今君ヲ愛ス。
小さい頃、お母さんに連れられて絵画を見に行った。
小さい頃だし、興味のない私だったけど、ある絵だけは熱心に見つめていたという。
もしかしたらこの子には芸術家としての才能があるのかもしれないと思ったお母さんは、私を絵画教室に連れていった。
けれど、幼い私は嫌がるだけで、才能は凡人並み。
すぐに教室をやめてしまった。
それからいくつも、幼い私が興味を示すものがあった。
けれど不思議なことに、どれも一つの作品であったりとか、その物にだけ興味を示した。
絵画の件以来、お母さんが無理やり教室に通わせようとすることはなかったし、きっと気まぐれな子なんだ。と思われるようになった。
お父さんもお母さんもそれだけだったけど、おじいちゃんだけはちょっと違った。
私が色々なものに興味を持つ度に言った。
「お前はじいちゃんのお母さんにそっくりだなぁ。」
と。
「これ、返却で。」
「はい。」
高校生になって、私は図書委員会に入った。
特別に本が好きなわけではなかったけど、委員会には部活に所属していない者が率先して入るように、とのことだったから仕方なしに入っただけだった。
でも、図書委員になっていいこともあった。
「よ。」
「あ、こんにちは。」
私に声を掛けてくれるのは2つ上の松川先輩。
「今日は何か借りるんですか?」
「うん。この前来た時はなかったからね。」
先輩と知り合いになったのは1か月くらい前だった。
先輩が探していた本を、偶然私が読んでいた。
その時に少しその本のことで盛り上がり、私の名前を覚えてもらうに至った。
と、言うのも、私は先輩の名前を既に知っていた。
以前友達に誘われて応援しに行ったバレーの試合。
そこで初めて先輩を見て、釘付けになった。
憧れの先輩。
だから先輩に名前を覚えて貰えて本当に嬉しかったし、今もそう思ってる。
勿論、彼女になりたい、なんて大層なことは思っていない。
ただほんの少しだけ。
今みたいに、たまにおしゃべりができることが本当に幸せ。
先輩はお目当ての本があったようで、カウンターへと持ってきた。
というかこの本、私がこの前借りた本だ。
「先輩、『故郷』探してたんですか?」
「うん。
先週は借りられてたから。
まさか自分以外にこれ読む奴いるとは思わなかったからビックリした。」
「すみません…。私です……。」
なんだか申し訳なくなって謝れば、「マジか」なんて言って先輩に笑われた。
魯迅が好きなわけでもないのに、『故郷』は何故かタイトルを見て読みたくなった本だった。
先輩とまた、話しが盛り上がる。
楽しい。
戦争中だったらこんな風に話せなかったな。
ああ、まただ。
なんで急にそんなことを思ったのか、自分で分からない。
そろそろ部活の始まる時間だと告げる、チャイムが鳴る。
「じゃあ俺、そろそろ行くわ。」
「部活、頑張って下さい。」
「ありがと。」
先輩の背中を見て、不安になる。
「あの……先輩。」
「ん?」
「…き、気をつけて下さいね。」
先輩にとって部活は日常。
なのに、その背中を見たら不安になった。
「わかった。」
先輩はそう言って笑うと行ってしまった。
昔から私にはそんな癖があった。
特に楽しい時、必ず思ってしまう。
『もし今が戦争中だったら』
と。
そして不安になった。
『死』というものを漠然と考えて不安になる、ということは聞いたことがあった。
けれど私の場合は違う。
はっきりと感じていた。
いや、知っているの方が正しいのかもしれない。
幼い頃から知っていた。
戦時中の風景。
群衆の真ん中に立つ人。
その人が私にとってどんな人なのかはわからないし、どうなったのかもわからない。
けれど、辛い記憶であるのは確かだった。
休日、私が家にいるとおじいちゃんから電話がかかってきた。
『面白いものが出てきたから来てみろ。』
それだけ言うと、電話を切られた。
特に用事のなかった私は、近距離の母の実家へと行った。
「何があったの?」
母の実家へ行けば、おじいちゃんは蔵でゴソゴソと何かを探していた。
私に気がつくと、軽く挨拶をして何か紙を私に渡した。
「?なにこれ。」
「手紙だ。」
「手紙?誰の?」
そう聞きながら手紙を見る。
古いし達筆だから読みづらい。
しかし、よく見れば
『なまえ様へ』
そう綴られていた。
「……なんで、私の名前が……?」
なまえは私の名前。
なのにどうして古い手紙に書かれているのか?
「どうやらこの手紙、じいちゃんのお母さんが受け取ったものらしいんだ。」
「ひいおばあちゃんが?」
ひいおばあちゃんの名前が私と一緒?
……あれ?でも……
「ひいおばあちゃんの名前って全然違った気がするんだけど……。」
「じいちゃんもそう思ってた。
でもどうやらずっと名乗っていたのは本名じゃなかったらしいんだ。」
おじいちゃんはそう言って、戸籍を見せてくれた。
そこには確かに『なまえ』と書かれていて、同時におじいちゃんとの関係欄には、『養子』と書かれていた。
「……おじいちゃん養子なの?」
「らしいな。」
「いや、らしいって……。」
ひいおばあちゃんは、私が生まれる前には亡くなっていた。
おじいちゃんにはお兄さんがいて、そのお兄さんが全てのことをしてくれたからおじいちゃんは戸籍を見ることがなかった。
だからひいおばあちゃんとの関係や本当の名前を知らなかったのだけれど、最近ちょっとしたことで戸籍が必要になり、見たら養子だった、と。
「兄さんに確認したら、お前知らなかったのか?ときたもんだ。」
「そうなの……。」
おじいちゃんとおじいちゃんのお兄さんは、所謂戦争孤児というもの。
まだ生まれたばかりのおじいちゃんとおじいちゃんを抱いたお兄さんを、ひいおばあちゃんは引き取ったらしい。
ひいおばあちゃんはすごい人だと思う。
おじいちゃんを何の疑問も持たせずに育てたのだから。
「その手紙はなまえにやる。
名前が同じなのもきっと何かの縁だ。
なまえと母さんは似ているところも多いからな。」
おじいちゃんはそう言って私に手紙をくれた。
正直私もそう思っていた。
血のつながりはないのに、何故か感じる懐かしさと悲しさ。
私は家に帰ると封筒を開けた。
そこに入れられた1通の手紙と、粗末な紙切れが1枚。
紙切れは文字が薄くなっていてほとんど読めなかったけれど、「死亡」の二文字から何が書かれていたのかは安易に想像が出来た。
そして手紙を開く。
なまえ様へ……
二人で力を合わせて努めてきたがついに身を結ばずに終わった。
希望を持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”といふことが実現してしまったのである……
読める……。
今とは少し違う、崩れたような文字なのに……。
そのまま読み進めていけば、じわじわと視界が狭まりぼやける。
最後の文に行きつくまでには、涙がこぼれてこぼれて仕方がなかった。
見れば、手紙には少しでこぼこと皺になっている箇所がいくつかある。
そして、最後に名前が書かれていたであろう箇所は、あまりにきつく握ったせいで読めなくなった文字。
でも私は知っていた。
「……一静さん……」
そこにはそう綴られていた、と。
「よ。」
「あ…先輩…。」
その日、いつもの日常だった。
私が図書委員の仕事でカウンターにいれば、先輩はそこへ本を返しにやって来た。
「返却ですよね。」
「うん。」
返却手続きを行えば、そこには先輩が以前借りた本のリスト。
見覚えのある本ばかりだ。
「……先輩」
「うん?」
「『前世』って信じますか?」
確信を得たいと思った。
けれど同時に襲いかかる不安。
先輩は無関係かもしれない。
仮に関係があったとしても、全く覚えていないかもしれない。
引かれたらどうしよう。
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
「……なんで?」
先輩の声のトーンは低かった。
「……たまに、私が知らないはずの記憶があるんです。
だから…それ、もしかしたら前世の記憶なんじゃないかなぁと……」
ああ、完全に引かれた気がする。
信じる信じないの話しならともかく、記憶があるとまで言ってしまった。
先輩がその人で、尚記憶がなければ私はただのおかしな子、だ。
「……すみません、変な」
「みょうじは前世の記憶、どのくらいあるの?」
「え?」
先輩からの言葉は意外なものだった。
「……完全に覚えているわけではないです。
でも、大切な人の最後の姿を覚えてます。
あと…この前手紙を読みました。」
「手紙?」
「はい。
私のひいおばあちゃんが大切に保管していたみたいで…。
私が生まれる前に死んじゃってるから会ったことないんですけど…私と同じ名前だったみたいで……。
だからもしかしたら私、ひいおばあちゃんの生まれ変わりだったりして、なんて……。」
「そうかもしれませんね。」
変ですよね。
私がそう続けるより先に、言われてしまった。
その時チャイムが鳴り、音が図書館に響く。
声をかけようと視線を動かせば、先輩は泣きそうな顔で笑っていた。
「……先ぱ……」
「今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい。」
私はこの言葉を知っている。
「1、読みたい本『万葉』『句集』『道程』『一点鐘』『故郷』」
パソコンに目をやれば、借りた本が一致していた。
「2、観たい画『ラファエル 生母子像』『芳崖 悲母観音』」
それは幼い頃、私を釘付けにした絵。
おじいちゃんに、ひいおばあちゃんにそっくりだと言われたこと。
「3、なまえ。会いたい、話したい、無性に。」
視界が歪む。
70年以上聞きたかった言葉を、ようやく聞けた。
「……ずっとお会いしたかったです……。」
「ありがとう、ずっと待っててくれて。
…………ただいま。なまえさん。」
「おかえりなさい。一静さん。」
fin
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