「寿命が来たのか」
振り返ると、葉っぱ(恐らく腰痛に効く薬草)をもぐもぐ食べながら女の人を見詰める先生の姿があった。先生は、短い足で大きな切り株まで近付き、上に飛び乗った。
「よく解ったのう。斑よ」
女の人は先生と目線を合わすようにしゃがみ込み、にやりと笑った。
「お前からあまり美味そうな匂いがせんからな」
「先生!」
失礼な事を言う先生を咎めたが、彼女はそんな事だろうと思ったわと笑って、にゃんこ先生の頭を撫でた。先生は止めんかと口では言うが、依代とは言え猫だから気持ち良さそうに目を細めてごろごろと咽を鳴らした。そんな先生の姿に目を大きく見開いて驚いた女の人は、本当に変わったのう斑よ…と呟いた。
「主、名を何と言う」
女の人は立ち上がると、おれを見詰めてそう言った。
「夏目、貴志です」
「貴志、か。…吾を植えて下さった御仁の様に、心優しき名だ。主の両親の愛が滲み出ている。その名、大切にしなさい」
そう言うと彼女は、そこから見える町を見下ろした。彼女を包むような一風が吹くと、此方に向き直り、もう一度
「名を返して欲しい」
そう言った。彼女の目は決意を秘めていて、揺るぎなかった。 …死が近い妖怪を見るのは、これで二度目だ。一抹の寂しさを感じつつ、おれは分かったと頷いた。
『我を護りし者よ その名を示せ』
ぱらぱらとページが捲られ、一枚のページで止まった。それを見て一度大きく目を見開いたが、構わず友人帳から離し、口にくわえパンッと手を合わした。
『名を返そう
―――……なまえ』
レイコさんの記憶が頭に流れ込んできた。
『ねぇ、私と勝負しない?』
『…良かろう。丁度暇を弄んでいた所であったからの』
『それにしても、あなたの名前って凄く人間じみてるわね』
『…あぁ、よく言われる』
『…主の名は、何と言う』
『私?私は、夏目レイコ』
『…自分の意思を貫き通すが如く清廉で綺麗な名であるな』
『……ねぇ、いつか私があなたの名を呼んだ時、また私と遊んでくれる?』
『さあな』
『ふふっ、意地悪ね。じゃあね、
――――……なまえ』
「っ、」
光に包まれる中、おれの目から涙が溢れた。それを拭ってくれる優しい手。
「気付けば、レイコは私の大切な友人となっていたのだな」
淋しそうに、だけど幸せそうに目を細めた彼女に、言葉を贈る。
「レイコさんはきっと嬉しかったんだと思う。貴女に自分の名を誉められて。
…祖母を大切に想ってくれて『ありがとう』」
彼女は一度目を見開くと、一粒涙を落とした。そしてゆっくり目を閉じると、時間だ…と呟いた。
「――………最期にレイコの孫に名を呼ばれて吾は幸せだ。
『ありがとう』、貴志」
淡い光に包まれた彼女は、微笑みながら紡ぐようにそう洩らした。そして、おれの頭を一撫ですると沫が弾けるように淡く消えていった。
彼女に触れられた一瞬、彼女のレイコさんとの愉しげな思い出が垣間見えた。きらきら輝くような彼女の笑顔が、おれには見えた気がした。
「…なまえ、君の名が書いてあった紙に一枚の葉が挟んであったよ」
その葉に何か意味を込めているのか、はたまたただ気まぐれに挟んだだけなのかおれには解らないけれど…
「もしかしたら、レイコさんの支えになってたのかもしれないね…」
立派な幹が生えていたであろう切り株に触れながらそう呟いた。それに応えるかの様に、さあっと爽やかな風が木々の合間をぬっておれの頬を撫でた。
この言の葉が彼女に届いていると良いな…。
(…ありがとう。儚くて愛おしい吾の大切な友人達よ)
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