在原業平

家に戻ると、お客様がいた。

「一様?」


「お、靖子か。」

岩泉一様は兄様の友人で、昔からよく我が家に顔を出していた。
…けれど

「本日はどうされたのですか?」

「靖子の兄貴に呼び出されてな。」

「……本日、兄様は不在です。」

一様は、はぁ?と呆れた顔をされる。
途中までは潔子の家でお祝いの席にいた兄様は、気が付いたらどこかへ行ってしまったようでどこにもいなかった。
おそらく女性のところだろう。

「呼び出しといて不在とかふざけてんのか?」

「す…すみません……。」

我が兄ながら申し訳なくなる。

「いや、靖子が悪いわけじゃねぇんだ。ごめんな。
……どうせまた女のとこだろ。
今日はもう帰ってこないのか?」

「恐らく…。
戻ったとしても夜明け前になるかと思います……。」

「…そうか。
じゃあまた出直すか。」

一様は立ち上がると、部屋を後にする。



「は、一様…!」


その前に引き止めてしまった。

「?どうした?」

「お聞きしたいことがありまして…。
お時間…よろしいでしょうか?」

「?おう。」

一様は元の位置に戻り、座る。

「どうかしたのか?」

「…わからないことがあるんです……。」

「おう。」

一様は、真面目な顔で私を見る。


「…恋とは…どのようなものですか?」


「……。」

ポカンとする一様。
そしてため息をひとつ吐くと、呆れ顔になった。

「急にどうした…。
つーか、何故俺に聞いた。
お前の兄貴の方がよっぽど詳しいんじゃねぇか?」

「このようなこと、兄様には聞き辛くて…。」

「…そりゃそうか。
でも、こういうこと俺はよくわかんねぇんだよな……。」

一様は腕を組み、うーんと首を捻る。
申し訳ないと思いながらも、真剣に取り合って頂けてとてもありがたく思う。
一様は最初真剣な顔だったのに、突然眉をひそめ、またため息を吐いた。

「…一様?」

「幼馴染みにお前の兄貴に似たような奴がいるんだが……。」

「だが…?」

だが、の後にはなんと続くのでしょうか…?

「どうもだらしがないというか見境ないというか…。」

どうして一様には兄様やその方のような性格のご友人が多いのでしょうか…?
一様が面倒見が良いから?

「あとお前の兄貴と仲が悪い。」

言葉を選ぶように話していた一様でしたが、この言葉ばかりははっきりと言う。

「はあ。
…同族嫌悪というものでしょうか?」

「多分な。
…まあ、もし会うことがあれば伝えておこう。」

「ありがとうございます。」

そうして一様は帰られた。
兄貴が帰ったらこれを渡してくれ、と、私に文を託して。










夜も更け、そろそろ床につこうかと思った頃、ギシッと廊下から足音が聞こえた。
女房の誰かが来たのかと思えば、御簾に映るのは男性。


「ちはやぶる…――――」


その方の声は聞いたことのないお声で、歌を詠み終えると御簾を上げて中に入ってきた。
やはり知らない方。

私は後悔した。
何故、人を呼ばなかったのかと。
何故、この部屋から出なかったのかと。

とにかく、人を呼ばなければ私の身が危ない…!

そう思って口を開こうとすると、私との距離を一気につめて、口を塞がれた。


「こんばんは。
そんなに怖がらないでよ?ね?」


この方はにっこりと爽やかに笑うけれど、それが恐ろしくてたまらない。

「あとさ、君のお兄さんに会いたくないんだよね。
今はいないみたいだけど。」

兄様に会いたくない?
もしかしてと思い、手を外してもらいたいと身振りで伝える。
騒がない?と尋ねられ、頷けば開放してもらえた。

「貴方様は一様の幼馴染みの方ですか?」

「うん。そうだよ。
あれ?言ってなかったっけ?」

「今初めて聞きました…。」

一先ず安心する。

「ところでお名前は…?」

「あれ?岩ちゃんに聞いてない?」

「…岩ちゃん?」

一様のことでしょうか…?


「そっか。
じゃあ……在原業平とでも呼んでよ。」


「……ぷ。」

思わず笑ってしまった。

「もー、なんで笑うの。」

この方もそう言って笑うから、悪い人ではないのだろうと思った。
緊張が溶ける。

「貴方様は本当に在原業平のような方ですね。
だから先程の和歌もあのような歌だったのですか。」

「うん、もちろん。
だから俺の事は業平って呼んでよ。
そしたら俺も君の本当の名前は聞かないからさ。
そうだなあ…君の事は二条后様、とでも呼ぼうか?」

「私達は秘密の恋人、ということですね。」

「流石だね。
ごっこ遊びだと思って楽しもうよ。」

楽しい方だと思った。
確かに女性を楽しませることは得意そうだし、男性でも共にいたら楽しいのではないか?
何故兄と馬が合わないのかがわからなかった。
……まあ、合わないというのはその人でないとわからないですからね。


「ところで、二条后様はどうして恋を知りたいの?」


「……実は私、恋をしたことが無いのです。」

その中での龍之介の失恋と、潔子の入内。
これは私にとって大きなことだった。

「恋か…。」

業平様はそう言うと、私を見てニヤリと笑った。
なんだか先程までと雰囲気が違う。


「こういうのは、体験した方が早いと思うのだけれど?」


気がつけば、私の視界に映るのは天井と業平様のお顔。

「…業平さ…ま…?」

ふぅ…と蝋燭の火が消されるけれど、月明かりでそれはあまり意味がなかった。


「夜は長い。
ゆっくり教えて差し上げますよ…。」


兄上がこの方を嫌う理由が、何となくわかったような気がした。


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