- ナノ -

 雲上の五騎士──それは、仙舟民なら知らない人はいないと言われている英雄譚である。彼らの華々しい戦いと短くも輝かしい生涯は人々の心を惹きつけ、今もなお小説や講談など様々な媒体で展開されている。
 今でこそフィクションとして扱われるそれらだが、700年前の仙舟には5人の英雄の集まりとしてそれは存在していた。

羅浮の龍尊、丹楓。
朱明からやってきた天才鍛冶職人の応星。
孤族で、百発百中の弓の名手であり星槎乗りでもある白珠。
そして今は無き蒼城出身であり羅浮の剣首であった鏡流と、まだ雲騎軍に所属していた鏡流の弟子である景元。

 異なる仙舟の船から集められた彼らは1つの船の危機を救い、それ以降もたくさんの功績を残した。天才故に肩を並べて戦う友人がいなかった彼等は絆を育んでいき、唯一無二の仲間となっていく。
 しかしその時代も100年と続くことはなかった。1人が戦いの中で命を落としたことを機に雲上の五騎士は瓦解した。それをきっかけに飲月が反乱を起こし、建木の力を開放したことで豊穣の忌み物を呼び寄せ甚大な被害をもたらした。その結果羅浮は丹鼎司を中心に大部分が破壊されてしまった。今や英雄だった彼は「飲月の乱」として大罪を犯した人物として歴史に名を刻まれている。そのため飲月の称号を授かっていた人物が「丹楓」という名前であることは、ほとんどの仙舟民から忘れられている。





 建木が開花して数日が経とうとしているが、依然として羅浮全土には建木の花がひらひらと舞っていた。最初こそ異様な光景に見えていたそれも、何日か過ぎれば「当たり前」のものになってしまう。現に太卜司内は落ち着きを取り戻しつつあった。
 橙夏も変わらずいつものように本日の卜算を行い報告をする。そうして次に向かったのは窮観の陣だった。太卜である符玄が席を外している今、司内を守るのは卜者たちだ。陣に少しでも狂いが出るものなら業務以外への影響も大きく、それ故にこの作業はとても重要なものだった。
 点検を行いながらも、橙夏のスマホには異変解決に当たっている穹から逐一連絡が入っていた。やはり予想通り、建木による工造司への被害は大きいものだったようだ。更に建木の根を切除して現れたのは「豊穣の玄鹿」だったというから驚きだ。それは橙夏が生まれるもっと昔、「太古の時代」に存在していた生物だ。そんな生物が今いるというのは、やはり星核の影響以外考えられる理由が浮かばない。
 「……これでよし」と橙夏は3つの端末の調整を終え、窮観の陣のある中心部へと戻る。しかし陣の前で符玄と誰かが話している様子が目に留まり、橙夏は一度踏みとどまった。符玄の相手は一体誰なのかと、橙夏は気づかれないようにその姿を確認する。
 ボブカットの髪に落ち着いた様子の女性ではあるが、にわかにそれには生気が感じられない。白と藍色を基調とし、青と赤の模様が遇われた服装は太卜司はおろか、他の司でも見かけないものだ。あと他にあるとするならば、それは十王司ということになる。
 十王司──それは羅浮における「死」を管理する部署である。正確に言うと羅浮に「死」という概念は存在しない。魔陰に堕ちる兆候が見られた長命種を引き取り、幽囚獄へ引き渡す。他にも大罪人を捕らえることも十王司の役割であった。そのため普通に過ごす羅浮の一般人であれば関わることのない存在であり、中には彼らがフィクションなのではと言う人もいるぐらいだ。橙夏はというと幽囚獄に対してあまりいい記憶がない。

「それらについてさらに占ってほしいなら、そちらからの情報ももっと必要になるわ」
「こちらからほ既に提示したはずですが」
「ふん。死者を占って何の意味があるというの?」
 
 聞こえてきた会話は物騒なもので、少々言い合っているようにも見える。更には反対側の通路からは工造司の職人を連れた穹たちがやってくるのが見え、いよいよ面倒事になりそうな気配を察知した橙夏はそそくさとその場を離れようとした。それでも、全てを見通す符玄にとって橙夏のその行動は無駄なものだった。
 
「あなたが手加減できないと言うなら、私の部下が手加減するわ」
「貴女の部下?」
「ええ。穹と青雀、それから工造司の若者。あと、橙夏もね」

 また先を読まれていたのかと驚く穹に対して符玄は落ち着いた様子であった。状況がいまいち読み込めていない橙夏と十王司の判官のためにも穹はこれまでの経緯を説明する。
 それはごく単純なもので、この工造司の職人であるチェンジェが師匠に会いたいと願ったことが理由だった。師匠が遺した設計図を元に星槎を造ろうとしてもどうしても上手く行かず、他の職人に聞いたりしても解決することはできなかった。ひいては「その設計図自体が間違っているのではないか」とまで言われてしまった。何よりこれで星槎を造ることは師であるライアンの夢でもあるからと、もしアドバイスがもらえるのならライアン先生に再び会いたいというものだった。それを聞いた青雀が十王司の力を借りたら可能なのではないかと思い出してここへやってきたのだそうだ。
 
「どうにかして亡くなった先生に話したいんです。力を貸してもらえませんか……!」
 
 本来、因果殿に入った魂は再び現世に戻ることは禁じられている。それを伝えた上で、判官は符玄が必要としている罪人を捕らえて来てくれるならそれに見合った報酬を与えてもいいと応じてくれた。それを穹は断ることもなく引き受けた。もちろん「符玄の部下」としてであるため、そこに橙夏も含まれている。
 
「……なんかごめん、巻き込む形になって……」
 申し訳なさそうにする穹に対し、橙夏は気にしないでと言葉を返す。戦力は多ければ多い方がいい。
 雪衣と名乗った判官からリストを受け取って内容を確かめる。そこにあったのは薬王秘伝のものが殆どだ。早速罪人を捕らえるために、橙夏は穹たちと共に廻星港へ向かうのだった。


 罪人を捕らえることはあっさりと終わり、無事に雪衣へ受け渡すことが完了した。次はいよいよこちらのお願いを聞いてもらう番である。その前に、ライアンの魂を呼び戻すためには準備がいくつか必要となる。それは呼び戻す魂の情報を窮観の陣の端末に入力すること、そして魂を一時的に定着させるための土台がいるということだった。話し合った結果前者を橙夏たちが、後者はチェンジェが用意することになった。
 橙夏と青雀はそれぞれ端末に要求された情報を入力していく。カフカの時と違う部分は、それが既に死者のものであるということだ。
 
「ライアン・マストロンズ、工造司格物院で死去……これでよし」
 
 最後の情報を入れ終え、橙夏は窮観の陣の中心へと戻る。そこにはしっかりと金人傀儡も用意されていた。
 全てが整ったことで、いよいよライアンとの面会が始まろうとしている。雪衣が小さく呪文を唱えると、今まで意志のなかった金人が雄叫びを上げる。ようやく会いたい人に会えた感動でチェンジェが「ライアン先生!」と無意識に彼の名前を呼んだ。しかししばらく状況が読み込めていない様子であり、青雀の説明によりライアンは落ち着きを取り戻した。
 
「俺は死んだのか……しかしまさかこんな風にまたお前に指導できるとはな」
「時間は限られています。悔いのないようにしてください」
 
 雪衣の冷静なその一言に、ライアンは自分を呼んだのは何か理由があるのだろうとチェンジェに尋ねた。
 そこからチェンジェはどうしてこうなったのか、一から手短に説明していく。ライアンの設計したもので星槎を造りたいということと、なによりその手稿には「俺の一生の夢」と書かれていたから、最近になってやっと手稿と向き合う勇気が湧いたこともあって星槎を完成しようと思ったのだと。それでもどうしてもできなくて、こうして先生に会うことを願ったのだということをチェンジェは伝えた。黙ってそれを聞いていたライアンは暫く考えこんだあと、残酷な事実を口にした。

「その手稿は間違っている」
「……まさか!」
 
 チェンジェが驚くのをよそに、ライアンはそのごつごつとした手で手稿を受け取った。そして間違った部分をチェンジェに解説する。それはこの状況を見守っている橙夏にも2人が以前どんな風に工造司で過ごしていたのか想像できるほどであった。
 しかし、突然ライアンがその手稿をびりびりと破いてしまった。ひらひらと舞い散っていくそれに、当然チェンジェは慌てて拾おうとする。
 
「拾うな」
「俺が一人前になれる最後のチャンスでもあったのに……」
「あれはいくら時間をかけても出来ることのないものだ。あんなものに時間を割く必要はない」
「でも、あれは先生の夢でもありましたよね?」
「お前が私の夢を叶えようとしてくれたのは嬉しいが……私の夢にこだわりすぎて手稿のミスに気付かなかった。はっきり言おう。お前は残念だが星槎職人としての才能がない」
 
 初めてチェンジェに会った時、ライアンはそのやる気の満ちた姿に惹かれて彼を弟子にした。惜しむことなく教えた知識を聞いてくれ、チェンジェとすごした時間は紛れもなくライアンにとって幸せなものだった。しかし今のチェンジェは自分の残した夢のせいで、あの頃の情熱を忘れてしまっている。ライアンはもう特に彼に教えることがない。だから時間を無駄にすることのないように、師匠として出来ることは手稿を破ることだったのだ。
 呆然とするチェンジェは、これからどうしたらいいのかとライアンに問いかける。
 
「これからの道はお前自身の心の声に聞くといい。仙舟人であるお前は、俺と違ってたっぷり時間があるからな」
 
 しっかりと答えを届けたあとに轟音が響く。それはライアンの魂が因果殿に戻されたことを示していた。和やかに終わると思っていた面会は、全然そんなことなかったのだった。
 しばらく1人にしてほしいと言い残したチェンジェはどこかへと行ってしまったが、穹たちも彼を追いかけていった。雪衣と符玄もそれぞれ持ち場に戻っていく。
 ようやく解放された橙夏は1人、窮観の陣を眺めながら先ほどのことを思い返していた。既に会えない人に会いたい──チェンジェの一言を聞いてから、心のどこかで引っかかっていることがあったのだ。
 それは「どうして景元が自分を太卜司へ推薦したのか」ということだ。最初、彼は地衡司よりかは丹鼎司と関わりがないという理由で橙夏に推薦してきた。確かにそれは理に適っている。しかしそれよりももっと気になることも言っていた。

 ──もしかしたら「彼」にも会えるかもしれないよ

 あの時橙夏は冗談はやめてとその発言を突っぱねた。だが今回、こうして様々な手段を用いれば「死者との面会」も可能だということを知ってしまった。太卜である符玄が知っていることを、あの景元が知らないわけがない。あれは一体どういうつもりで言ったのか、もう何もかもが分からない。
 このままではいけないと思った橙夏はスマホを取り出し、今から会えないかと景元にメッセージを送る。大抵は連絡が着かないことが殆どなのに、こういう時に限ってすぐに返信が届いた。
 内容を確認した橙夏はスマホをしまい神策府へと向かう。これは、どうしても聞かなければいけないことだ。「聞かない」という選択肢は橙夏にはないのだった。



 橙夏が訪れた神策府は緊急事態ということも影響しているのか、いつもより人はいなかった。常に景元の傍に控えている護衛の彦卿ですら留守にしている。それなら何も遠慮することはなくちょうどいい、と橙夏は景元のいるデスクの前で立ち止まる。そうして沸々と湧き上がる怒りを抑えて景元に問い詰めた。

「景元、一体どういうつもり!?」
「橙夏にしては気づくのが遅いんじゃないかい?」
 
 笑顔で景元に返され、橙夏はぐっと拳を握る。この際、自分を太卜司に推薦したことはそこまで重要なことではない。そうして助かったのは事実だったからだ。橙夏は極めて冷静に言葉を続ける。それは一番気になっていたことでもあった。
 
「どうしてこんなことをしたの」
「私は常に羅浮の平和と安寧のために動いている。それは橙夏も知っていることだろう」
「それは……」
 
 景元の言う通り、橙夏もそれは理解している。羅浮が今も平和でいられたのは彼の策があってこそだ。
 今回の建木に関してもそうだろう。なぜなら豊穣の力を持つ建木が開花しないように見守る役割は、代々龍尊が担ってきたからだ。現在羅浮に龍女と呼ばれる人物は存在しているが、彼女は未だ龍尊としての能力を完全に発現してはおらず「飲月」としての称号は受け継いでいない。
 もし仮に先代の龍尊である飲月──丹楓の魂を呼び出せたとして、その能力が失われていないのであれば今回の件に関しても解決できることになるのだ。
 しかし丹楓は羅浮の大罪人であり、既にその魂は罪を償うために強制脱輪され、新たな形となっているためにこの世にはいない。もしかしたら能力が受け継がれているかもしれないが、持明族にとって転生前と後では別人と見なされている。この定義は彼にだって当てはまるはずだ。
 しかしどうしても橙夏は、ある一つの可能性が否定できなかった。
 
「もし……もしもの話として。転生後の彼に、龍尊としての力が残っていたら……景元は、どうするの」
「決まっているさ。その能力を使うまで」
「そんなの……」
 
 かつて龍師たちは飲月に対して建木を見守る役割を担うと同時に、自分たちを脱輪転生というシステムから脱するための新たな機構としても見ていた。龍尊はただの機能であり、そこに丹楓本人の意志は何も関係ない。それは橙夏がどんなに龍師たちに丹楓も1人の人間なのだと訴えても聞き入れてもらえないことだった。
 今の景元は、彼らと同じようなことを行おうとしている。羅浮の平和のためには必要なことだと橙夏は理解はしていたけれど、納得まではできなかった。
 
「橙夏なら、分かってくれると信じているよ」
「分からない……そんなの、分かりたくない……!」
「そうか、それは残念だ。……ああ、次に私に何か意見があるなら、まずは青鏃を通してくれ。少しでも時間が惜しいんだ」
「なっ……!っ、景元のばか!」
 
 これ以上は友人としては対応しないという景元の物言いに、橙夏は暴言を吐いて神策府を飛び出した。
 
 ばたん、と大きな音を立てて閉じた扉を眺めながら景元はため息を吐いた。今この場に彦卿がいなくてよかったと安心してしまうぐらいには、景元にとって橙夏とのやり取りは心を痛めるものだった。
 橙夏の言いたいことも分かるのだ。龍尊はただの機械ではないことも、人格があるものだということも理解している。それでも景元がそれを否定したのは、ただ単に自分が「将軍」という立場にいるからだ。どんなに丹楓に会いたいと願いその方法を知っていたとしても、自分がそれを実行に移すことは許されないのだ。
 以前、まだ雲上の五騎士として仙舟民から見られていた頃、橙夏は「丹楓と共に戦えるなんて羨ましい」と自分に言ってきたことがある。しかし景元としては、戦い以外の時に丹楓の隣に居られる彼女が羨ましかった。昔と状況こそ違えど、今でも景元が橙夏に抱く羨望は残されたままだ。自分の思いを主張して行動できる橙夏が、やはり景元にとっては羨ましいのだ。
 だが景元からその言葉が出てくることはない。今の彼の周りには、それを聞いてくれる仲間はもういないのだ。





 列車の壁に背を預け、ぼんやりと車窓を眺める。外では星がきらきらと瞬いていた。穹たちが羅浮に向かってから、丹恒はかれこれ30分ほど外を見たり考え事をしたりといったことを繰り返していた。考えていた内容はやはり、仲間たちのことである。丹恒はとある理由から仙舟の船全般に立ち入ることを禁止されているために今回は自分の代わりにヴェルトが同行しているが、それでも不安になってしまうのだ。
 さらにもう1つ気になることといえば、数日前に見た夢のことだ。右耳に紅葉の耳飾りを付けた女性が一体誰なのか、丹恒は今まで考えないように頭の片隅にしまい込んでいた。
 ──違う。本当は、彼女の名前が「橙夏」だということを既に自分は知っている。でもそれは丹恒としての記憶ではない。だからやはり、今の丹恒にとっての最優先事項は仲間たちであった。
 もう一度外を見る。変わらず星の輝きは失われていない。
 
「先ほどからずっとそうしてるけど……やっぱりあの子たちが心配なのかしら?ヴェルトが一緒だから、大丈夫だと思うけど」
 
 丹恒の様子を見かねた姫子が声をかける。彼女こそ丹恒をこの列車に招待した張本人であり、星穹列車の持ち主である。姫子さんには敵わないなと観念しつつ、丹恒は姫子に先程星核ハンターと話していた記録を見せてほしいとお願いした。
 映像に映し出されたカフカは最初こそ言いたいことをはっきりとさせなかったが、姫子に追求されてこちらへある取引を持ちかけていた。羅浮で暴発した星核の後始末を仲間に押し付けられたから手を貸してほしい、と。
 
「待った!」
「……彼を知っているの?」
 
 その仲間として映された人物に、丹恒は目を疑った。知っているもなにも、彼は自分が仙舟を追放されて以降もずっとずっと自分の命を狙ってきた人物である。どんなに場所が離れていても必ず自分を見つけだし、1つの船を沈めたことがあるほどだ。何度槍を貫いて殺した感覚を感じても、彼はいつのまにか自分の前にいるのだ。どうして自分を狙うのか理由が分からないままそんな生活を続け、そうしてようやく丹恒が出会ったのがこの星穹列車だった。
 星核ハンター、刃が丹恒に向ける感情はまさに「憎悪」だ。この男がいる限り、仲間全員が危ない。出来ることなら今すぐに羅浮に向かいたい。だがそれは、自分の過去に仲間たちを巻き込むことなる。
 
「彼はあなたの逃げる理由に関係しているのね?」
「ああ。しかし……」
「……誰だって重荷の1つや2つを背負っているわ。それは穹や三月ちゃんだって同じことよ」
「…………」
「私たちは見えない運命を歩んでいるの。これから体験することはどんなものであれ、それは確実に重荷でもあり進む力でもある。あれこれ考えるのはやめましょう」
 
 そうして姫子は今後のスケジュールを確認した。列車が泊まれる猶予はまだ十分にある。だから、丹恒が羅浮で行動できる時間もたっぷりあることになる。2人の会話を聞いていた車掌のパムも「安心するといい!」と胸を張っている。
 改めて触れる仲間の優しさに、丹恒の凝り固まった心も溶かされていく。
 
「やりたいことがあるならやってしまいなさい。後悔しないようにね。……それに、用事を済ませたら列車に戻って皆でまた旅をする──そうでしょう?」

 姫子の問いに、丹恒は力強く頷いて列車を降りる。すべては、大切な仲間を守るために動くのだ。