奪いたい
ある夏の日、大学の先生に家が近いという理由で、休んでいる的場くんに課題を届けてくれないかと頼まれた。
彼の自宅の住所を教えられ、課題を持って彼のお宅へ訪ねてみれば、彼の家はとても大きく風情のある古い家だった。
的場くんは、こんな立派なお宅に住んでいたのかと驚きを隠せないでいると、タイミング良く羽織を羽織った着物姿の的場くんが、木製の大きな門から出てきた。
「わざわざ、課題を届けに来て下さってありがとうございます」
「えっ、何で届けに来たって分かったの?」
先生から連絡が入っていましたからと彼はそう微笑む。私は成る程と理解すると先生から預かった課題を手渡した。彼は受け取った課題をペラペラ捲り始めると、ピタッと手を止め、そして、
「すみません、これ何て日本訳でしたっけ?」
とそんな事を聞いてきた。いきなりの質問に一瞬固まってしまったが、気を取り直して彼の綺麗な指がなぞる英文を見る。
“I want to take your heart.”
…この英文、中学生でもわかる翻訳だと思う。
私をからかっているのかと思い彼の様子を伺いながら、
「 」
と答えた。彼は、ああそうでしたねと思い出したように呟き、課題届けに来て下さってありがとうございましたと微笑んだ。私はそれにいいえと返し、彼に一度会釈をして早足で家まで帰った。そして、自分の部屋に駆け込むと、熱い頬を押さえながらへたり込んだ。
恥ずかしい!私は男性相手に何て恥ずかしい事を言ってしまったんだ!あの言葉、まるで告白みたいじゃない!
あの翻訳を言わせた彼の意図はわからない。
あなたのハートを奪いたい
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