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いつもより念入りにシャツにアイロンをかけた。朝食の前、まだ少し肌寒い台所に立ち昇る湯気とか、遠くに聞こえる鳥の声とか。

この三年間気にもしなかった、そんな「当たり前」も、今日だけは特別心に沁みる。

高校生活最後の朝は、文句なしの晴天だった。駅までの道の桜も、満開とは言えないまでも充分綺麗に咲いていて、まるでわたしの卒業をお祝いしてくれているみたい。

なんてベタな、と笑いながら自転車で坂を下る。普段なら遅刻ギリギリで猛スピードで飛ばすのだけど、最後くらいはとゆっくり下って行く。


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いつもなら、教師のくせに遅刻ギリギリの銀八と校門のまえで鉢合わせするのだけど、さすがの銀八も今日は早めに来ているらしい。停まっているスクーターをこっそり撫でた。

教室のなかはがらんとしていて、本当に終わりなんだなと実感した。土方の常備用マヨネーズ棚も、定春のベッドも、銀八のジャンプの山も見当たらない。

いつもどおりに聞こえる教室の喧騒も、心なしか淋しさを紛らわすように大きくなっていく。みんな少し緊張しているみたいで、何処となくぎこちない。しかもゴリなんてもう既に泣いている。

駆け寄ってきた神楽ちゃんの淋しそうな顔を見て、思わず滲みそうになった涙を必死に堪えた。


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式はあっという間に終わって、現実感の湧かないわたしは夢のなかに置き去りにされたような気分になった。みんなにつられて涙は出たけど、あしたからみんなと会えないなんて、春からは別々のところにいるなんて、そんなの全く想像できない。

写真の撮り合いっこ、メッセージやサイン、絶対遊ぼうねのゆびきり。この中の何人とまた会うだろう。何人ともう会わないんだろう。なんて、ベタでチープなセンチメンタル。

未来のことはわからないから、めいいっぱい別れを惜しみあった。


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「花子、一緒に帰ろ!」

「あ、えっと…」

「なんか用事アルか?」

「うーん、用事ってほどじゃないんだけど…」

「それならここで待ってるアルよ?」

「でもいつ終わるかわかんないし…」

「神楽ちゃん、先帰ってましょ」

「でも、姉御ォ…」

「花子ちゃんには打ち上げで会えるわよ。ねっ?」

「う、うん、神楽ちゃんごめんね…」

「大丈夫アル、ばいばい花子!」

打ち上げ遅れちゃダメだヨ!と叫ぶ神楽ちゃんに手を降った。その隣でウインクする妙ちゃんには全部お見通しなのだろう、いつだって彼女に隠し事はできない。

いつのまにか人が少なくなった教室で、ちいさくため息をついた。


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やっぱりというか、予想通りというか、覗いた職員室に銀八の姿は見えなかった。迷わず向かった国語科準備室は、ドアが開けっ放しになっていた。

コンコン、とノックしながら中に入る。そうっと息を吸い込んだ。煙草の匂いと古い本の匂いが混ざった、お世辞にもいい匂いとは言えないこの準備室の匂いがわたしはたまらなく好きなのだ。

「銀八?」

ジャンプと書類の山の向こうから、おう、とでもいいたげにヒラヒラ揺れる手が見えた。

「なにやってんの」

「お前こそなにやってんの」

「銀八が泣いてないか見にきてあげたの」

そいつぁ、残念だったな。そう言ってやっとこっちを見た銀八は、確かに泣いてはいなかった。でも、

「…さみしい?」

銀八は、わたしの質問には答えないでじっとわたしを見つめて、それから、煙草くさくて大きな手でわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。

準備室の床がぐにゃりと歪んで、ポタポタと涙が落ちるのが見えた。堪える暇なんてなくて、止められる余裕もなかった。

「…卒業、したくないよ」

「さみしいよ、銀八…」

泣きじゃくるわたしに、銀八はなにも言わなかった。なにも言わないで、ずっとずっと撫でていてくれた。


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「もう、ここでいいよ」

「家まで乗せてってやるって」

「打ち上げあるし。送ってくれてありがとね」

「…おう。気ィつけて帰れよ」

「うん。…あのさ」

「んー?」

「三年間お世話になりました」

「…おう」

「3Zというお荷物もなくなったわけだし、そろそろ結婚しなよね」

「せんせーは結婚出来ないんじゃなくてしないだけですぅー、その気になったら何時でもできるんですぅー」

「ないない」

最後までふざけて、笑顔でさよなら。最後までただの先生と生徒。その境界を越える勇気はわたしにはなかった。

「じゃあわたしが大学卒業したら、銀八のお嫁さんになってあげるよ」

「おー、じゃあ楽しみにしとく。もっとボインのいい女になっとけよ」

そんな冗談なんて信じてない、信じてないけど、内心どきどきのわたしのこころはどうしようもなく舞い上がってしまって、やっぱり自分はまだまだガキなのだと思い知ってしまう。

女子高生最後の恋は、結局口に出すことさえ出来ずに終わってしまった。


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「えー、それでは皆さんご一緒に…」

「「「乾杯!」」」

大学を卒業して、社会人二年目を迎えようとした頃に届いた葉書には、随分懐かしい名前と場所が書かれていた。嬉しくなってすぐに「出席」に丸をつけた。

懐かしいみんなの顔は誰も少しずつ大人になっていて、驚きと少し寂しい気持ちが同時に湧き上がる。少し早い結婚をした子もいれば、会社でバリバリ働いている子もたくさんいた。

みんなの話になんとなく耳を傾けながら、さりげなく周りを見渡してみる。あの目立つ銀髪はどこにも見当たらなくて、がっかりしながらもどこか安心した。

心地いい興奮で時間がすぎて、酔いもちょうど良く回った頃、あの気だるい声が耳に届いた。

「おーおー、盛り上がってんなー」

あの頃とほとんど変わらない姿で入ってきた銀八を見て、タイムスリップしたような錯覚を覚えた。もうなんともないと思っていたのに、わたしの鼓動は急に早くなって、頭に血が登るのを感じた。

銀八の指に結婚指輪は見当たらなかった。


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「ところでせんせー、まだ結婚してねえんですかィ?」

わたしが一番聞きたくて聞きたくない質問を総悟が急にするもんだから、危うくおつまみを噴き出すところだった。

「なに、総一郎くんたら急に色気付いちゃって」

「総悟です。いやァ、薬指に指輪が見当たらねえんで」

別に、気にしてるわけじゃない。だいたいあんな口約束、もう何年も経ってるんだし。そう思いながらも心のどこかで期待してる。心臓の音が周りに聞こえてるんじゃないかと不安になった。

「…あー。だってアレ、チョークの粉ついちゃうんだもん」

…え?

「へえ、なるほど。…は?」

やだ、

「だァかァら、汚さないように家に保管してんの」

まるでほろ酔いの頭にガツンとハンマーを振り下ろされたみたい。酔いが急速に冷めて行く。

「「「…えええええ!?」」」

「銀ちゃんと結婚するような物好きがこの世にいたアルか」

「毎日あんな甘ったるいもんばっか作らされてよく我慢できんな」

「多串くんだけには言われたくねえんだけど」

エトセトラ、エトセトラ。みんなの興奮に反比例して、わたしの気持ちは性懲りもなく沈んで行く。

あんな言葉、信じてなんてなかった。大学でもそれなりに恋はしたし、今日だって何も期待してたわけじゃなかった。だいたいあんなの真に受けるなんて、もう子供じゃないんだから、

「…っ」

いくら言い聞かせてみても、正直なわたしのこころは言うことを聞かずにちくちく痛む。銀八の惚気話なんて聞きたくなくて、トイレに行くと嘘をついて廊下に出た。


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「…うそつき」

それが銀八のことなのか、わたしのことなのか、自分でもよくわからなかった。












アイラブユーのくそったれ



20120323 ゆずこからしおからい嘘様へ



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