帰省


「おはようございます四の姫様。
母上様より文が届いておられます。」


「文?」

明け方、御簾の前で声をかけられた。
失礼致しますと部屋に入ってきた女房に、手紙を渡される。
開けると、そこには『1度家に戻るように』と書かれていた。

「わかりました。
では、出かける準備をお願いします。」

「かしこまりました。」

女房が部屋から出ると、私は身支度を整えた。
そして部屋を後にして、姫様の部屋へ向かう。


「青葉姫様。」


御簾の前で声をかけるが返事がない。
まだおやすみになられているのだろうか。

「失礼致します。」

私は御簾をあげて中に入った。
案の定、姫様が横になり、かけている着物は規則的に上下に動いている。

「姫様、姫様。」

トントンと姫様の肩を叩くと、ゆっくり目を開けた。

「ん…?…四の姫……?」

「はい。
おはようございます。」

「おはよ……どうしたの?
んーと……どっか行くの?」

姫様は私の装いを見て、そう思ったようだ。

「はい。
私の昔馴染みが入内するそうなのでそのお祝いをするために1度戻って来るようにと、母から文が。」

「なるほどネ…。」

「明後日には戻ります。」

「うん。
いってらっしゃい。」

姫様はひらひらと手を振ると、またスヤスヤと規則的な寝息を立て始めた。


「四の姫様、準備が整いました。」


「ありがとう。」

私が車に乗り込めば、車はガタガタと音を立てて動き出した。










『天の原
ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に いでし月かも』


空を仰げば月が美しく輝いている。
あの月は私の故郷、三笠の山で見たものと同じものだ。

あの人も……見ているのだろうか……












「……………ん?」

目を開けると、御簾越しに光が入って来ているのがわかる。
そしてガタガタと揺れているこの空間。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
夢か…。
どうして阿倍仲麻呂の和歌を思い出したのだろうか。

そっと外を覗けば、そこは見覚えのある景色。
そこはもう自分の家のすぐそばだった。
そして牛車はそこを通り過ぎ、隣の家の前に止まった。



「お帰りなさいませ。
潔子様はお部屋にいらっしゃいます。」

「ただいま。
わかったわ。ありがとう。」


子供の頃は我が家と変わりなく出入りしていたこの家。
歩みを進めれば、まるで子供に戻ったみたいだ。



「靖子。」



名前を呼ばれる。
部屋にいたのは同い年で幼なじみの潔子。

「潔子。久しぶりね。
来るのが遅くなってしまってごめんなさい。」

「そんなことない。
来てくれてありがとう。」

潔子はゆっくりと笑う。
その様子はとても美しい。
とても綺麗な着物を着ている潔子は、私の知っている潔子よりもずっとずっと綺麗だった。

「潔子、とっても綺麗。」

「ありがとう。
でもそんなことないわ。
着物と、いつもより綺麗にお化粧しているからじゃない?」

クスクスと笑うその姿も、やっぱり綺麗だった。


「ううん。綺麗。
潔子なら帝にもきっと寵愛されるわ。」


「………。」

突然、潔子の表情が曇る。

「潔子?」

「……私…!




「潔子!!靖子!!」




「「!?」」

突然大声で名前を呼ばれた。
声の主はすぐにわかったけれど。
声がした方を向けば、そこの御簾が上がり声の主が入ってくる。

「潔子、靖子、変わりない?」


「…冴子姉様……はしたのうございます。」



私がハァとため息を吐けば、潔子はクスクスと笑う。

「冴子様もお変わりないようで。」


冴子姉様も幼なじみの1人だった。
そしてもう1人。


「冴子姉様、今日龍之介は?」

冴子姉様の弟で私と潔子の1つ下の龍之介も、幼い頃から一緒に遊んでいる幼なじみだった。

「龍之介も来てるよ。
そこにいる。
潔子に最後の挨拶したいんだって。」

「そうですか。」

御簾の外に人影があり、それが龍之介だとわかった。
龍之介は昔から潔子のことが好きで、今もそれは変わらないのだと思う。
そのことに潔子が気付いているかはわからないけれど、私も冴子姉様もそれを知っていた。

「冴子様、弟君もそちらにいるのですか?」

「いるよ。
龍之介、挨拶しな。」


「…はい。」


御簾の外から声がする。
いくら幼なじみとはいえ、成人した男と女。
この距離は、幼なじみという関係だけでは埋められない。

「この度は心よりお祝い申し上げますと共に、潔……中の姫様、宮中でもお変わりなく過ごされますようお祈り申し上げます。」

「……はい。
ありがとうございます。
龍之介様もお変わりなく。」

潔子は無表情だった。
ただただ、じっと御簾越しの龍之介を眺めているだけ。


「…もう、昔のように『龍之介』と呼んで下さらないのですね。
『龍之介様』なんて、他人行儀ではありませんか。」


「龍之介…!」

冴子姉様が龍之介を止めるように声をかけるが、潔子は首を横に振る。
そして

「龍之介様はいずれお父上の後を継がれる田中氏の大切な嫡男。
そんな方を馴れ馴れしく呼ぶことなど出来ません。
それに…最初にそうしたのはそちらではありませんか。」

「潔子…。」


「…申し訳ありません。
失礼します。」


龍之介は、その場を去ってしまった。

「潔子…よかったの?」

「……仕方ないじゃない…。」

「でも龍之介は潔子のこと…」


「靖子。」


今度は私が冴子姉様に遮られる。

「…ごめん。」

今更何を言ったって仕方がない。
潔子が入内するのはもう決まったことだ。

「私、龍之介のところに行ってきます。」

御簾を持ち上げて部屋から出て少し歩くと、そこは中庭が眺められる長い廊下になっている。
そして、龍之介はそこに座っていた。


「龍之介。」


声をかければ振り向いた。

「靖子ちゃん…。」

「久しぶりだね。」

「うん。」

最後に龍之介と会ったのは龍之介の元服の儀の時だっただろうか。
その時よりも大きくなったように感じる。

「…潔子、すごく綺麗だったよ。」

「そっか。
……昔から、綺麗な人だったもんな。
だからまぁ…仕方ないか。
あの人は宮中でもやっていける人だ。」

「そうだね。」


「……でもさ。」


隣から、ズッと鼻を啜る音が聞こえる。



「もっと早く気持ち伝えてたら違ったかな。」




龍之介…。

私は背中をさする。
失恋。
それどころか恋をしたことのない私は、なんと声をかけていいのか分からなかった。



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