に眩暈が起きそうになる。
だがここで応えてしまえば魎の思う壺だということは重々心得ていた。


「あの時は厄介な毒だとしか思わんかったがなぁ…今となっては確かにえぐいのう」

「心が揺れちまうだろ。"大事な相手"からの呼びかけってのはさ…何よりもそいつをダメにしちまう"毒"なんだよな。ほら、呼んでやれよ。大切な人の名前をさ」


  妖様…どこにいらっしゃるのですか…?


「――…彼岸にようこそ、総大将。愛しの珱ちゃんが待ってるぞ?」


すっと姿を消したぬらりひょんを恋こがれるように珱姫が探す。
といっても珱姫の姿は無く、辺りには曼珠沙華の花びらが世界を覆うように舞っていた。

鯉伴には魎の言う母の声など聞こえない。
代わりに耳に入るのは妻の呼ぶ声だった。


  妖様、私はここです…!

  あなた…ここは一体どこなのですか…?


「気をしっかり持て。良いか、絶対に応えるなよ」

「親父…?」

「まだ声の段階でそれじゃ後がもたんぞ」


  私を一人にしないでください、妖様…!

  怖いのです、あなた…っ!助けて…!


狼狽する鯉伴に姿を見せる事無くぬらりひょんが忠告した。
畏れることが敗因になることは既に身をもって知っている。
ならばこの"声"に応えることが、何かのきっかけだというのだろうか。

応えれば、捕まってしまう。
捕まってしまえば、何度も打ちのめされるのだ。


「ちぃっとばかし可哀想な思いをさせるかもしれねぇけど堪えろよ鯉ちゃん」


ぬらりひょんが魎に畏れなかったように魎も姿の見えなくなったぬらりひょんに怯む事無く、鯉伴に助言する。


「幻だと思って油断してると、痛い目に合うからな」


目の前の場が庭で無くなっていると気づいた瞬間に鯉伴の目の前に山吹乙女の姿が現れた。闇の中でくっきりと山吹が手を伸ばしているのがわかる。
魎は幻だと言った。
ならばこの己の頬に触れている山吹の手の温かさも、幻なのだろうか…?


「鯉伴に影響が出る前に片付けねばなるまいなぁ」

「っぶね!…隠居してもやっぱ大将は大将か」


突如現れたぬらりひょんの剣先を寸での所で避けた魎は、再び姿を消した相手の心情を察して笑みを濃くした。


「ワシも珍しく血が熱くなってきたわ」

「…っくく、そりゃそうだろうな」


花弁に覆われた闇の中で、叫び声が鼓膜を何度も刺激する。
魎の姿が珱姫に重なって見え始めてきた。
違うのは魎は笑っているが、珱姫は涙を流しているという点。
助けて、助けて、と何度も呟きながら手を伸ばしてくる珱姫の背後の魎に思わず舌打ちをしてしまう。
えげつない、という一ツ目の呟きが遠くで聞こえた。


「大切な奴を助けられないってのは、自分が死ぬ事よりも辛くて苦しいからな」


声に応えてくれりゃ楽に倒せる上にもっと楽しいんだけど…、と魎は内心で小さく落胆した。
自分の畏はとっくの昔にばれている。
そうなると対応策も出来るわけだが、どちらにしても魎の術が緩むことは無い。

魎の周りの闇が更に濃くなる。
花弁が集まり幾本もの鋭い刃に変化した。


「っ止めろ魎!」

「鯉ちゃん…」


これから魎が何をするのか、妻に何をされるのか察した鯉伴が思わず叫ぶ。
いつもならばすぐに動きを止めてくれるはずだった。
だが魎は「…嫌だよー」と妖艶に笑った。

鯉伴の視界には、魎に捕えられた妻の姿しか見えていなかった。


「どっちが強いかはっきりさせなきゃ」

「本当にお前は誰よりも妖怪らしいわい…」

「おわっ!?」

「鯉伴のおかげでようやく隙が出来たな」


背後に現れたぬらりひょんに思わず体勢を崩した。
振り落とされた長刀は避けられたが、すぐそこに足が見える。


「良い度胸…っ!」


笑みを消した魎が生成した刃を勢い良く射出した。
魎がぬらりひょんによって蹴り飛ばされたと同時に無数の刃が愛しい者に突き刺さる。

吹き上げる血飛沫と彼女が流す涙があまりにも現実味を帯びていて思わず眉をしかめた。


「…っ流石に心苦しいな…」

「っ山吹!!」


魎が地に落ちる。
妻は小さな声で「助けて…」と呟いた後に消えていった。
ザァ…と音を立てて花弁が消失する。


「ゲホッ…うぁぁ鳩尾とかマジふざけんなよー…」


世界が見慣れた庭に戻った。
その場でのた打ち回る魎を見下ろし、ぬらりひょんは剣先を魎に向ける。


「ワシの勝ちじゃな」

「ふざっけんなバーロー!まだやれるっつーの!これから俺の本格的な攻撃だったってのに…!」


まだ何も出来てねぇ!と腹を押さえながら叫ぶ魎にぬらりひょんも呆れと安堵の息をついた。
何もさせないために、無理やりに畏を破っただけのことだ。
ちらりと鯉伴を見ると、急ぎ足で妻のもとに向かっていた。


「…まだまだアイツも若いのう…」

「そういう所が可愛いよな」

「魎がどんな妖怪かわかった良い機会になったじゃろうて」

「だよな、俺格好良かったよな!?」

「…複数の意味で畏れられたことは確かじゃろうな」


鯉伴は全盛期の魎を知らない。
だからこそ魎が死に対して喜びを感じることを知らない。

魎に対してぬらりひょんは、多少は丸くなったかと思っていたが根本が変わっていないことを悟った。


「あのまま続けていたら負けていたかもしれんなぁ」

「そうに決まってんだろ」

「だが続けていたらワシも流石に怒っておった」

「…だとすると勝負は見えねぇな。俺は楽しんでただけだし…」


そこまでして喧嘩を続けたいとも思わない、思えない。
大切な者の怒りがどれほど恐ろしいのかを想像してようやく魎は勝てるわけが無いと悟った。


「…あとで鯉ちゃんに謝るべき?」

「恐らく…数日は口を利いてくれんよ」

「えええええええええっ!?」


魎の悲痛な叫び声が屋敷中に轟く中、見学していた烏天狗と一ツ目は互いに幻術の影響が残ってはいるが「まだまだ魎は現役でも問題ないだろう」と贔屓の芸者を堪能したような満足感に浸っていた。

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