目の前に広がる海のような琵琶湖。水鳥達が湖を滑るように泳ぎみる様子を眺めながら、私は湖畔に座った。変わらぬ曇天の空を見上げて彼を思い出す。日本最大と云われている監獄、獄門処への橋渡しをしている曇家の長男である彼の事を。

彼はとても兄弟想いで力も強く、この曇天が広がる滋賀でいつも太陽のように笑う朗らかな男(ひと)だった。兄弟は勿論、住民達も皆彼を慕い、彼につられる様に笑顔を浮かべて笑いあっていた。


そんな、皆に愛されていた彼は一週間前、



刑に処された。


それは突然のことだった。彼の弟達も住民達も、そして私もその事実を飲み込むことが出来なかった。

馬鹿だけど正義感の強い彼が一体何をやったというのか。
何故こんな急に刑が決まったのか。


理不尽過ぎる彼の死刑通達に誰もが納得出来ないまま、彼は死んだ。
その時、誰もが泣き叫んだ。



私は、漣立つ琵琶湖に背を向ける様に踵を返し歩き出した。湖に代わって目に映る光景は緑の稲が風に揺れる田園風景。その穏やかな景色の中、私は一人歩いた。

彼と何度も歩いた道。
強引で、だけど優しく手を引いてくれた彼はもういない。


目頭が熱くなり、空を見上げた。

曇なんて大嫌いだ。
こんな空のせいで彼を思い出してしまう。


『なまえ』


もう一度、私の名前を呼ぶ彼の声が聞きたい。


「っう、」


私は堪えられずその場で泣き崩れた。いつまで経っても枯れる事のない涙。彼がこの世に居なくなってからもう一週間経ったというのに。胸がぽっかり空いて、虚しくて苦しくて辛い。

彼に会いたい。

その想いが日に日に大きくなる。もう会うことさえ叶わないのに。


「なまえ」


彼の声が聞こえた気がした。


私は思わず後ろを振り返った。
でも誰も居なかった。

幻聴まで聞こえるなんて重症だなと、熱い涙を零しながら自分を嘲笑った。
視線を落とし、己の着物をぎゅっと握る。力を込めて握っているせいか拳が白くなっていく。その白い拳に雫が数滴零れ落ちた。

ふと、影が差した。
ゆっくりと顔を上げると、そこには、


「なまえ」


彼が居た。


「ぇ、」

幻聴だけでなく幻覚まで見えるようになってしまったのだろうか。


「お前、会わねぇ内にさらに不細工になったなぁ!」


ゲラゲラと笑う彼は、私の目の高さまで背を落とすと、私の目元に触れた。
その手は温かく、生きているようだった。


「一人にしてごめんな」


彼は苦しそうに顔を歪めると、私を抱き締めた。
久しぶりの彼の腕の中、私は震える手で彼の背中に腕を回した。


「ほ…っ本当に貴方なの?」

「あぁ、俺だ」

鼓膜を震わす、ずっと聴きたかった声。
私はこれでもかというくらいに彼を抱き締める力を強めた。


「っ、会いたかった!」


「俺もだ」


彼も私を抱き締める力を強めた。熱い抱擁を交わしたその瞬間、私は思いっきり

彼を張り倒した。


「え……?」

「今まで何処行ってやがった?ア?!」

「ちょま、え?何この早変わり?!さっきの汐らしいお前は何処行った?!」

「だまらっしゃい!!皆に散々心配かけておいて!!」

「す、すみません」

「声が小さい!!」

「すみませんッ!!!」

地面に頭を擦り付けるように深く謝る彼を見下ろしながら、涙を袖で拭った。

「心配して損した。私の一週間分の涙返して」

「そ、そんな理不尽な…」

「理不尽なのはあんたよ!何で処刑されたのに生きてんの?馬鹿は死なないの?不死身なの?」

腕を組んで見下ろせば彼は、久しぶりのなまえの毒舌は身にくるぜ…!などと頬を染めている。そんな彼に、気持ち悪い!と何時ものように毒づきながら、夢じゃないかと彼にばれないように皮膚を抓った。痛かった。

「これは夢じゃねぇよ」

抓っていた手に熱い大きな手が重なった。重ねた本人を見上げると、彼は太陽のようににっと笑った。そして、私の頭を犬を撫でるようにわしゃわしゃと撫でた。やめてよと不貞腐れながらも少し頬が緩んでしまう馬鹿な自分に呆れた。

「…今度私を置いて死んだら百回殴るから」

「俺だってお前の不細工な泣き顔見たくねぇしな」

お前のために天寿全うしてやるよ。

そう豪語した彼に私は笑った。

「…馬鹿天火」


種明かし禁止

原作とちょっと違いますが、ハッピーエンドにしたかったので…すみません。
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