邯鄲の夢




『お!俺と結婚して下さい!!』



思わず、持っていたフォークとナイフを落としそうになってしまった。

付き合い始めて5年。
彼は大学をつい一昨日卒業して、この春から実業団に入り社会人として働き始める。

職場はお互い近いから、一緒に住もうか。

なんて話も上がってた。
今までも彼はよく私の部屋に来て半同棲状態だったからあまり変わらないな、なんてことも思ってた。
その矢先のこと。

付き合って5年の記念日だし、レストランで食事しよ。

そう、彼から誘われた。
その時は思わず笑ってしまった。
前は思ってもみなかった言葉だ。
5年という歳月は、短いようで長く大きな時間だったことを物語っていた。



それは私が思う以上だったらしい。
目の前の彼、木兎光太郎の手の中には小さな箱。
さらにその中で輝く指輪。

驚きのあまり、私の手は無意識に口を覆った。


「突然ごめん。なまえさん。
俺、やっとなまえさんと対等な立場になれたんだ。
俺…馬鹿だから、最初はうまくいかないかもしれない。
でも一生懸命やる。
なまえさんの為に。
だから…俺のこと…。
馬鹿な俺のことを側で見てて下さい…!」


光太郎くんの言葉の最後が震えているのがわかった。
それと同じように、私の視界も歪む。

ゆらゆらと視界が揺れ、瞬きをする。
そうすれば私の視界を歪めていたモノが頬を伝う代わりに視界が開けた。

光太郎くんは真っ赤な顔、そして今にも泣きそうな目で私を見ている。

当然、断る理由も必要性もなくて、何度も何度も頷いた。

パァっと彼が笑顔になると同時に、周りにいたお客さんからの拍手。
示し合わせたわけではなく、偶然いたお客さん達が私達を祝福してくれた。
本当に嬉しかった。





それから数日後、光太郎くんが私の実家に挨拶に来た。
いつもとは違う髪型とスーツ姿、しかもコチコチに緊張してて私の知ってる光太郎くんじゃないみたい。
光太郎くんを居間に案内すれば、その光太郎くんを見て吹き出しそうな京治。
唇を噛んで下を向いている。
光太郎くんがその後お父さんになんて挨拶したか覚えていない。
ただ、緊張してたくせに妙に丁寧に会話が出来ていたのは覚えている。
案の定、光太郎くんも自分が何を喋ったかは何にも覚えていないみたいだったけど。

その翌日、私達は入籍した。
とりあえず入籍を済ませ、落ち着いてから結婚式をしようということになった。
先に入籍した方が住居の事とかが後々面倒にならなかったからだ。

「木兎さーん。」

「は!はい!」

受付で木兎さんと、そう呼ばれる。
結婚して同じ苗字になったのだから当然だけど、なんだかむず痒い。

「こちらの書類は授与致しました。
ご結婚おめでとうございます。」

「あ、ありがとうございます。」


木兎なまえ。


今日からそれが私の苗字。
木兎なんて苗字の印鑑はなかなか売っていないから、区役所に行った帰りにハンコ屋さんに寄った。
自分用のハンコ、作るんだ。










「なまえさん!」

控え室のドアが開き、入ってきたのは白いタキシードに身を包んだ光太郎くん。

「…すごい。
すごいかっこいいよ、光太郎く」


「なまえさんすっげぇ綺麗!!」


「ちょ…声大きい…。」

大声でそんなことを言われ、嬉しいけれど少し恥ずかしい。
しーっと指を立てるけれど、そんなの見ちゃいない。

「奥様とてもお綺麗ですよね。」

スタイリストさんにそう言われれば、「そうなんですよ!」なんていう光太郎くん。
恥ずかしいからやめてほしい。


「失礼しまーす!!」


コンコンとドアをノックされ、女の人の声がした。
返事をすると、入ってきたのは先輩と京治。

「先輩!」

「おっすー赤葦!
あ、もう赤葦じゃないのか。」

「赤葦でいいですよ、先輩。」

「そ?
…すごく綺麗だね。
ね、京治くん。」

「そうですね。
綺麗だよ、姉さん。」

弟にそんな風に言われるのはなんだかちょっとだけ気恥ずかしかった。
でもそれも嬉しくて、先輩もわざわざ来てくれて本当に嬉しかった。

「ありがとうございます、先輩。
ありがとね、京治。」

けれど、それに拗ねる光太郎くん。


「なんで俺の時と反応違うの!?」


「木兎さんはうるさいからですよ。」

「赤葦酷い!」

京治の一言にプッと吹き出す。

「あ、そうだ赤葦。
俺のことを、お義兄さんって呼んでも「遠慮します。」

2人のやりとりに結局笑ってしまった。

「はいはい、木兎さんもかっこいいですよ。」

「…エ!」

「なんでそこで恥ずかしがるんですか?」

そんなやりとりを見ているとまたドアがノックされ、次から次へと人が来る。

「久しぶりだな、赤葦、木兎。
…あ、もう2人とも木兎なのか。」

バレー部の監督や、当時の部員たちも来てくれた。
私の時の部員も光太郎くんの時の部員も。
本当にありがたい。
嬉しい。

そのあと、結婚式と披露宴は滞りなく行われた。

緊張したけど、私の隣でもっとガチガチに緊張してる光太郎くんを見ていたら緊張は完全に解れた。


私達は本当に夫婦になったんだな、なんて実感した。





それから約1年後。

私のお腹には新しい命が宿った。





「ほ、ほ、本当に!?」

「うん。
昼間、病院で診てもらってきたの。」

大きな目をパチパチと瞬きする光太郎くん。

「ほ、本当に…?」

「だから本当だってば。」

光太郎くんの手を取ると、私のお腹に当てる。
まだ小さすぎて何もわからないけれど、確かにここにいる。


「光太郎くん、パパになるんだよ。」


光太郎くんはこくこくと何度も頷く。
いつの間にか鼻が赤くなっていた。



その日から、光太郎くんはちょっとだけ鬱陶しかった。
この食べ物がいいだとか、このマッサージがいいだとか、これがいいあれがいいと、色んな人から聞きかじりの情報を毎日言ってきた。
今まで半々でやってた家事も、ほとんどやってくれた。

「大丈夫だってば。」

「いいって!俺やるから!」

子供が産まれたらどうなってしまうのか。
それがちょっとだけ不安だった。
贅沢な悩み、なんて言われるかもしれないけど。







それから数ヶ月。
予定日よりも3週間早く、その日はやってきた。


「なんでわざわざこんな日に。」


京治がため息をつきながら腰をさすってくれる。
光太郎くんはと言えば、テレビの向こう。
スパイクを決めてヘイヘイヘーイと喜ぶ様は、まるで高校生の頃の光太郎くんみたい。


「きっと見たかったんだよね。
パパの活躍。」


テレビ向こうでは、セットを取った日本代表が抱き合っている。
その中にいる光太郎くん。
私はまるで自分の事のように誇らしかった。

「そうだね。」

「きっと金メダル取れるよ、日本。」

「うん。」

痛みの感覚が狭まってくる。
そろそろなのかな?なんて思っていたら看護師さんに呼ばれる。

「木兎さん、移動できる?」

「はい。」

「弟さんは待っててくださいね。
もし旦那さんと連絡取れるなら教えてあげて。
試合は…1セット先取したみたいだし。」

「わかりました。
姉のことよろしくお願いします。」

「大丈夫よ。
さ、行こうね、木兎さん。」

「はい。」

分娩室まで移動するとき、看護師さんと光太郎くんの話をした。

「オリンピックの時期に出て来ちゃうなんて。
お父さんの活躍が見たかったのかしらね?」

「きっとそうだと思います。」

「今回勝ったらもう次は決勝戦だもんね。
開催地は日本だし、きっと旦那さんは連絡取れたらすぐに飛んでくるんじゃない?」

その様子が安易に想像出来た。

「そうですね。」

可笑しい。







おぎゃあおぎゃあと元気な産声。
この世の物とは思えない痛みだったけど、元気な声を聞いたらそんなのどこかへ吹き飛んだ。

「ほら、元気な女の子よ。」

先生が赤ちゃんを抱かせてくれた。
ちっちゃい体で大きな泣き声。

「…初めまして。ママです。
あなたのパパはね…一生懸命頑張ってるよ。」

特別に分娩室に置いてくれたテレビに映っているのは男子バレーボール日本代表の決勝戦。

あと1点で金メダル。

ボールは日本側にあって、それを今、セッターの影山くんがポンとあげる。
すでにレフトにいた日向くんが跳んでいた。

『変人速攻』

2枚ブロックが日向くんの軌道を塞ぐ。
けれど、ボールが飛んで行ったのはレフトではなかった。


ライト


そこにいたのは


『『木兎さん!!』』


相手チームの前衛の1人が光太郎くんの前で跳ぶ。
けれど、光太郎くんの打ったスパイクは、ラインぎりぎりを抜けていく。

学生の頃練習していたストレート打ち。


ワァァァァア!!!!

盛り上がる歓声とサポーターが振る日本の国旗。
そしてアナウンサーの興奮した声。

周りにいた看護師さん達も歓喜の声をあげる。


「ほら、あれがあなたのパパだよ。」


おぎゃあおぎゃあと泣くばかり。
まだ生まれたばかりだからわからないよね。
でも、確かにこの子も光太郎くんの活躍を見たんだ。

看護師さんが赤ちゃんを綺麗にしてくれる。
その間、ちらっとテレビを見ると、日本代表が少し慌ただしい。
アナウンサーも『どうしたんでしょうか。』なんて言っている。

どうしたんだろ?

「どうかした?」

看護師さんの1人が私の側へ来てくれた。

「なんだか日本代表が慌ただしいなと思って。」

「確かにそうね。」

そんなことを言っていたらコマーシャルになった。
次の人が来るということで、お礼もそこそこに私と赤ちゃんはその間に病室に戻ることになった。
看護師さんに教えてもらい、母乳をあげる。
そうしたら赤ちゃんは寝てしまった。

まだやってるかな?

そう思ってテレビをつけると、特設のスタジオでちょうど日本代表にインタビューのところだった。

『金メダルおめでとうございます。
では、まず木兎選手にお話を伺いたいと思います。』

『はい。』

どうでしたか、なんて質問に答える光太郎くん。
うん、受け答え出来てるね。
ちゃんと成長してる。

『実はですね、木兎選手。
木兎選手のことをよく知っている方とお電話が繋がっています。』

『え?』

へぇ。
誰だろ。

部活の監督とかかな。そんな風に思っていたら。


『お疲れ様です、木兎さん。』


!?


『赤葦!?』

京治!?



いつの間にか京治がいなくなってると思えばまさかそんな。
『すごかったです。』なんてコメントする京治。

『ありがとな!
赤葦!』

すると、アナウンサーが遮るように言う。

『そういえば木兎選手の奥様は赤葦さんのお姉さんなんですよね。』

『?
はい、そうです。』



パーン!!!


!?

『なんだ!?』

スタジオで、ひとつクラッカーが鳴った。
びっくりした。
それは光太郎くんもそうだったらしい。
何が起きたのかわからない様子の光太郎くんと、影山くんに怒られる日向くん。
どうや日向くんがクラッカーを誤爆したらしい…けど、なんでクラッカー?

『実は木兎さんに言いたい事があるんです。』

まだ電話の繋がったままだったらしい京治。

『おう!何だ?』

カメラの方を向いている光太郎くんの後ろで、そっと立ち上がる日本代表の選手達。
手にはクラッカー。
そして

パーン!!!!!
パン!!
パーン!!!

『な、なんだ!?』

!?

全員でクラッカーを鳴らす。
選手全員が3つずつくらい鳴らしたせいで、ちょっと画面が白んでいる。
本当、どうしたんだろう。




『おめでとうございます。
元気な女の子です。』




………え。

『……え?』


意味がわからない、というような光太郎くん。
私も似たような表情をしているはずだ。
しかしすぐに光太郎くんは表情を変える。


『えぇぇええ!!?』


わたわたと落ち着いていられないといった様子。
京治との電話が切れると、日本代表のチームメートが光太郎くんをワシャワシャ撫でたり担いだりと忙しく楽しそうにしている。


「あ、観てたんだ。」


ドアの方を見れば、京治がやってきた。

「京治…これ…。」

「うん。
先に知らせたら木兎さん、多分焦っていつもの力出せないかと思ったから。」

「…たしかに。」

光太郎くんは昔からそうだ。
気持ちが早るとミスが多くなる。
ずっと光太郎くんと組んでただけあって、京治はその辺りを熟知してる。
テレビを見れば、特設スタジオからテレビ局のスタジオに変わっていて、おめでたいですね、なんて言うコメンテーター。
少し恥ずかしかった。

「多分もうちょっとしたら木兎さん来るから。
それまで休んでれば?」

「うん、そうだね。」

赤ちゃんはまだスヤスヤ眠ってるし。
ちょっと休もうかな。
そう思って横になれば、すぐに眠りに落ちてしまった。








「なまえさん!!!」





!?





ガラッと個室のドアが開く音と共に呼ばれる私の名前。
驚いて飛び起きると、そこにはハァハァと息を切らせた光太郎くん。

右肩にはタオルや練習着が入っているだろうバッグが掛かり、左手には大きな紙袋を持っていた。


「木兎さん!
病院では静かにして下さいと何度も注意しましたよね!?」


光太郎くんは近くにいた看護師さんに叱られた。
地声が大きいせいもあり、前からしょっちゅう叱られてた光太郎くん。
こんな光景も日常茶飯事だ。

だけど、今日は日常茶飯事じゃないこともある。
私は光太郎くんの登場にすごくびっくりしたけど、それは私だけではなかった。
隣で寝る赤ちゃんも、驚いて泣き始めてしまった。

よしよしとあやす。
でもうまくあやせなくて看護師さんに助けを求めたけれど、そのまま抱いてれば大丈夫よと言われてしまった。

その様子をボーッと眺める光太郎くん。


「木兎さん、娘さんですよ。」


「うおっ!赤葦!」

シーッと人差し指を立てる京治に、光太郎くんは口を塞ぐ。
私がその様子に笑えば、安心したのか赤ちゃんも鳴き声が小さくなった。

「ほら光太郎くん、私達の赤ちゃんだよ。」

近くにやってきた光太郎くんは椅子に座ると、コクコクと頷いて赤ちゃんをジッと見つめる。

「抱っこしてあげて。」

「お、おう!」

光太郎くんに一先ず手を洗わせると、椅子にもう一度座った光太郎くんに赤ちゃんを渡す。
赤ちゃんはいつの間にか泣き止んでいた。
ただでさえ小さな赤ちゃんは、光太郎くんに抱かれてより小さく見えた。
光太郎くんはそんな小さな赤ちゃんを、ちょっと緊張したように抱いている。

「…光太郎くん。」

「ん?」



「優勝おめでとう。」



一瞬ぽかんとする光太郎くん。
面白い顔。
けれど、すぐニッと笑う。

「ありがと、なまえさん!
俺な、最後にスパイク決めたんだ。」

「うん、知ってる。」

そう言えば、びっくりしたみたいな光太郎くん。

「看護師さんがね、分娩室にテレビ持ってきてくれたの。
それにね、その瞬間を見たのは私だけじゃないよ。」

「?」

ツンツンと赤ちゃんの手を突くと、私の指をギュッと握ってくれる。
ただの反射だ、なんて聞いたことあるけど、嬉しいものは嬉しい。

「この子も一緒に見てたよ。
パパの活躍。」

ね、と赤ちゃんに問いかける。
もちろん何も答えないけれど、光太郎くんの方をジッと見てにっこり笑ってる。
私ももう1度光太郎くんの方を見れば、驚いた。


「もう…なんで光太郎くん泣いてるの。」


光太郎くんは赤ちゃんをベッドに寝かせると、腕でゴシゴシ自分の目を擦る。

「あんまり擦ると赤くなっちゃうよ?
また明日もテレビ出るんじゃないの?」

思わず苦笑いをして、近くにあったタオルを渡す。

「…ありがと…なまえさん…。」

「別にタオルくらいいいのに。」

「違くて…。」

光太郎くんは私の方を見る。
目も鼻も真っ赤だ。
そして私の方に頭を下げられた。



「俺の家族になってくれてありがとう。」



その言葉に、私の視界もぼやけてしまった。

「光太郎くん。
顔上げて?」

光太郎くんが顔を上げると、今度は私が頭を下げた。


「こちらこそ。
私を家族にしてくれてありがとう。」


目も鼻も真っ赤だったけど、光太郎くんのその後の笑った顔は、誰よりもカッコ良かった。

そう言えばその紙袋は何?と聞けば、中から出したのはバレーボール。
赤ちゃんに、だってさ。
早すぎるよ、そう思って笑った。









「ちょっとパパ、そわそわしない。」

「だって…。」


娘が生まれて6年。
今日は小学校の入学式。

そして隣にはそわそわと落ち着かない光太郎くん。

「大丈夫だから。
あの子しっかりしてるし。」

「そうだけど…。
俺…遠くからでわかるかな…。」

「パパに似て背が高いから大丈夫じゃない?」

子供が生まれると不思議なもので、お互いの呼び方はパパとママになった。

「あ!いたいた!」

「しっ、静かに。」

なんていうか…。
相変わらずちょっと子供っぽい光太郎くん。
子供が2人いるみたいだ。



娘はこの日小学校に入学した。
そしてそれを境に、ずっと入りたがっていたバレーのクラブチームにも入り、バレーを始めた。

『パパみたいなバレーの選手になるの!』

これが娘の口癖だった。
そう言われた光太郎くんはすごく嬉しそうで、バレーの練習に精を出していた。
それと

『大きくなったら黒尾くんのお嫁さんになる!』

これも口癖で、黒尾くんの彼女さんも『とられないようにしなきゃ!』なんてノッてくれた。
他の選手達も。

ただ1人、光太郎くんだけは本気でしょぼくれモードに入ってて面白かった。


そして小学校卒業後、私立の中高一貫校に入学し、バレー部に入部。
そしてそのまま高校でもバレー部に入った。
その頃には女子の平均身長だった私を抜いた。
放課後は部活。
家に帰れば父親とバレーの話。

娘と好きなバレーの話ができて、光太郎くんは嬉しそうだった。
そして娘も、現役を引退して指導者になった父は、いい相談相手だったのだろう。



「あのね、お父さん、お母さん。
将来のことなんだけど…。」



ある日、娘は改まってそう言った。


「私、バレーの選手にはならない。
私は自分でバレーをするんじゃなくて、選手達の手助けをしたいの。」


娘は少し、申し訳なさそうだった。
恐らく光太郎くんが、自分がバレーの選手になることを楽しみにしていると思ったからだろう。
確かに光太郎くんは、娘がバレーの選手になりたいと言った時は嬉しそうだったけれど、娘がそう言ったことに関してはしょぼくれてもいないし、悲しんでもいなかった。


「いいじゃん!それ!
お前にあってるよ。」


ただそう言えば、ニッと笑う。
娘は驚いた表情をした後、「ありがとう」と笑った。
その顔が光太郎くんとそっくりで、思わず笑ってしまった。



娘はその後、志望校に無事合格した。
バレーは趣味程度に続けていて、とても楽しそうだった。


そして卒業後、娘は就きたかった職に無事に就くことが出来た。

それから数年が経ったある日、娘に言われた。


「お父さんとお母さんに会ってもらいたい人がいるの。」


直感した。

そしてその週の休日、娘は恋人を連れてきた。
話を聞けばやはり、それは娘と結婚をしたいということだった。

連れてきた人は、とてもいい青年だった。
娘よりも少し歳上で頼り甲斐もありそう。
そして何より優しそうだった。



半年後、娘はその青年と結婚式を挙げた。


式の時はいつも通り元気だった光太郎くんも、家に戻れば寂しそうにしていた。

最初は2人で暮らしていた家。
3人になって早20数年。
また2人に戻っただけなのに、いやに広く感じた。

「よかったね、あの子、幸せそうで。」

「…そうだな。」

ズッと鼻をすする音。
泣いてるんだ、なんて思えばちょっと笑えた。
意外とこういう時、女親の方が切り替えが早いのかもしれない。

「…何笑ってんの。」

「確かに2人になっちゃって寂しいけどさ、また仲良く暮らそう?
光太郎くん。」

光太郎くん、なんて久しぶりに呼んだ。

「…おう。
またよろしくな。
……なまえ。」

なまえ。
そう呼ばれたのは初めてだった。

「こちらこそ。」


最初はやっぱり寂しかったけれど、慣れてしまえば2人の生活は楽しかった。

第2の人生を謳歌している。

まさにこれだった。
私も光太郎くんも。



それからしばらくして、娘が子供を産んだ。
それが可愛くて可愛くて仕方がない。
それは光太郎くんも同じなようで、遊びに来ればずっと遊び相手になっていた。
そのジジ馬鹿っぷりは凄まじいもので、偶然遊びに来ていた京治にまで言われる始末だった。

「木兎さん、バレー馬鹿、親馬鹿と来て、今度はジジ馬鹿ですか。」

「悪いか!」

「…いやいいですけど。」

ハァとため息を吐く。
その光景は何十年経ってもそのままだから、おかしくて仕方がない。


光太郎くんがリタイヤしてからは、2人で旅行に行った。
娘家族と一緒に行くことも何度かあったけど、ほとんどが2人だった。
海外旅行もしたし、国内旅行も。


私はこの上なく幸せだった。


気がついたら米寿のお祝いをしてもらっていた。

娘、孫、ひ孫、そして光太郎くん。


みんなにお祝いしてもらって、こんな幸せなことない。



いい人生だった。




気がつくと、私は私を見ていた。


真っ白な服を着せられ、そばで泣いているのは光太郎くん。
そして娘や孫やひ孫達。

病院で、幾つかの管に繋がれた私と『0』と表示されたモニター。



ああ、自分、死んだのか。



白い服を着せられて、沢山の花に囲まれて、
そして沢山の大事な人達が来てくれて。


お葬式は案外明るい。


私も祖父や祖母、父や母が亡くなった時にそう感じた。
私の時もそうだった。

来てくれた人が私に纏わる話をして、笑って、たまに泣いてくれて。

1番笑ったり泣いたり忙しいのは、やっぱり光太郎くんだった。



なまえさんが…

なまえさんは…

なまえさんって…

なまえさん…

なまえさん…



何度も何度も呼ばれる名前。
その度に、その場所から引っ張られるみたいだった。


なまえさん

なまえさん


でもやっぱりするのは光太郎くんの声で。




「…さん、なまえさん。」



………ん?




「なまえさーん?」


ゆっくり目を開けると、私の目の前には光太郎くん。

「……若い…。」

「…なまえさん寝ぼけてる?」

…あれ。
さっきまでお葬式をやってたはずなのに…。


「俺が飯作ってる間に何か夢見てたの?」


………夢?

見渡せば、そこは私が1人で住んでいるマンション。

「……夢?」

「?」

ソファで寝ていた私。
そのソファの目の前のテーブルには、幾つか料理が並んでいた。

「………光太郎くんって今何歳だっけ。」

「…大学3年。
なまえさん寝ぼけ過ぎ!」

豪快に笑う光太郎くん。

記憶が鮮明になっていく。
そうだ、今日は光太郎くんがご飯作ってくれるって言うからテレビ見ながら待ってて…寝ちゃったんだ。


「…最初から夢だったんだ。」


ホッとしたような残念なような…。


「そんな壮大な夢見てたの?」

光太郎くんがテーブルの前に座り、その向かいに私が座る。

「うん、かなり。
いただきます。」

「いただきます。
どんな夢?」

……どんな夢。
話すと長いしちょっと恥ずかしい。

「簡単に言うと…。」

「うん。」


「『邯鄲の夢』…かな。」


多分意味知らないだろうな、なんて思えば案の定だった。

「どんな意味?」

「それは自分でお調べください。」

えー!なんて言って笑う光太郎くん。



やっぱり私は、光太郎くんといる時はいつだって幸せだった。



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