瞳に映る笑み、儚く




「くっそ…ッ!」


私が床に就いたころ、隣の部屋からそんな声が聞こえた。
結構大きな声だったので、思わず飛び起きてしまった。

「姫様…?どうされたのですか?」

恐る恐る姫様の部屋を覗けば、私に気が付いて苦笑い。

「ごめん、起こした?」

「いえ…まだ床に就いたばかりでしたので…。
それよりどうされたのですか?大きな声を出されて…。」

「ああ…これ。」

そう言って姫様は私に文を渡す。
そこに書かれた手はとても美しい。
そしてその手で素敵な恋の歌が綴られていた。

「とても美しい手ですね。」

「まあ手はね。
綺麗だと思うよ。」

「それに歌も素敵…。」

「やっぱり女性ってこういう歌が好きなんだ?」

姫様はそう言いながら眉を顰める。

「姫様はお嫌いですか?」

「遊びだと思えば楽しいけど、こう…本気で来られるとチョット…。
だいたい俺、男だしね。」

「まあ…そうですね。」

愚問だった。
視線を文へと戻すと、差出人の名が目に映る。
及川…徹……ってええっ!?


「右近衛少将様ではないですかっ!?」


姫様の肩がビクッと震える。

「も、申し訳ありません。
大きな声を出したりして…」

「いや、大丈夫。
…そうだよ、四の姫の光源氏からの文。」

「このような方から文をいただくなんて、流石青葉姫様ですね。」

「あんまり嬉しくない…。
だいたい及川殿って遊び人だって言うじゃん?
ホントにこんな男がいいわけ?」

「そう言われてしまうと…。
しかし右近衛少将様ほどの方ともなれば噂が独り歩きをすることもあるのではないでしょうか。
…そう言えば、姫様はこちらの文を読んで大きなお声を出されたのですか?」

もう一度、文に視線を落とす。
姫様が女性ではないとしても、そこまで声を上げる様な歌ではないと思う。

夢にまで見たかぐや姫
貴女を一目見ることが出来るのならば、伝説の宝と引き換えにしても惜しくはない

と。
…たしかに冷静に考えれば少し歯の浮くような歌ではあるけれど、そこまでのものだろうか。
正直、私は恋文などいただいたことが無い。
そのため、知識でしかこういったものを知らなかった。

「この文、最初に渡されたものでさ…。
これに返事をしたら、それにまた返事が返ってきてさ…。」

「なんと返事をされたのですか?」

「そんなに言うなら私のために『龍の頸の玉』『仏の御石の鉢』『蓬莱の玉の枝』『火鼠の皮衣』『燕の子安貝』を持ってきてくださるの?って」

「…お一人にそれを求めるなんてかぐや姫もさぞ驚いたでしょうね…。」

こちらの事情を知っているとはいえ、いくらなんでも右近衛少将様が哀れに思えた。

「…だけどあいつ全然めげないんだよねぇ…」

私の心を見透かしたようにそう言い、姫様は大きなため息をつき呆れ顔だ。

「これ、さっき侍女が持ってきた。」

文を読む。

宝を引き換えにするのは惜しくない
けれど宝を探す年月貴女に会えないのが辛い
だから宝にも劣らぬ時間を、貴女と共に過ごしたい

思わず吹き出してしまった。

「姫様の負けですね?」

「すごい腹立つ…」

はぁ…と、大きなため息をもう一度。

「しかし、どういたしましょう。
この部屋は奥にありますから、突然いらっしゃることはないかと思いますが。」

「どうもしないよ。無視。」

「…そうする他ありませんね。」

こればかりはどうしようもないことだから仕方がない。

「それにしても本当、姫様宛の恋文が後を絶ちませんね。」

「俺なんかに費やしてる時間があるなら他の女のところに行けばいいのにさ。
この男だって引く手数多なんだから。」


いつもの調子で姫様は言うので


「たしかにそうではありますが…姫様のお父上は鼻が高いでしょうね。」


深く考えずに言葉を発してしまった。



「………はぁ?」



その姫様の声は、聞いたこともない様な冷めたお声だった。

「それ、本気で言ってる…?」

「え…姫様…?」

気が付けば視界が上がり、姫様の顔越しに見えているのは真っ暗な天井。

怖い。

姫様に対して、初めて抱いた感情だった。


「鼻が高い…?
俺を…嫡子をこんな所に閉じ込めた男が…?」


姫様が…嫡男…?

姫様からそれを聞き、疑問が湧いた。
確か姫様には兄がいたはず…たしかに異腹の兄ではあるが。

「姫様のお母上は、北の方なのですか?」

私がそう聞けば、姫様はハッしたような顔で我に返ったようだった。

「……ごめん、四の姫。」

私の上から退くと、深くため息をついて髪を掻く。

「い、いえ……私こそ申し訳ありません。
あの……もしも言い難いことでしたら先程の質問は忘れていただければ……。」

今までずっと青葉姫様である理由を言わずに口を噤んでいた方だ。
今回取り乱されたのも私の落ち度。
知らなかったからとはいえ、大変申し訳なく思う。


「…ううん。
俺が言い出した事だから。
……四の姫、聞いてくれる?」


姫様の口元は笑っていた。
その笑みはぼんやりとした灯りに照らされ、儚く見えた。



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