友人
「靖子?」
潔子の家で、突然名前を呼ばれて振り返る。
誰だろう?
首を傾げれば、その人はハハハと笑う。
笑った顔には覚えがあった。
「……澤村様?」
そう尋ねれば、プッと笑われた。
人違いだっただろうか。
「…間違いましたか?」
その人は笑ったままで、いや。と首を横に振る。
「合っているよ。
いや、昔は名前で呼んでくれたのに随分他人行儀になったものだと思って。」
間違っていなくて一安心。
他人行儀、つい先日も同じ言葉を聞いたばかりだ。
それは私が言われたものではなかったけれど、その言葉がグサリと心に刺さった。
「どうかした?」
「いえ…。
澤村様にお会いするのはいつぶりだったかと思いまして。
最後にお会いした時はまだ元服もなさっていないお子同士だったではありませんか。」
「そうだったな。」
逞しくなられたお顔に、当時の面影を探す。
私もこの方も、こんなに変わってしまったのだと。
だから他人行儀になってしまうのも仕方が無いことなのだと、自分に言い聞かせる。
「…大地。」
「?」
「澤村大地、これが俺の名だ。
…覚えておいてくれるか?」
「…はい。
大地様ですね。」
「ありがとう。」
そう言って微笑まれる。
やはり笑った顔には、昔の面影が多くある。
その懐かしさが嬉しくなる。
「大地!」
そう大地様を呼ぶのは2人の殿方。
凛々しいお顔の方と、失礼かも知れませんが女性のような可愛らしいお顔の方。
私はその方々に会釈する。
「2人は俺の友達なんだ。
菅原孝支と東峰旭。」
「大地、この方は?」
菅原様は、大地様にそう尋ねる。
「こちらは高階公の四の姫。」
紹介をしていただいたから、しっかりとお辞儀をする。
「高階公の四の姫ってことは、青葉姫の家庭教師?」
驚いた。
まさか存じられていたなんて。
そう私に聞いたのは菅原様。
菅原様のそのお言葉に、東峰様も大地様も食いつく。
「そうなのか?
青葉姫っていえば、あの有名な姫君だろ?」
「…はい。
今は住み込みで青葉姫の家庭教師をさせていただいております。」
すごいな、と言って下さる大地様と東峰様。
そしてお2人とは違い菅原様は何かを怪しまれているようにも見えた。
私に緊張が走る。
「青葉姫って本当に存在すんの?」
ドキッとした。
菅原様の冷たい目。
大地様や東峰様が菅原様を諌めて下さるけれど、菅原様は私をじっと見たまま。
ここで気丈に振る舞わなければいけない。
そうしなければ、菅原様の言葉を肯定してしまうことになる。
「何を仰るのですか?菅原様。
青葉姫様はもちろんいらっしゃいますし、あの方はとても聡明な美しい方です。」
上手く笑えているだろうか。
わからないけれど、私にはそうする他なかった。
私がそう言えば菅原様は、ははっと笑う。
「菅原様?」
「ごめんごめん。
ちょっとからかってみただけなんだ。
青葉姫って美しいって有名な女性だけど、見た事のある男はいないし。」
何故だろう。
なんだか少し、気味が悪い。
「だから、ほんとにそんな『女性』はいるのだろうか、と。」
ドクンドクンと胸が打つ。
そう考えている殿方は、人々はもしかしたら私が気付いていないだけで沢山いるのかもしれないと考えてしまう。
これ以上ここにいたらボロが出てしまうかもしれない。
私は笑って「姫様は屋敷にいるのが好きなお方ですから。」と。
そして挨拶をしてその場を後にした。
逃げるように潔子のいる部屋へ行くと、御簾の中に潜り込んだ。
「どうしたの?靖子。」
「い、いえ。なんでもない。」
潔子は、いつもみたいに笑っていなかった。
不思議に思い声をかけようとすると、
「私ね……不安なの。」
そう、切り出された。
「不安?」
「ええ。」
潔子はため息を吐いた。
「もう皇后宮様も中宮様もいらっしゃるのに、私が入内したところでどうなるっていうの…。
所詮、お父様やお兄様の地位が少し上がるだけ。
靖子の姪御様のように中宮になれるのならお父様やお兄様にもっと孝行ができるのに……。だめね。」
そもそも身分が全然違うけれどね、と潔子は苦笑いする。
「そんなことない。潔子はえらいよ。
私は………親孝行なんて考えてないから……。」
潔子のように、家の為だったり父や兄の為になろうと思ったことはなかった。
それを強いられることもなかったから。
「ねえ靖子、お願いがあるの。」
「うん。」
「靖子はやりたいことをやって?
我慢して、自分を殺さないで。」
「…潔子?」
そう言って笑う潔子は美しかった。
それが貴女の重圧になったらごめんなさいと、そう言う姿がとても美しかった。
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