灯台もと暗し






なまえが出て行った。
それだけなら、ただ出掛けただけという可能性もあるが、これはどうやら本気の家出らしい。
あんたなんか大嫌いだ、立ち上がって声を荒げたなまえに声をかける暇もなく、薄いコートだけを引っかけた彼女はばたばたと出て行ってしまった。

「…っんだよあいつ…」

決してものすごく仲が良かったわけではない。
それなのに、何だかんだ言いながら俺の家に入り浸っていたのはあいつであって、こちらから奴の家に行ったことはほとんどない。
確かに、この半同棲のような形になっているのは、突き放さなかった俺が悪かったと思う。
だが、だからといって、勝手に来て勝手に出ていくというのはどういうことだ。
ふつふつと煮えたぎる怒りを抑えながら、携帯のボタンを押す。
奴らにはいつも世話になっている気がするが、今はそんなことを考えている時間すら惜しい。
数回のコールの後に聞こえたフランシスの声に被せるように、できるだけ落ち着いて質問する。

「そっちになまえ行ってんだろ。出せ」
「あー…なまえ、ギルベルトから電話…え?出たくない?…はいはい、わかった、言っておく。ってことでギルベルト、なまえならいないよ」
「ふざけてんのか」
「……何があったか知らないけどさ、そうやって心配してるんなら早く引き取りに来た方が、お互いのためにいいんじゃない?」

なまえ泣いてるよ、もう号泣。
ふざけた口調ではあったけれど、声はいたって真剣なもので。チクリと胸が痛んだ。

「何で、そんなに泣いて…」
「…わからない?鈍感だなあお前」

ピンポン。タイミング悪く鳴ったインターフォンに、携帯を持ったまま玄関に向かう。
これで、なまえがいたりなんかしたら笑える。とも思うが、そんなことがあるわけがないだろう。マンガやドラマじゃあるまいし。

「あー、今開け……え」
「………や、さっきぶり」

…いた。
明らかに目尻を赤くしているなまえが、少しだけ距離をとって立っていた。
いつもと違う空気に戸惑いが隠せなくなる。

「な、んだ、帰ってきたのかよ」
「…ううん、出て、いこうと思って」

今までありがと。他の荷物は後でまとめて取りに来るよ。まあ、もし邪魔だったら捨てちゃってもいいけど。
ぺらぺらとまくし立てるなまえの表情は見えない。
まるで最初からそうするつもりであったかのようにスムーズに、近くにあったスーツケース(お泊まりセットなのだと言っていたような気がする)を掴んで。

「っおい!」

ガラガラとスーツケースを引きずりながら走り出した彼女を、遅れて追いかける。
エレベーターが違う階に向かっていることを確認したなまえが階段に向かっていく。

「きゃ…!」

重いスーツケースを持ち上げたなまえがよろめいた。
ぐっと脚に力を入れて距離を詰める。この際スーツケースは階段の下に落ちてもいい。そんなものよりも、なまえが。

「なまえ、怪我は!!」
「な、い…」

戸惑ったような彼女が、どうして、とでも言いそうな目で俺を見る。
どうしてもこうしてもない。彼女が階段から落ちてしまう、と感じて気がついたら体が動いていた。
我ながら笑える行動だ。
これだと、まるで…──




─灯台もと暗し─


(いつの間にこんなに好きになったんだ)
(今までずっと一緒にいて、気づかなかった)




2011.05.19

気がつかないうちに愛は近くまできているものです、っていう話。

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