世間というものがとてもおそろしいのだと私が知ったのは、小学四年生の時である。

私は女の子だったのだけれど、よくよく体を動かすのが大好きで、休み時間には男子とサッカーや野球、キックベースをするのが習慣だった。女の子は教室で折り紙をしたり、校庭の隅で一輪車をしていた。たまに縄跳びや、鉄棒のところで話をしていたりしていたかもしれないが定かでない。私は折り紙や一輪車ができないわけではなかったし、女の子と遊ぶのが嫌なわけではなかったけれど、それよりもずっと男の子と遊ぶのがとても楽しかった。ただそれだけ。女の子もちゃんとそれを了解していて、休みの日などはよく一緒にあそんだりしていてくれた。けれど新任の頑張り屋さんな教師が、私を見逃してはくれなかったのだ。ある日突然学級集会が開かれて、「加奈ちゃんが女の子から仲間外れにされています」と悲しげでいて、なにか優越にまみれたことを言い出した。私は急なことに胸がひやりとした。先生は「加奈ちゃんはいつも男の子と遊んでいるけれど、それはよくないわ。女の子なのだから、女の子と遊びたいはずなのに、女の子たちが加奈ちゃんを仲間外れにしているんでしょう?ねぇ、そうなんでしょう?」と云った。私はなにが起こったのか、よく理解できなかった。突然、クラスの子たちの私を見る目が変わったのだ。私は、勝ち気で元気なちょっと変わり者から、ただの可哀想な子に突き落とされたのだ。悪意のない優しさによって、私は陥れられたのだ。私はあふれでる涙をおさえることができなかった。すると先生は、「今まで辛かったのよねぇ?もう大丈夫だからね」とわざわざ私を抱き締めた。私はその時の生々しい汗の臭いと、ぬるい体温を、今でも覚えている。にくいと思った。女の子がこわい目で、こちらをにらんでいるのが、わかったからだ。

その日から学年末まで、私はほんとうに可哀想な羽目になった。いつものように男の子と遊ぼうとすると、男の子は顔を見合わせて、「女の子と遊びなよ」と言うし、女の子と遊ぼうとすると、「いいご身分ね、先生に贔屓されて。私達は悪者ね」とクスクス笑う。私は、一日で、たった三十分で、友達というものの一切を失ってしまった。さいわい、そこは田舎の学校で、登下校は班で行っていたり、清掃にも班があったりしたので、私がまったくのひとりになってしまうことはなかった。けれど私は、休み時間の楽しさというものを永遠に失ってしまったのだ。

それから私はわりに世間体というものを気にして生きてきたと思う。おかげ様で中学の頃風邪のように流行ったいじめというものに巻き込まれることはなかったし、高校でははじめて彼氏もできた。そのまま国立の大学へ進学し、もとの彼氏とは別れたが、秋頃にはまた新しい彼氏ができた。彼は世間体というものを気にしない、自由な人で、私が一年生のとき、既に大学六年生だった。すらりと細身で、それなりに身長が高かった。私が150センチぽっちの場所から見上げていたからかもしれない。黒縁の眼鏡をかけていて、文学部からの作家志望だった。大抵居酒屋のアルバイトに時間をとられていて、そのせいで単位がとれていないようだった。一度彼の職場に顔を出してみたことがあるのだけれど、そちらの方が向いているんじゃないかってくらい、テキパキと完璧に働いていた。彼の書く小説は、言ってはいけないけれどつまらない。文章自体整っているのだけれど、ストーリーに独自性はないし、引き込まれないし、つまらない、平凡な文章。きっと彼がいつか自分の才能のなさに失望して、挫折してしまうのだろうなぁと想像するたび、私はぎゅっと心臓の縮む思いがした。

私は文芸サークルに所属していて、彼はそこのOBだった。文学部があるおかげか、そのサークルはけっこうな大所帯で、わりかし優遇されていた。それなりの部室があって、月一で部誌が発行されている。そこにはOBOGさんの作品も投稿されていて、彼はほぼ毎月投稿していた。私は気が向いたら投稿して、あとはロム専だった。あとからきいた話、あの部誌はページ数にかぎりがあって、先輩の作品から順番に載せているらしく、彼みたいに面白くない話を毎月投稿されるのは、編集側や二年生からしたらほんのちょっとだけ苦笑いしてしまうものらしい。

そんな彼も私が二年生になる頃にはやっと大学を卒業して、フリーターになった。アルバイトを増やして、まだ小説家を目指している。一週間に一度も会わなくなってしまったけれど、なんだかんだ、付き合いが途切れることはないのではないかと思った。彼といる時、別段面白いことはないのだけれど、私はとても幸せだった。彼がくだらない話を書いたり、私の書いたものを面白そうに読んでくれているだけでよかった。こうやって何年も何年も、ずっと彼の六畳半の部屋で過ごしてゆきたかった。そこはとても暖かで、昼寝をしているように穏やかだ。私も彼もお互い甘えあって、すりよって、生きている。現実的なものはなにもない、苦しいことをぽんと投げ出してしまえる生ぬるさが、私は大好きだった。

けれど、彼が卒業してから、なんだか、いろんな人からの私への視線が、冷たいのだ。それはよく、女の先輩からだったり、後輩の女子からだったりした。それは私という個人ではなくて、私を取り巻くなにかに対して向けられているようだった。自然と部室内の空気がギスギスして、けれど私はそれがどうしてなのかわからなくて、困り果ててしまった。

「あんたよくニートと付き合ってられるね」

親友の言葉に、私はあっと思った。そういえば、私の彼氏はニートだった。最近、彼は私の奨学金から少しだけ、本当に少しだけなのだけれど、工面してくれないかと頼んできたのだ。私は彼のちょっと駄目なところがちょっと可愛いなぁなんて思っていたので、そのちょっと駄目なところが、だんだん、すごく駄目なところに変わっていったことに気づけなかったのだった。彼が意図してそうしたのか、私がだんだんと鈍くなってしまったのか、わからないけれど、とにかく、私はいつの間にかヒモ男の可哀想な彼女になっていた。暖かい湯船の中で眠ってしまったような気分だった。気付いてしまったら、なんだかもうむず痒くて、彼の存在がとても恥ずかしくて、いてもたってもいられなかった。

「ねぇ、定職につきなよ」
「…なんで」
「小説家、向いてないよ。才能ないよ。もうわかってるんじゃないの」

彼はひどく冷めた目で私を見つめた。黒縁の眼鏡に屈折しても、そこにある憤りはひりひりと感じられた。ああ、終わりなんだなぁと、私は感じた。六畳半の外から、すきま風がぴゅうぴゅうと、冷たく吹き込んでいた。


END




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