彼は謎だ。謎すぎる。
目の前で鼻歌を歌いながら心底楽しそうに棺を磨く彼の名は葬儀屋(アンダーテイカー)。本名は知らない。素性もわからない。謎に満ちた男である。
「そんなに小生を見つめてどうしたんだい?」
くるりと此方を振り返った葬儀屋さんは、私の所まで歩み寄って来た。歩く度、黒装束から覗く細くて長い足を恨めしく思いながら目の前までやって来た葬儀屋さんを見上げた。
「小生の顔に何かついてる?」
「いえ」
「じゃあ何でそんなに見つめてたの?」
「気まぐれですよ、気まぐれ」
「ふぅーん」
葬儀屋さんはにまにま笑いながら鼻を鳴らすと再び棺を磨き始めた。私は途端に居心地が悪くなり彼の背中に向かって一言、帰りますと告げて店から出た。
彼の店を出ると、そのまま近くの喫茶店に入り、ウェイターに紅茶を一つ頼んだ。そして、窓際の席に座り紅茶がくるまで外の風景を眺めた。道には馬車が走り、パンを抱えた子どもが目の前を過ぎる。何気ない日常だ。
運ばれてきた湯気立つ紅茶を口まで運び、飲む。飲む度香る茶葉の香りに癒やされながら、彼の店に行く度出されるあの温い紅茶を思い出した。あの何とも言えぬ温さに最初は抵抗があったけれど、慣れとは怖いものだ。何度も彼の店に通っている内に彼の淹れる紅茶が堪らなく好きになってしまった。何か薬を淹れられてるのかと時々思ってしまうくらい。
カップの中でゆらゆら揺れる赤茶の液体を意味もなく見つめ、ふと昔の事を思い出した。
初めて彼の事を知ったのは、知人の葬儀で見かけた時だった。長い前髪で顔を隠した不気味な彼に皆遠巻きにしており、かく言う私もそうだった。
たまたま葬儀で喋ったおじいさんに興味本位で彼の事を尋ねてみたら、おじいさんは眉間にシワを寄せて
「気味の悪い死体愛好家さ。そして何年経っても変わらぬ容姿の化け物だ」
と彼を睨みながらそう洩らした。
「どこぞの妃のように処女の血を集め浴びているのだろう。あぁ、悍ましい」
大袈裟に身を震わすおじいさんに苦笑いを浮かべながら、遠くにいる彼を見つめた。
帽子から零れるように伸びた銀糸のような長髪に黒装束から覗く細くて長い足。そして前髪で隠れていても分かるその整った顔立ち。女性ともとれるその男のルックスは、人のものではない美しさだと思った。周りのものも皆そう思っているだろう。だから、あの不気味さと人間味のない美しさに思わず畏怖の念を抱いてしまうのだろう。
葬儀も終わり徐々に人が少なくなっていくのを見計らい私は彼に近付いてみた。
「小生に何か御用かい?」
見た目に似合うような不気味な喋り方に思わずたじろぎながらこくりと頷き、貴方と少し話をしてみたくてと思っていたよりも随分背が高い彼を見上げてそう言った。
「小生と話がしたいなんて可笑しな娘だねェ〜」
にまにまと愉快そうに笑う葬儀屋さんは、あっでもと言っていかにも残念そうな身振りで長い袖から手を出しそれを顔に当て、小生も君と話したいのは山々なんだけど、今から用事があるんだァと嘆いた。
「我儘な王様がお呼びだからねェ。
そうだ、今度小生の店においでよ。そこでなら色々話ができそうだ」
どこかの童話に出てくる猫のように口角を上げた葬儀屋さんはそう言って私の頭を撫でた。
その事がきっかけで私はあの店に入り浸るようになってしまった。
カシャン、とスプーンとソーサーが触れた音で現実に引き戻された。
我に返り再び紅茶を口に運ぶと、紅茶はすっかり冷め、先程より味が落ちていた。勿体無い事をしてしまったと思いながら、紅茶を飲み干しハンカチを取り出そうとカバンの中に手を入れると、あるはずのハンカチがなかった。中を目で確認しても見当たらない。もしかして葬儀屋さんの店に忘れてしまったのかもしれない。
再度葬儀屋さんの店に戻るのには気が引けたが、あのハンカチは私のお気に入りの内の一つなので仕方なく取りに行く事にした。
店のドアを開け、中を覗くと葬儀屋さんは居なかった。これはしめた!と思い中に入り、私が座っていた辺りに落ちていないか探す。でもどこにも見当たらない。
「何処にいったんだろ」
「何がだい?」
「?!」
突然、気配もなく耳元で囁かれたのでびっくりして振り返ろうとしたら、足がもつれた。そのまま体制を崩し、尻餅をつくと葬儀屋さんはゲラゲラと笑っていた。
「笑い事じゃないですよ」
「ヒッーヒッヒッ!ごめんねェ」
長い袖で口元を隠し肩を震わしながら謝り、片方の手を此方に差し出した。その手に捕まると、力強くでも優しく、引っ張り上げてくれた。
「どうもです」
少し不貞腐れながらお礼を言うと、葬儀屋さんはグヒッと笑い、いいえと応えた。
「ところで葬儀屋さん、私のハンカチを知りませんか?」
「あぁ、これのことかい?」
何処から出したのか、長い指で摘ままれた私のハンカチが目の前に差し出された。
「それです。ありがとうございます」
それを受け取ろうと手を差し出したら、葬儀屋さんはハンカチを袖口に隠した。わけが分からず困っていると、葬儀屋さんはクスリと笑い一歩近付いてきた。
「ねぇ、小生のこと知りたいかい?」
「はい?」
「ずっと気になっているんでしょ?小生の事が」
「どうしてそう思うんですか?」
「小生のことをずっと見てるから」
「自意識過剰です。ですが、貴方が何故歳を取らないのか気にはなっています」
「それだけじゃないはずだよ〜」
「意味がわかりません」
私は首を振り、一歩後ろに下がった。しかし、彼は距離を縮めるように長い足で一歩進んだ。そしてぐっと縮まる距離。
「だって君は小生の事を…」
「ちっ、違います!!」
私は店を飛びだした。
逃げようとしてる?
でも逃がさないよ
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