兄と私と弟と。

「……かっこ悪い。」

蛍がそう、呟く。
当時中学1年生だった私。
当時小学5年生の蛍とその友達を連れ、当時高校3年生だった兄ちゃんのバレーの応援に行った。
こっそりと。

そこにいたのは輝かしい活躍をするお兄ちゃんではなく

『絶望』その一言がぴたりと当てはまる顔をしたお兄ちゃんだった。


年の近い私と蛍の仲は変わらなかったけれど、その日から私達兄弟の関係はギクシャクとしてしまった。

中学1年生の最初の進路調査では、私は志望校を『烏野高校』に決めていた。
お兄ちゃんがそこに通っていたのもあり、私はそこに通うのだと、信じて疑わなかった。
けれどそれ以来、進路調査の度に志望校の名前が変わった。
偏差値の高すぎる高校を書くときもあれば、その真逆もあった。
あまりにもバラバラだった為に、中学3年の時には親を呼び出される程だった。
不良だった訳でもない。
真面目な生徒だった。
今思えば担任も困惑していたのだと思う。
当の私はと言えば、決まって言うことは同じ。

「烏野以外。」

そして結局、自分の偏差値がちょうどよかった『青葉城西高校』を受験した。
めでたく合格した私は、青葉城西高校に通うこととなった。





「ねえねえ聞いてよ灯ちゃん。
俺、主将になっちゃった。」

「うん、聞いてたよ。
オメデト。」

「ありがとー。
ねぇお祝いにさ、俺とデートしよ?」

「はいはい。
勝手に1人でやってなね。」

「つれないなぁ、灯ちゃんは。」

邪魔だ。
私が活動日誌を書いている目の前でニコニコと笑顔を向けてくるこの男。
及川徹。
中学も同じだった。
てっきり白鳥沢高校に行くものだと思っていたから、同じ高校だと知って絶望した。
顔はいい。
バレーに真摯に打ち込む姿も、確かにかっこいいと思う。
けれど性格が、とことん面倒臭いのだ。




「お願い灯ちゃん。
バレー部のマネージャーやってよ。
お願いお願い!」


高校入学直後、この男にすぐに見つかった。
クラスも違ったから見つからないと思ったけれど、そんなことはなかった。
私は2組、及川は5組。
普通に考えれば1組から自分のクラスを探すから、見つかってしまうのも仕方がなかったのかもしれないけれど。

「…私はもうバレーはやらないの。」

「うん、灯ちゃんはやらなくていいよ。
俺のバレー、見ててよ。」

「……なんでよ。」

こんな感じで、押しに押されまくった。
岩泉が及川のこと止めてくれてたけど、そんなことで止まる及川じゃなかった。



「………ハァ。」

家に帰ると、ため息が出た。
無意識に。

「どうした灯。
珍しいな、お前がため息つくの。」

「お兄ちゃん…。」

3年の月日が流れ、私とお兄ちゃんの間でギクシャクした空気は無くなっていた。

「また及川くんか?」

私の顔を見てお兄ちゃんは笑う。
多分わかったんだと思う。

「仲良いな、及川くんと。」

「仲良くない…。」

「側から聞いてればすごく仲良さそうだけどな。」

「だから仲良くないってば。」


「及川くんってことはバレー関連の話か?」


「………。」

いくらギクシャクした雰囲気は無くなったとはいえ、バレーの話をすることは憚られた。

「灯。」

優しい笑顔で、お兄ちゃんに頭を撫でられる。
5歳年上のお兄ちゃん。
なんだか、すごく年上に感じる。


「お兄ちゃん…バレー…好き?」


思わず聞いてしまった。

あの『絶望』の顔。

思い出してしまった。
酷いことを聞いてしまっただろうか、恐る恐るお兄ちゃんの顔を見た。

意外だった。

お兄ちゃんは優しい笑顔のまま。


「好きだよ、バレー。
当たり前だろ?」


何か憑き物が落ちたような感覚。
それから部屋に戻ると、私はすぐにケータイを開いた。
そして電話をかける。

「もしもし及川?
私、マネージャーやるよ。」

及川の返事も聞かず、すぐに電話を切った。
翌日その理由を及川にしつこく聞かれた。

「あんまりしつこいと入部取り消すよ?」

これでやっと静かになった。
岩泉もちょっと気になっているようだったので、岩泉にだけちょっとだけ掻い摘んで話した。

「そうか。
わざわざありがとうな、月島。
これから、よろしく頼む。」

「こちらこそよろしくね。」



あれから、2年…3年近く経った。
春高も終わり、3年の先輩達が部活を引退し、及川が主将になった。

その日の部活のあと、これである。

「灯ちゃんはさー、彼氏いないんでしょ?」

「あんた達の世話が忙しいからね。」

「ほんと?
よかったー。」

「何言ってんの。」

なんだかムカつく。
別に私は彼氏が欲しい訳ではないし、マネージャー業だって嫌いじゃない。
けれど、女の子の噂が絶えない及川にそれを言われるのはひどく腹がたった。

「灯ちゃん、可愛いのにね。
なんで彼氏出来ないんだろーね?」

「知らない。」

「もー。
ほんとつれないよね。」

「…あのさぁ。
そろそろいい加減にしてくれない?」

日誌を書いていた手を止める。
うるさくて集中出来ない。

「なんで彼氏出来ないか教えてあげようか?」

興味ない。
本気で。
でも煩い及川は多分聞いてあげないと止めない。
思わず、ため息が出た。

「はいはい。
じゃあ教えて。」

ニコニコ笑顔。
私の耳元へ近付く。
別に2人しかいないんだし、コソコソ話す必要があるのだろうか。


「みんな俺と灯ちゃんが付き合ってると思ってるんだってさ。」


……は?

言葉が出ない。
及川は何故かご機嫌だった。

「俺も今日初めて聞いたんだけどね。
俺と灯ちゃん、付き合ってるらしいよ?」

そんな他人事みたいに言わないでほしい。

「ちょ、ちょっと待ってよ。
なんでそうなっちゃってるワケ?
全く心当たりないんだけど?」

「俺は心当たりあるよ?」

「ハァ!?」

思わず大きい声を出してしまった。

「この前一緒にデートしたでしょ?
それ、見られてたみたい。」

満更でもなさそうな笑顔を向ける及川。
なんなの?なんなのこいつ?

「あれはデートじゃないでしょ?
一緒にバレーの備品買いに行っただけ。」

「うんそうだね。
でも俺が女の子と2人っきりで歩いてたら、付き合ってるって思うんじゃないかな?
及川さん、今彼女いないし。」

一瞬だけ、ニヤッと笑った気がした。
けれどすぐ、ニコニコ顔に戻る。

「…それ、誰に聞いたの。」

「ん?
マッキーが言ってた。」

「あっそ。
じゃあ花巻に言って誤解を解いてくる。」

「えー、なんでよー。」

「なんでよって…。
そんな根も葉もない噂流されたらたまったもんじゃない。
あんたのせいでどれだけ……!」

中学時代最悪だったか。

「俺のせいで?
何かあったっけ?」

言葉を飲み込む。
及川が悪かったんじゃない。
及川はきっかけに過ぎなかっただけで、悪いのは私。

「…なんでもない。
忘れて。」

日誌を書き終え、片付ける。
まだ花巻含め2年生は残っているはず。

「日誌終わった?
じゃあ帰ろ?」

「花巻達は?」

「先に門のところにいるんじゃない?」

「そ。」

及川と部室を出る。
しっかりと部室に鍵をかけ、その鍵をカバンにしまう。
内側のファスナーのついたポケットの中、そこに決まって入れていた。

「灯ちゃんてさ。」

「何。」

「真面目だよね。」

「何、バカにしてんの?」

「え、なんで?」

及川が何を考えてるのか全然わからない。
校門のところには、岩泉、花巻、松川が待っていてくれた。

「お待たせ。
ごめんね。」

「イーヨ。
じゃあ帰ろー。」

いつも帰りは5人だった。
マネージャー業を残ってやる私を、4人はいつも待っていてくれた。
みんなで駅に向かって歩く。
駅に着くと、私と花巻は上りのホームへ。
及川と岩泉は下りのホーム、そして松川は自転車で帰路へつく。


「ねえ花巻。」

「ん?」

「及川に変なこと吹き込んだでしょ?」

「変なこと?」

首を傾げながら花巻は持っていたコンビニの袋をガサガサと漁り、好物のシュークリームを取り出す。

「考える気ないデショ。」

「ばれた?」

シュークリームの封を開け、もぐもぐと頬張る。
それはそれは幸せそうに。

「美味しい?」

「おいしい。」

「それはよかったね。
……で、さっきの話なんだけどね。」

「うん。」

私はさっき、部室で及川に言われた事を話した。
なんだか自分で話すのは照れ臭い。

「あー、うん。
言ったネ、及川に。」

「うん。
でね、その誤解を解いてほしくて。」

「え?どういうこと?」

花巻がまた、首を傾げる。
どういうこと?じゃない。

「だから私と、及川は付き合ってないから。
ちゃんとそこを訂正しておいて欲しいの。」

今度は反対方向に首を傾げる。
そして


「俺、ちゃんと訂正したって聞かなかった?」


………は?

「……聞いてないんだけど。」

「……そう。」

私を哀れに思ったのか、花巻は私に1つシュークリームをくれた。
私は甘いもの大好きだから嬉しい。

「とりあえず俺はその噂、否定しといたから。
月島と及川は付き合ってないよ、って。」

「うん。
ありがとう…、あ、おいしい…。」

二人で並んでシュークリームを食べる。
花巻は2個目だ。
今度花巻にシュークリームを差し入れようと思う。

ちょうど食べ終わった時、私の家の最寄駅に着いた。

「じゃあね花巻。
また明日。
シュークリームありがとう。」

「うん、また明日。
いいえー。」

駅からは自転車で家に帰る。
家に帰るとリビングのソファに蛍がいた。
蛍はスヤスヤと寝息を立てている。
小学校の時も背が高かったけど、中学に入っても成長が止まることはなく、かなり背が高くなった。
172pある私。
まず女子で私より背の高い子はいない。
男子だって、私と変わらないくらいの子もいれば、私よりちょっと低い子もいる。
そんな私を、中学に入って蛍はすぐに抜いた。
そして中学3年の今、私は見上げるほどになった。
……ケド

「全然寝顔、変わんないだ。」

スヤスヤと眠るその寝顔は小学校、いや、もっと前から変わらない気がする。
気持ち良さそうに寝ている蛍。
受験勉強で疲れているのかもしれない。
起こしていいものか…。
そう悩んだけれど、このまま風邪を引いてしまったら元も子もない。
ので

「蛍起きて。
風邪引く。」

肩を揺さぶると、ゆっくりと目を開ける。

「ん……。
姉…ちゃん……?」

「蛍、眠いならベッドで寝なさい。」

「…いつ帰ってきたの?」

「今。
ただいま。」

「おかえり。」

ふわぁと、欠伸を1つ。
まだ眠そうな蛍の目が、私を見つめる。
そして隣をポンポンとする。
これは座れという意味か。
なので隣に座る。
すると、私の肩に頭を乗せてもたれ掛かってくる蛍。

「…どうしたの?」

「…ん……別に。」

蛍の頭をポンポンと撫でる。
髪がふわふわしていて気持ちいい。
私も髪質が似ているけど、なんか蛍の方がふわふわしていると思うのは気のせいだろうか。

「蛍はさ、烏野…受けるんだよね?」

「うん…。」

「…そっか。」

蛍は私の肩に乗せていた頭を滑らせるように落とし、私のお腹にぐりぐりと頭を押し付けてくる。
両手は私の腰に回ってる。

「制服が皺になっちゃうんですケド。」

「ん…。」




『こーら蛍、灯。
勉強の邪魔すんなよー。』





昔、私はお兄ちゃんのお腹に頭をぐりぐり押し付けるするのが好きだった。
その真似で、蛍もお兄ちゃんにするようになった。

けれど、蛍が小学5年生のあの日以来、その相手はお兄ちゃんから私になった。
私は相手がいなくなってしまったからその癖はなくなったけれど、蛍は無くならなかった。


私は、お兄ちゃんの代わりにはなれないよ、蛍。


相変わらずギクシャクした関係のままのお兄ちゃんと蛍。
2人がまた仲良しに、仲の良かった3人兄弟に戻れる時はくるのだろうか。


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