- ナノ -

「ごめんなさい■■、私にできるのはここまでみたい……もっと力になれたらよかったのに、本当にごめん……」


 夢を見る。基本的に自分が見る夢は「あいつ」に追われているもので、所謂悪夢というものが殆どだった。
 それが今回はどうだろうか──言葉自体はこちらに謝罪しているものだったがその声音は優しく、こちらの身を案ずるものだった。彼女の表情をはっきりとは見えなかったが、どんな表情をしていたかは大体想像つく。
 ただいくつか気になったのは、どうして今こんな夢を見たのかということ。そして心当たりのないことをなぜ夢に見るのかということ。なによりこの夢を忘れてはいけないような気がして、自分のノートを探し出すよりもアーカイブに保存した方が早いと思ったから、丹恒は誰の目にも止まらないような場所にそのメモに夢の内容を記録した。


 何かあったらアーカイブを見るといい──その丹恒の言葉を頼りに、調べたいものがあった穹は資料室へと足を踏み入れた。相変わらずどんな原理で動いているか分からない機械が置かれているが、使い方を思い出しながら穹はアーカイブを閲覧していく。そこには今まで出会った人物の情報や邂逅した敵、星神や企業名等々聞き慣れないワードのデータまできっちりと保存されている。特に敵情報は今後の戦闘にも対策を取れるために助かっていた。

「なんだこれ」

 その中で穹は不思議なファイルを1つ見つけた。周りがしっかりと名前を付けられて保存されているのに対し、これには名前がない。勝手に中身を見るのもどうかと思ったが、人間は「やってはいけない」と禁止された方がやりたくなってしまうものだ。もし批難するならここに見られたくないものを保存した人が悪い。

「…………」

 そう言い聞かせながら開いたファイルを見て、穹はますます困惑した。そこに書かれていたのは、人間と見られる特徴だったり、どんな様子だったかというものだ。「右耳に紅葉のピアス」という一文が余計に目を引いた。
 一体誰が書いたかなんて難しく考えなくても分かってしまう。だからこそ穹は戸惑っていた。

「ここにいたのか、穹。パムが待っていたぞ」
「!」

 まさに今想像していた人物から声を掛けられて「ええと」と穹はぎこちなく振り向いた。始めこそ不思議そうな表情をしていた丹恒だったが、画面に映されたものを見て色々状況を理解したのか表情が慌てたものへと変わっていく。
 
「ちがう、それは…………」
 
 そこまで言って、その先の言葉が続くことはなかった。そして色々と事情を察した穹は特に何も追求することはなく「俺は何も見てないぞ」と呟いて資料室を後にした。


 今の丹恒にとって、穹の気遣いは嘘であっても非常に有難いもでもあり、心苦しいものだった。だっていくらなんでも言えるはずがないだろう──「それは自分でない自分の記憶だ」と。





「余は其方と人生を共に出来て幸せだった──橙夏よ、愛している」

 夢を見た。むかしの──遠い昔の記憶の夢だ。夢を見ることなんて当たり前のことであるはずなのに、今回に限っては橙夏の頭の中で目覚めた後でもその内容が残り続けていた。起き上がり、どうしてそんな夢を見たのか考えて見たけれど、結局起きたてのぼんやりした頭ではその理由は見つからなかった。
 時刻は午前11時を過ぎたあたりを指している。いつもなら仕事に大遅刻だと大慌てになるが、この日は有給だったため橙夏はとても落ち着いていた。なぜ休みにしたのかというと、各仙舟を巡っている時に出会った友人が羅浮にやってくるからだ。彼女もなかなかのグルメ好きで、橙夏におすすめのお店を紹介してほしいとお願いしてきたから橙夏はそれを快諾したというわけだ。会うのは夜になるため午後休にしてもよかったが、それだと慌ただしくなってしまうこともあり1日休みにすることにしたのだ。「その出会いを大切にしなさい」とは、有給申請した時に上司である符玄から言われた言葉だった。
 身支度を始める前にラジオを付ける。そこからはスターピースカンパニー提供の番組がニュースを伝えていた。ヤリーロYという星のニュースで、ずっと続いていた寒波がようやく止んだと伝えていた。あまり馴染みのないことで、橙夏にはそれがどれだけ凄いことなのか想像できない。
 それよりも最近よく耳にするのは「星核ハンター」というワードだ。カフカや刃といったハンター達は様々な星で犯罪を犯し、現在スターピースカンパニーから莫大な賞金が掛けられている。やはりこれも、橙夏にとっては遠い場所での話だった。CMではお昼前ということもあって長楽天や金人巷のお店の宣伝がされていた。まだ何も食べていないし、お昼はそこにしようと思いながら鏡の前でおかしなところがないか確かめる。そうして最後には右耳に紅葉のピアスを付け、鞄を手に持ち自分の部屋を後にした。


 長楽天は平日のお昼前だというのにそれなりの人で賑わっていた。ここは他の星からの人の流れもあるため、どこを行っても同じような状況だった。
 橙夏は屋台でお昼を買い、晴れていたこともあり近くにあったテーブルで昼食を摂ることにする。食べながらスマホをチェックしてみると、エンタメニュースではシエン先生が新作の講談を発表するという記事があった。講談はまさに今日かららしく、この後見に行ってみようと橙夏は予定を決めていく。
 周りの雰囲気が変わったのは、ちょうど橙夏がスマホで別のニュースを見ようとした時だった。どことなく騒がしい気がして橙夏は辺りを見回す。
 
 「誰か、誰か丹士の方はいらっしゃいませんか!誰か、丹鼎司へ連絡を……!」
 
 徐々に人々が集まってきているところから悲鳴にも聞こえる叫び声がして、橙夏は半分ほどあったサンドイッチを押し込んで急いで席を立ち上がる。「すみません」と人ごみをかき分けながら中心へ行くと、そこには倒れている男性がいた。助けを求めていたのは、彼と一緒にいたであろう女性だった。
 
「いかがなさいましたか?」
「急に苦しそうにしはじめて、……ああ、どうして……今日は大丈夫そうだったのに……!」
「普段、お薬とか何か飲まれていますか?」
「毎月丹鼎司で処方されたものを……」
 
 長命種の定めである、廃人同様の「魔陰の身」に堕ちたわけではなさそうだ。橙夏はそこまで状況を確認して、完全に彼を治すことは出来ないと判断する。もし持病由来のものだとすれば、普段から彼を診ている丹士による手当ての方が正確だからだ。それでもこのまま放っておくよりは何かした方がいいと考えた橙夏は、レッグポーチからお札を取り出して霊力を注いだ。小さく呪文を唱えて治癒を施すと、いくらか彼の表情がよくなったように見えた。少しだけ安心すると、ちょうど丹鼎司からの遣いである丹士がやってくる。
 
「わしを呼んだのはお主か?もう大丈夫じゃ、安心せい!……む、お主は先に手当てをしてくれていたのか?状況はどうじゃ?」
「……、」
 
 やってきた丹士の姿を見て橙夏は思わず言葉を失った。薄い紫色の髪と水色の瞳は、あまりにも昔の知り合いに似すぎていたのだ。それだけではなく、彼女には普通の人間や狐族にはないもの──龍の角と尻尾があった。
 羅浮には様々な種族が存在している。普通の人間である殊俗の民やそれ以上生きる長命種の他、約300年ほど生きると言われ、狐の耳と尻尾がある狐族と呼ばれる種族もいる。我々とは全く異なる「脱鱗転生」という機能を持ち、繁殖を必要としない種族もあり──それが、持明族という種族だった。
 その長は先祖代々龍の能力を受け継いだ「龍尊」という立場になることが義務付けられている。角と尻尾は、その証だった。つまり彼女が今の羅浮の龍尊になるのだ。橙夏は今の羅浮にも龍尊が存在し、それが龍女と呼ばれていること自体は知っていたが、まさかこんな小さな女の子だとは想像していなかったのだ。

「なにぼさっとしておる!一分一秒でも大事なんじゃぞ!」
「!ごめんなさい、一応出来る手当てだけはしておいたの」
「感謝するぞ。あとはわしに任せよ!」
 
 橙夏から状況を聞いた彼女はてきぱきと的確に患者を治療していく。すると見事に彼は起き上がれるほどに回復し、症状も落ち着いて問題なさそうにも見えた。大事を取って明日も丹鼎司に行くように、と彼女が告げてようやく事態は収束していく。いつの間にか周りにいた野次馬もいなくなっており、安心した橙夏もその場を離れようとしたのだが、「のう、そこの」引き止めたのは他でもない彼女だった。
 
「わしは丹鼎司で医師をしておる百露じゃ。最初に治療に当たってくれたこと、感謝しておるぞ!その……礼をしたいのじゃが、これから時間はあるか?」
「ええと……」
 
 いつもならばこういった誘いを断っている橙夏だったが、少しばかり気になることもあり答えに躊躇ってしまった。何より彼女がすぐに丹鼎司に戻らないということがどこか事情があるような気がして、橙夏は時間があることを百露に伝える。ぱあっと明るくなった彼女の表情を見て、橙夏は「断らなくてよかった」と思うと同時に心が暖かくなるのだった。




「そうじゃ!これが食べたかったのじゃ!やはり獏巻きは美味しいのう!」
 結果として──なぜか橙夏が百露に食べ物を奢ることになっていたのだが、橙夏は別にそれでも構わなかった。ちなみに橙夏は先ほど食べたばかりということもあり、飲み物である仙人爽快茶だけを買った。
 近くの長椅子に腰掛けて手を消毒してから百露は獏巻きに被りついていた。そのファンシーな食べ物と彼女の組み合わせは非常に合っていて、見てるこちらが和んでしまう。獏巻きを半分ほど食べ終えたところで、百露が「のう、橙夏よ」と橙夏に声をかけた。
 
「なあに?」
「お主、もしかして医学を学びに羅浮へ来たのか?」
「え、どうして?」
「あの状況になったら普通は慌てて何も出来ん。しかしお主は落ち着いていて、的確に事態に対処しておった。だからもしかしたら、と思ったのじゃが……」

 「医学を学ぶなら羅浮へ」と言われるように羅浮には医学の中心である丹鼎司が存在しており、そのためにそこへ足を運ぶ人は後を絶たない。
 「どうじゃ、当たりか?」と百露はしたり顔で言う。当の橙夏はそれに何て答えようか、適切な言葉をずっと脳内で選んでいた。こういったことは大抵誤魔化していたのだが、彼女は羅浮の龍尊だ。それもあまり龍師たちをあまりよく思っていない、言い換えれば自分と似た考えも持っている。それなら本当のことを話してもいいかもしれないと決めて、橙夏は百露の質問に答えていく。
 
「今は太卜司で卜者をしているよ」
「そう、じゃったか……」
「でもね、むかし……昔は、丹鼎司で丹士として働いていたの」
「そうか!なら、もしかしたらお主とは丹鼎司で会えるかもしれんのう!」
「……ごめんね、今は丹鼎司とは縁を切っていて……」
「うぅ……そうか……」

 しょんぼりとする百露に橙夏の胸が痛む。それでも、この出会いは今回だけのものではない。昔だったら別れてしまえば終わりだったかもしれないが、今は便利な時代になったのだ。連絡先を知ればいつでもやり取りを出来るツールがある。
 
「ねえ百露ちゃん、スマホ持ってる?」
「!持ってるぞ!」
「それなら連絡先を交換しようよ。そうしたらいつでもお話できるよ」
「じゃが、わしは外に出ることは許されておらん……」
「もしあれなら、私が呼んでるってことにしていいから」
「本当か!?」
 
 きらきらとした嬉しそうな百露の表情に、こちらまで嬉しくなってしまう。彼女が楽しい時間を過ごせるなら、別に名前を使われても橙夏は構わなかった。
 連絡先を交換し終えたところで「百露さま!」という切羽詰まった声が聞こえてくる。呼ばれた百露の少しだけ残念な顔を見て、きっと迎えにきたのは彼女の侍女なのだろうと橙夏は察した。
 
「ここにいたのですか、百露さま!龍師の方が探していましたよ!」
「むぅ……あんな奴ら、放っておけばいいんじゃ!」
「そういう訳にもいきません!そちらの方も、本当に申し訳ありませんでした……!」
 
 謝る侍女とは裏腹に百露は「またなー!」と橙夏に手を振って丹鼎司へと帰っていく。
 彼女を見送った橙夏は一息吐いた。この数時間は非常に濃いものであったが、色々と分かってきたものもある。どうして百露の尻尾に拘束具のようなものが付いているのかだけ聞けなかったが、それでも今の丹鼎司の状況を知ることが出来ただけでも十分だった。
 龍師たちの考えは今も昔も同じままで、「龍尊」という存在を自分たちを発展させるための機能としか考えていない。そこに個人の意志なんてものは尊重されない。彼等の思考はずっとずっと変わっていなかった。





「はー、いっぱい買ったしいっぱい食べた!やっぱり橙夏にお願いして正解だったわ−!」
 夜、子供は布団に入らなければいけない頃。橙夏は予定通り羅浮を訪れた友人を様々な場所へと案内した。とは言っても時間は限られているため全て回れるわけではない。それでも彼女は非常に満足そうにしており、橙夏も一安心して胸を撫で下ろす。
 彼女が一番欲しかったものは「五穀玉液」という五種類の穀物から造られたお酒だ。これは仙舟内外の酒飲みからも評判で、彼女も仙舟の艦を訪れた際は必ず購入しているという。そのため長楽天の他に夜市が集まる金人巷も紹介したのだが、どうやら当たりだったようだ。ただ、橙夏にはひとつ気になることもあった。それは昔より金人巷が閑散としていたことだ。前はもっと賑やかだった記憶があるのだ。
 
「今日は本当にありがとう!すごく楽しかったよ!送ってもらっちゃってごめんね。橙夏も気をつけて!」
「気にしないで。私も楽しかったよ」
 
 友人をホテルまで送り届け、橙夏は再び金人巷へと向かう。まだまだ寄りたいお店があったからだ。

 
「昔はもっと人がいたんだけどねえ。こうなったのはカンパニーと協力してからかな」
「そうだったんですか……」
 
 屋台で手羽先を食べながら店員と話していて分かったことは、やはり橙夏の記憶が正しかったということだった。戦争が終結し、復興としてスターピースカンパニーと資本提携を結んでから無駄を省くようになり、昔からのお店も立ち退きを迫られることもあったらしい。こればかりは橙夏がどうすることもできない問題だ。出来ることといえば、こうして食べて支援するぐらいだった。
 「ごちそうさま、美味しかったです」とお礼を伝えて橙夏はお店を後にする。星槎乗り場へ向かおうとした橙夏だったが、金人巷の道はとにかく入り組んでいて迷いやすい。ただでさえ今は暗いのだから道も分かりにくく、橙夏はいつのまにか明かりもなければ人気のない道に出くわしていた。道を確認するためにスマホを取り出そうとしたところで不意に殺気を察知し、スマホではなく武器である偃月刀を取り出す。
 振り向きざま相手の攻撃を受け止めてそのまま力任せに押し切ろうとしても、少しでもこちらが隙を見せたら押されそうでそれは許されない。だというのに相手の持つ武器を見て、橙夏は我が目を疑った。
 
「え───」

 その武器には、見覚えがあった。今でこそ継ぎ接ぎだらけでぼろぼろの剣だけれど、それは羅浮に名を残した百冶が造ったそれの面影があった。橙夏はそれを造った人物を知っている。だから余計に、その剣を振るう相手を信じたくなかった。
 
「応、星…………?」
 
 相手は何も言わない。橙夏が一瞬隙を見せたことで逆に押し切られそうになったが、一度距離を置いて体制を整える。すぐさま次の一撃が飛んできたが、やはり橙夏はそれを受けるだけで精一杯だった。
 先程見たものが嘘でありますようにと願っても、それは叶わない。魔陰の身に落ちて髪と目の色が変わっていてもなお、彼は橙夏の知る応星と似ていた。
 しばらく鍔迫り合いが続いてお互い次を探っていたが、先に言葉を発したのは今まで無言だった応星だった。
 
「応星は既に壊れた」
「……、それって、どういう……!」
「今の俺は、刃だ」
 
 ついに均衡は崩され、偃月刀を弾かれた橙夏は武器を手放してしまいそのまま床へと叩きつけられる。武器を取りに行こうと起き上がろうとしても、ぐっさりと腕に突き刺さった剣がそれを許さなかった。
 「、ぐ……」という呻き声が漏れる。「どうして」「なんで」という言葉が混乱した頭の中で浮かんでは、回ってくる痛みに覆われて消えていく。今はただ、刃の顔を見るだけしかできなかった。
 
 「人は5人、代価は3つ──橙夏、お前はどこにも属さない。お前は……此度も見届けるだけだ」

 それだけを伝えた刃は橙夏の腕から剣を抜き、橙夏が「待って」という前に背を向けて闇の中へと消えていく。しばらく残された橙夏はひとまずどこかへ連絡を入れなくてはとスマホを探そうとするが、全身に駆け巡る痛みがそれを阻害した。いくら頑丈な長命種といえど、さすがにここまでやられたらダメージは大きい。これ以上は意識が持たないと悟った橙夏は、誰かに自分を見つけてくれることを託して一度目を閉じる。その時に映ったものは、まだ満月ではないというのに煌々と輝く月だった。