カラスウリを見たことのない人は、存外多いものだ。それを私が肌で感じるようになったのは、大学に進学してからである。

私がが育ったのは、海も山も川ですら間近にある田舎である。田舎町とも呼べぬような、小さな集落だ。最寄りの駅まで歩けば二時間はかかるだろうか。バスは一時間に一本もない。近頃は大型だったバスが小型になった。もとより中型だったやもしれぬ。私は保育園児の時、このバスによくよく御世話になった。外口というバス停から、バスで十五分ほどかかる、蛸ノ浦というところまでの定期券を持たされ、機械のように、毎日、二年ほど保育園に通っていた。田舎なもので、運転手さんも私の顔をよく覚えていてくださった。小学生になってからも時たまバスを利用する際、「りょうちゃん大きくなったねぇ」と声をかけてくだすった。しかしバスが小型になると、若い運転手さんになり、私が声をかけられることは無くなった。私は小型バスをネコバスと呼んでケラケラ笑っていたが、今思い返すと胸の苦しくなる話である。

小学では集団登校だった。六年生が下の子たちをサンドイッチのように挟んで、六人程度が固まって登校する。私は毎朝、地方局の占いを見てから家を出た。その占いの結果なぞ、登校班に合流するころにはすっぽり頭から抜けてしまっていたが、それはささやかな私の日課であった。その登校班で学校へゆくのだが、これが重労働である。五十分もかけて歩くのだ。バスを使えば十五分の道のりを、ひたすら小学生の細い足で、歩くのだ。その大半は山道である。大げさでもなく、歩道から手を伸ばせば木の葉や花に触れられるような山道である。春には山桜が咲き、夏には桑の実がなり、秋には木苺がなる。はじめ私逹子供はよくよくそれをおやつにしていたが、いつからか農薬というものが風に流れているし、空から汚い雨が降っているからと、それらを食べなくなった。桑の実なんか、道を汚い紫色にするので、私はなんだかおそろしく感じるようにさえなった。けれど、山道ほど歩いていて楽しいものもないのだ。秋なんかは特に、どんぐりが落ちていたり、ぶすの実が落ちていたり、
松ぼっくりが落ちていたりする。それから、たまにカラスウリなんかを見つけると、小学生はこぞって取り合いをしたものだ。四つ葉のクローバーや烏の羽等、根拠のない迷信に抵抗もせず騙されていた時代だ。

雨が降ると登校班ではなく、それぞれの親の車で学校へ送られてゆく。車とは便利なもので、たった十分で私を小学校へ連れていってくれる。雨の日は楽のできる日であったので、梅雨なんかは私の好きな時期であった。子供とはげんきんなものである。

中学へあがると自転車通学になる。また学校が遠くなる。私は田舎から通わねばならぬので、小学、中学、高校、大学と学校はどんどん遠ざかっていった。中でも一番大変だったのは中学である。三十分かけて中学へ通うのはまた骨の折れる話である。また私はバスケットボール部へ入部したので、部活の帰りなんかはとても辛かった。けれど、雨が降るとやはり親が車で連れていってくれた。それに加え、私が密かに想いをよせていた野球部の先輩がいたのだが、雨が降ると野球部は私たちが練習をしている体育館の隅の方で筋力トレーニングをするのだ。憧れの先輩と私が同じ空間にいるということがこの上のない幸せであった。練習の合間にチラチラと盗み見ては、先輩もこちらを見てくれてはいまいかと期待をした。なんと甘酸っぱい思い出か。

しかしながらその恋はあまりよい思い出ではないのだった。ある日突然、バスケットボール部の知り合いに「よっちゃん先輩がね、あんたが見てくるからきもちわるくてかなわんわって、ゆっとったよ」と、なんとも意地の悪い笑顔でクスクス笑ったのだ。私はなんだか高いところから突き落とされたような気持ちになった。その先輩がほんとうにそんなことを言っていたのか、今となっては定かでないが、そのときの私は地獄とはなるほどこのことを言うのかといわんばかりにうちひしがれ、こんなみっともない話をいったい誰に相談できよう、と一人枕を濡らしたものである。今でも思い出すと、胸のすくむような気のするものだ。

それからというもの私は下ばかり向いてなるだけその先輩を見ないよう、見ないようにした。あんなにもいとおしかった気持ちがどこかへいってしまい、どうしてこんなに意地の悪い仕打ちをするのかという憎しみが幅を利かせるようになった。バスケットボールもチームメイトとうまくゆかず、背番号はどんどん後ろになった。なにもかもがままならなくなり、私は少々荒れた。けれど、当時はやっていたリストカットなるものに手を出さなかっただけ、私はまともに育ってきたのかもしれない。

だがそれも一時で、先輩が卒業すると、私は次第に調子がよくなってきた。夏には野球部に彼氏ができ、それなりにいい思いをした。すぐに別れてしまったが、はじめて異性とそういう雰囲気で手を繋いだときの温かさは今でも覚えている。夏祭りに一緒に行ったのだけれど、ただ何を買うでもなくぐるぐる歩いているだけなのに、なんと満ち足りた感情を抱いたものか。祭のフィナーレは花火大会で、デパートの屋上からよく見えるからと、二人でコンクリートの地べたに座って、手を繋いで、見た。夏だからだんだんと汗が滲んできて、申し訳なかった。

雨というものがなんと憂鬱な天気なのだろうと、私がしみじみ感じたのは、大学生になってからだ。登校には自転車を使っていたのだが、雨が降ると、もうどうにもならない。傘をさして乗るとあぶないうえに、結局びちゃびちゃに濡れてしまう。歩くと片道三十分はかかる。バスも近くを通っておらず、とにかく、ままならないのだ。化粧は落ちるわ服はくさくなるわ、教科書はぬれるわ、いいことなんぞ、何もない。

私はよく振られる女で、過去片手では数えきれない数振られてきた。かといって、これは密かな自慢なのだが、告白された数も、片手では数えきれないのだ。この性質が、私としてはとても口惜しい。私がよく告白されることをあまり自慢できないのは、そういった話が他人の精神衛生上よろしいことでないという理由もあるが、告白してくる男がろくでもない男ばかりであることも、大きな理由であるからだ。見目はさることながら、悪い噂の絶えない人であったり、一度強引に唇を奪われそうになったりと、大変な目にあっている。それならば、一度でよいから私の好きな人と思いを遂げさせてくれと神頼みするも、それが叶う気配はいっこうにない。それは大学生になってからでも相変わらずで、むしろ拍車がかかったようである。

「好きです」
「ああ、うん…ごめんなさい」

年上の先輩に、決死の思いで告白しても、うまくゆかない。それまでほんとうにいい雰囲気でいたのに、どうしてか振られてしまうのだ。もうなにも信じない、と、何度も枕を濡らしたものだ。それは一年生の秋頃の話だった。そういえば、田舎の山道では紅葉が綺麗な季節である。まつぼっくりも、ぶすの実も、いつからか見向きもしなくなった。けれど、大学生になると急に都会にきてしまったものだから、そういった田舎くさくチープなものが途端に懐かしくなる。特にあのつるっとしたカラスウリの、絵の具で塗ったような緑が、とても鮮やかに思い出されて、私はなんとも言えぬ気持ちになった。

それからちょっと経った雨の日に、荷物も少なく、傘もなく、帰るだけだ、ええいままよ、と私は自転車を飛ばした。秋の雨は存外冷たく、指先がかじかむようであった。雨があたると、服の色がだんだん濃くなってくる。それと同じように、雨があたった肌が、私から私という成分を凝縮したような色になった。雨足はザアザアとどんどんつよくなり、私の中ではハードなロックがループした。なんだかもう濡れることが目的のようになり、私は誰もいない道で、ええい、ままよ、ともう一度思った。

アパートに着くと、疲れが津波のようにおしよせてきた。下着まで濡れるかというほどずぶ濡れで、私はずるずると部屋に入った。偶然姿見にうつったみすぼらしい自分を見て、私は、いったいこれは、誰だろうと思った。私の知らない私が、呆然と、涙を流していたのだった。


END



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