- ナノ -


 光か影かで言うと、菊池忠は影である。主人である神道愛之介を支える影であり、決して表に出てくることもない。そのためいくら「本日の主役」だと言われようとも、忠はそれを主張したりせずいつも通り影に徹することは変わらない。

「誕生日おめでとう、忠」
「……、ありがとうございます、愛之介さま」
 それでも。今年迎えた誕生日という日はそうではなかった。今までは祝われても特に何も感じなかったし、そもそも誕生日というものがないに等しかった。きっと去年までの自分がこの光景を見たら驚くはずだ。日付が変わって22日を迎えてすぐにそれを伝えたのは、他でもない愛之介だった。
 礼を伝えた忠は幸せを噛みしめながら自分の部屋へ戻る。誕生日だからといってその日が休みになるわけでもなく変わらず仕事である。連絡が来ていないかパソコンを立ち上げているとデスクに置いてあったスマホが鳴り、忠はディスプレイに表示してある名前を見る。それからタップした忠の表情は、少しばかり嬉しそうだった。

『誕生日おめでとう、忠くん。こんな時間に迷惑かと思ったけど、やっぱりどうしても伝えたくて』
「ありがとう、結萌」
 電話の主は結萌だった。これだけでも満足だというのに、結萌は直接言えたらよかったのにという願望を零す。そんなことを言われてしまったら、今普通に話せているか不安になってしまう。忠は極力平静を装いつつ一言二言言葉を交わし、「おやすみ」とお互いの挨拶を済ませて電話を切った。
 たった数分間でのやり取りだったが、それだけで忠にはもう十分だった。多幸感に浸りながら、忠はベッドに入り眠りに就いた。



 あれから電話を切った結萌は眠るのではなく、とある人物へと連絡を入れていた。ここ数日、結萌は忠の誕生日に何をするか悩んだのだ。誕生日といえばプレゼントを渡すことが定番となっており、基本的には結萌もそうするようにしている。渡す相手の趣味に合ったものであったり前から気にしていたものだったりと様々ではあるが、大抵はこれで済ませている。
 しかし菊池忠という人物は、特に好きなものもなければ趣味というものもない。好物こそ牡蠣というものがあるけれど、それはまた落ち着いた時にでも一緒に食べたりできたらと結萌は考えていた。だから今回は別のものにしたい、とそこまで悩んでふと浮かんだことが「ある計画」だった。結萌は忠ではなく愛之介に計画を伝えるべくメッセージを送ってみる。電話にしなかったのは、万が一バレてしまう可能性もあると想像してのことだった。

『面白そうだな、僕も協力しよう』
 愛之介からの返事はすぐに届いたうえ、しかも好感触であった。元々そういったことが好きなところもあったため、結萌は今回愛之介が乗ってくれるはずだと確信めいたものもある。ありがとうと再び結萌が送信すると、一気に計画が進められていく。
 決行日時は今日の夜──それは至極単純なもので、結萌が神道邸にお邪魔するというものだった。いつもと違う部分を上げるなら、本来ならこんな予定が結萌になかったことだろう。突然の訪問は学生時代によくやっていたがしばらくはやっていなかった。いわゆる「どっきり」である。これを仕掛けたら忠はどんな表情をするのだろうか、計画を練る結萌の表情は綻んでいる。何よりこれで直接忠に「おめでとう」と言えることもできるのだ。結萌の心は遠足に行く前日の小学生のように胸が高鳴っている。せっかく愛之介も協力してくれたのだから神道邸に向かう時はしっかりとお礼も持っていこうと、結萌は眠る前にメモに「フォンダンショコラ」と記すのだった。



 陽が昇り、1日が始まる。いつも通り朝早くに愛之介を空港に送り届けた忠は沖縄に残ることになる。だからと言って何もしないわけではなく、むしろこの時間の行動が重要でもあった。愛之介の代わりに支援者へ挨拶周りに行き、そしてイベントには代わりに出席したりもする。誕生日だからといって昼食が豪華になるわけでもなく、忠は腹に入れるだけ入れて次の現場へと向かった。
 途中自分の誕生日を知るものから「おめでとう」と言われることもあったが忠はありがとうとお礼を返すだけで、会話はそこまで続くこともなければ、プレゼントをもらうなんてこともなかった。そうこうしているうちにあっという間に夕方になり、愛之介を迎えに行く時間になっていた。ただただ淡々とした一日だった。

「お疲れ様です、愛之介様」
 空港に到着して、忠はいつものように後部座席の扉を開ける。その時礼を伝えた愛之介の表情がどこか楽しそうにも見え、それだけで忠は今日の成果が予想できていた。何よりこの笑顔の理由が、今日の仕事によるものだと信じてやまなかった。
 上機嫌の愛之介様を乗せた車が走り出す。この時間帯は仕事を終えて帰る人も多く、道も混みやすい。必然的に愛之介との時間は長くなっていた。

「……そうだな、忠。僕は牡蠣が食べたい」
「え?」
「牡蠣が食べたいんだ。忠ならいいお店を知ってるだろう。それとも知らないのか?」
「いえ……」
 お気に入りのお店は確かにある。そこには仕事が一区切りついた時などに行っていたが、確かに最近は行っていない。別に食べたくない理由はないし、愛之介からの誘いとなれば断るなんてもってのほかだ。時間もまだたっぷりと残されているのだ。目的地は神が道邸ではなく、忠の行き付けのお店に変更される。その間に愛之介は結萌にいつ頃戻れそうかという連絡を入れた。忠がそれに気づいている様子はない。2人の計画は、着々と実行されつつあった。

 それから忠と愛之介が神道邸に戻ったのはいつもより遅い時間だった。今までなら伯母たちに小言を言われたりするところだが、もうそれはない。彼女たちによる束縛はなく、自分たちを出迎えるのは基本的に使用人だけ──のはずだった。

「おかえりなさい、忠くん!」
「…………な、え、結萌さま……?」
 しかしその使用人の中に、本来いないはずの人物が混じっていた。忠の記憶違いでなければ、今日も明日も結萌に会えないことになっている。だが目の前にいる女性はどう見ても自分の知る結萌であり、もしかして自分は酔っているのではないかと忠は目を瞬かせた。帰りは車を運転するのだ、いくら愛之介の誘いといえど酒は飲んでいない。だから自分の思考は正常である。自分の混乱をよそに、結萌は楽しそうに笑いながら種を明かしていく。

「忠くん、今日誕生日でしょ?だから愛之介くんと計画したの。これなら直接会いに行けるし、驚いてくれるかなって」
 つまり、自分はいわゆるサプライズにかかったらしい。思い返せば、不可解な点はいくつかあった。突然愛之介が牡蠣料理店に行きたいと言い出したことも、それから出迎えた時も妙に機嫌がよかったのはこの企みもあったからだと考えたら納得である。
 嬉しくもあったが、それ以上にいきなりのことは心臓に悪い。いつもは計画を仕掛ける側であるが、今回はSの参加者と同じ気分だった。それでも忠が結萌と愛之介に何も言わなかったのは、その時の2人の表情が楽しそうだったからだ。
 さらに愛之介が言い渡したことは、忠にとっては意外なことだった。

「忠も明日は休みにしておいたからな」
 明日23日は祝日である。普通なら誰もが休みではあるが、仕事柄忠はそうではなかった。むしろこうした日こそ重要であり、挨拶回りに行ったりすることも多い。いきなりの予定変更に忠は愛之介に色々言いたくなったが、愛之介は「プレゼントだと思っておけ」と言われてしまい何も言い返せなかった。結萌もそれに賛同するだけで、結局明日は休みになってしまった。
 落ち着いたところでお互い部屋へと戻り、忠はいつも通り明日の予定を確認する。だがすぐに休みになったことを思い出し、再びどうしようか悩むものの特にしたいことが見つからない。風呂に入れば何か思い浮かぶかも知れないと思った忠はひとまず入浴することにした。
 しばらくした後、風呂から上がったものの忠は未だに明日をどうするか何も浮かばなかった。趣味もないために行きたいところもないし、食べたいものは今日食べてしまった。それならSのことを片付けてしまってもいいだろうと結論付け、忠は自分の部屋の扉を開ける。

「こんばんは、忠くん」
「……、結萌が先にいるのは珍しいな」
「今日は忠くんの誕生日だったから。プレゼントも、渡してなかったし……」
「プレゼント?」
 こうして結萌が今日ここにいるのは特別であり、まさに誕生日プレゼントのようなものだ。それに目の前にいる結萌が何か持っている様子はない。それよりも結萌の表情がどこか照れくさそうなのが気になっていた。明らかに先ほどの時とは真逆だった。
 
「その……えっと。私がプレゼントです、…………みたい、な……」
 最後の方は消えいりそうな声で、結萌の目は逸らされていて耳まで赤くなっている。贈れるものがなければ自分がプレゼントになってしまえばいいと思い付いて出てきたものがこの言葉だったのだが、実際に言ってみるとなると結萌の羞恥心が膨れあがっていく。
 忠の反応はない。結萌は少し不安になり、覗き込むようにして忠の名前を呼ぶ。
 その瞬間、忠の中で理性ぷつりと途切れた。今日これまで何度も驚かされた忠は何もやられっぱなしという訳にはいかなかった。
 そのまま理性に従い結萌を抱きかかえてベッドへと運ぶ。結萌がプレゼントというなら、丁寧に開けて大事に大事に使うべきだろう。だというのに結萌は「待って」と制止をかける。こちらを見つめる結萌の表情は柔らかい。

「なんだ、結萌」
「あのね、ちゃんと言えてなかったから。誕生日おめでとう。……大好き」
 こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。22日はもうじき終わりを告げようとしているが、そんなことはどうでもいい。今度結萌の誕生日にはたっぷりとお返ししようと心に決めながら、忠は結萌の唇を塞ぐのだった。