我君ヲ愛ス。


万歳。

そう、万歳三唱をする群衆の1人としてここに立つ私。
そして、その中心にいるのは私の愛しい人。

一静さんは群衆の中から私を見つけると、手招き。
そして

「なまえさん」

そう優しい声。
一静さんの声。

“お国の為に、ご健闘ください”

そうお声掛けをしようと思ったのに。
私の目には、涙が溜まってしまった。


ごめんなさい、一静さん


私は、その場から逃げ出した。
一静さんはどんな顔をされていましたか?
きっと呆れてしまったでしょうね。
酷い女だと、愛想を尽かしてしまいましたか?


神様、いるならどうかお願いです。
一静さんを無事に帰してください。
それが叶わないならばせめて…

一静さんの無事を祈らせてください。
ご武運をお祈りさせてください。


「一静さん……。」


私は人知れず、そう泣きながら祈ることしか出来なかった。

次の大安の日に向け用意された、
白無垢の前で。










「月が綺麗ですね。」


一静さんは、私の手を取ってそう言った。
澄ました表情の一静さん。
対する私は「真っ赤ですね。」なんて笑われてしまう始末。

「…死んでも…いいです。」

そうですか、と微笑んだ一静さんは心なしか安心された様だった。

「嬉しいけれど、死なないで。
確かに月は美しいけれど、最後にするには物足りない。」

まるで西洋のお芝居のような台詞を紡ぐ一静さん。
思わず笑いが漏れてしまった。

「あなたには笑った顔がよく似合う。
どんな時も笑ってください。」

そう言って微笑む一静さん。


「一静さんも。
笑顔がとてもお似合いです。
共に笑いましょう。
年を取って、お迎えが来るまで。」


そう、約束を交わした。

あの日はたった2年前じゃないか。












一静さんが仙台の地を去ってから早1年。

なんだろう、この胸騒ぎ。
そわそわと落ち着かないような、なんとも不思議な感触がした。
水を飲んで落ち着こうと台所に降りれば

ガラッ!!!

勢いよく、玄関が開いた。

ハァハァと息を切らせて私の家に駆け込んで来たのは一静さんのお母様。

「お義母様…!
どうなさったのですか…?」

私が近付くと、お義母様は床を見たまま私の胸に手を押し付ける。
そこにはギュッと握られた1枚の紙。

嫌な予感しかしなかった。

押し付けられた紙を見れば、そこに書かれた松川一静の名。
その隣には一静さんの階級。
そして

『死亡報告書』

の文字。
嫌な予感は、これだったんだな。
ぼんやりとそう思うと、その場に立っていられなくなった。
いつの間にかお義母様も座り込んでいた。
涙は出ない。

本当に、ただただ、ぼんやりと座っているだけだった。








昭和20年8月15日
戦争が終わった








それから1ヶ月ほど経った頃。
用を済ませて家に帰ると、私の家には一静さんのお父様とお母様がいた。
私の顔を見ると、持っていたハンカチで鼻を覆うお義母様。
そしてお義父様はよく見れば目が赤くなっている。

「朝方これが届きました。」

お義父様が差し出した物は、封筒。

「こちらは?」

「一静の遺書です。」

一静さんからの…遺書?


「これはなまえさんに向けて書かれたものですからお届けに参りました。
一静の亡くなった今、なんの関係もない私が言うのもおかしな話ではありますが、なまえさん。
どうか、一静の声を聞いてやってください。」


一静さんのお父様とお母様は、そう言われると帰られた。
私が戻るのを待っていて下さったらしい。
私の父も母も、泣いていた。


『なまえ様へ』


そう書かれた遺書の封を、私は開けた。



二人で力を合わせて努めてきたがついに身を結ばずに終わった。
希望を持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”といふことが実現してしまったのである。
去年十月、楽しみの日を胸に描きながら仙台の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。
発信は当分禁止された。
転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。
便りを書き度い、書くことはうんとある。
然し、そのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。
あなたのご両親、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。
至らぬ自分にかけて下さったご親切、全く月並みの御礼の言葉では済み切れぬけれど、
「ありがとうございました」
と最後の純一なる心底から言っておきます。
今は従に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。
問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。
しかし、それとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。

「あなたの幸せを希ふ以外に何物もない」

「従らに過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない」

「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」

「あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ、松川は現実の世界にはもう存在しない」

極めて抽象的にながれたかもしれぬが、将来生気する具体的な場面場面に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。
純客観的な立場に立って言うのである。
今更何を言うかと自分でも考えるが、
ちょっぴり欲を言ってみたい。

1、読みたい本
「万葉」「句集」「道程」
「一点鐘」「故郷」

2、観たい画
「ラファエル 生母子像」
「芳崖 悲母観音」

3、なまえ。
会いたい、
話したい、
無性に。

今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って征く。

昭和20年4月12日
なまえ様
一静




視界が歪んでしまって、仕方がなかった。

頬が濡れて、仕方がなかった。

思わずギュッと抱きしめても、クシャリと小さな音が立つばかり。

身体中の水が、全部目から溢れ出てしまうような気がした。
そうして干からびてしまえれば、どんなにいいだろう。
貴方の側に行けるなら。

けれど、そんな事したら一静さんは私を叱るでしょうか。
それとも私の願いを聞き入れてくれなかったんだねと、哀しく微笑むでしょうか。

ダメですね、一静さん。

笑おうとすると、涙が溢れてしまうんです。
綺麗な月が、綺麗ではないんです。


“あなたには笑った顔がよく似合う。
どんな時も笑ってください。”


そう言って下さったのにね。


どうか、待ってください。
きっと笑いますから。
貴方が似合うと言ってくれた、この笑顔で。

何年かかっても、きっと笑います。

だから私が天寿を全うした時は、笑顔で迎えに来てくださいね。

私も待っていますから。
だから、待っていてくださいね。
一静さん。

ずっとずっと

私は貴方をお慕い申しております。


fin



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