- ナノ -

 その街はたくさんの笑顔で溢れていた。入ってすぐにそびえ立つアーマーガアの像を見てこの街を訪れた人の大多数が足を止め、スマホロトムで写真を撮っていく。色んな商業施設が並び、お店が建ち、そして遊園地がある。「1日では周りきれない」と必ずと言っていいほどガイドブックに書かれているシュートシティは、このガラル地方を代表する人物でもあるローズによって造られた街だった。
そんなシュートシティの街並みを、ネリアは宿泊先であるホテル「ロンド・ロゼ」の窓から眺めていた。その表情は決して明るいとは言い切れず、どちらかというと真剣そのものだ。なにせ今回ネリアがこの街を訪れた理由は観光ではない。このあとスタジアムで行われるファイナルトーナメントを観戦するからだ。それなのに部屋は1人ずつに割り当てられているのだから至れり尽くせりだろう。
「あたしも参加するからね」といきなりポプラから告げられたのはつい先日だった。特にビートが驚いている様子は見せず、その時衝撃を受けているのはネリアだけだった。しかもそれでポプラは引退するというのだから、自分がトーナメントに参加しないとしても少なからず緊張するのだ。
会場時間はもう間もなくだ。チケットをちゃんと確認して、ネリアは自分の部屋を後にした。




「え、おばあちゃんとビートくんは別なんですか!?」
会場に付いて受け付けゲートでチケットを見せたネリアが言われたことは、予想外の言葉だった。ポプラはトーナメント参加者ということで控室に通され、ビートはその試合を間近で見れるようにここにはいないらしい。今回ネリアはあくまで招待された一般客だ。つまり1人でスタジアムの席に居なくてはいけないことになるのだが、どうすることもできずにただその指示に従ってスタジアム内に入っていく。
会場は既にほぼ人が集まっていた。それぞれの話し声が溢れて何を話しているかはわからないが、全体の雰囲気からして誰もがトーナメントが開催されることを楽しみにしていた。時々かかるアナウンスが更に高揚感を煽る。
そして一瞬証明が全部落ちたあと、会場内の騒音は全てなくなった。代わりに現れたのは、あのガラル地方のチャンピオンであるダンデと、ファイナルトーナメントに参加するトレーナーだった。

「さあ、今ここに宣言する!ファイナルトーナメント、開催だ!」

ローズ委員長の代わりとして言い放ったダンデのその言葉を皮切りに、再び会場内は歓声に包まれる。第一線は確かチャレンジャーであるユウリとルリナの試合のはずだ。ネリアもトーナメント表を確認して試合が開始される時を待っていたのだが。

「待ちなよ!」

突如聞こえてきた声に思わずネリアは耳を疑った。会場内も突然の出来事にざわざわとし始めたが、なんとそこに現れたのはフェアリーユニフォームを纏ったビートだったのだ。
何度ネリアが目を擦ってもその状況は変わらなかった。それどころかビートはユウリに自分と戦ってほしいと直談判までしているのだ。アナウンサーが状況を放送で流しているが、ネリアの耳には一切それが入ってこない。

「選手生命を賭けて勝負をさせてください。負けたらトレーナー引退です!」

唯一聞こえた言葉に、ネリアは手をきゅっと握る。それだけきっとビートは覚悟があるのだ。チャレンジャーがビートの参加を許可したことで、ユウリとビートのバトルが開始される。ネリアはその時、ビートの目に光が灯る瞬間を見逃さなかった。




ビートとユウリのバトルはまさにシーソーゲームのような大接戦だった。最初に喰らいついたのはユウリの方だ。ユウリがクチートを始めに倒したあと、ビートも負けじとユウリのポケモンを倒していく。ネリアにとってビートのバトルは見慣れたものだった。時間があればスタジアムに行ってバトルを見たほどであり、そして何よりチャレンジャー時代ではビートと面と向かい合ってバトルをしたこともあるはずだ。

それなのに。

それなのに、今こうして一人の観客としてビートのバトルを見ることは初めてで、胸の鼓動はいつもより大きくなっている。もっともっとこの試合を見ていたいと、ネリアは黙ってその試合を見届けていた。



「パルスワン、ワイルドボルト!」

ユウリの指示によってパルスワンの攻撃を受けたギャロップは、今までの蓄積したダメージも相まってバランスを崩し、そのまま立ち上がる力は残されていなかった。
「ありがとう」と感謝を伝えたビートはギャロップをボールに仕舞い、新たなポケモンを取り出してひとつ深呼吸をする。自分に残された手持ちはこれであと1匹。そのポケモンは、自分が小さい頃からずっとずっと一緒にすごしてきたポケモンだ。もちろん今まで共に旅をしてきた仲間も大切なパートナーであることに変わりはない。だが、もう自分には後が残されていない。ビートは手に持ったボールを見つめ、中の彼女と視線を交える。

「さあ、行きますよ──ブリムオン!」

ボールの中から魔法がかけられたようにブリムオンが出現する。ビートは手にしているバンドにパワーの貯まっていく様子を感じ取ったが、まだ「それ」を使う時ではない。まだ、ベストの環境は整っていない。ユウリのパルスワンがブリムオンを弱らせようと電磁波を飛ばす。一度は痺れ、¥て動けないかと思ったブリムオンだったが、彼女はは主人を心配させまいと自ら状態異常を回復させた。そしてビートの指示により、サイコキネシスがパルスワンに直撃した。
攻撃をもろに喰らったパルスワンは、ついに立ち上がることはできなかった。ユウリはお礼を伝えたあと、パルスワンをボールに戻す。
お互い、残されたポケモンはもういない。そして今までユウリを応援していたサポーターたちは、次に彼女が何を出してくるのかほぼ察しがついていた。いよいよ「彼」が出てくるのだというその高揚感に、会場全体の思いが一致して盛り上がっていく。

「インテレオン、君に決めた!」

ついに登場した主役に会場から歓声が上がる。しかもユウリはただインテレオンを出しただけではなかった。バングルにパワーが集まりそれがボールの形となってユウリが空高くに投げ飛ばすと、ボールが崩れてインテレオンにパワーが降り注ぐ。ダイマックスしたインテレオンはこれでもかという程に存在感を出していた。
だが、それで怖気付くビートではない。むしろビートはこの時を待っていたのだ。お互いが今まで以上に全力を出す、この瞬間を。

「フンッ、その余裕、まさかもう”勝った”なんて思っていませんよね?──さあ、大いなるピンクをお見せしましょう!」

ビートの一声を皮切りに、その様子が一変する。ユウリと同じようにパワーを浴びたブリムオンがダイマックスしたのだ。それもただのダイマックスというわけではない。キョダイマックスは特別なポケモンだけが出来ることだった。
2つの切り札の登場に、実況のアナウンスも観客の声援もこれ以上にない程に大きくなっていた。もはやどちらを応援しているのかわからない。ただそこに批判や罵詈雑言はなく、むしろビートとユウリを鼓舞するものだった。
フィールドで立っていたビートの心は自分の想像以上に熱く燃えていた。それはまるで妖精に焚き付けられたようだ。今までたくさんのバトルをしてきたけれど、こんなバトルは今までしたことがない。終わってほしくない──そんな気持ちがうかんでしまうほどだ。

まず先に動いたのはユウリのインテレオンだ。ダイアークを繰り出したことにより、状態変化や能力変化を少しでも無効化することが可能だ。しかしビートも何も無対策というわけではない。すかさず指示したダイフェアリーによって、フィールド全体がまるでブリムオンの魔術がかかったように天候が変わって深い霧に覆われていく。
視界が悪くなったことで技が当たりにくくなったが、ユウリとインテレオンが怯むことはまったくなかった。

「インテレオン、ダイストリーム!」

未だ視界があやふやの中、なんとかインテレオンは技を繰り出してブリムオンに当てようとする。だがそれは交わされて、代わりに空から裁きの光が降ってくる。キョダイテンバツと呼ばれたそれはインテレオンの体力を大きく削り、更には混乱までも引き起こしていた。
これでビートの方は大分有利になったはずだ。ただ、ユウリとてまだ諦めたわけではない。ユウリの一声一声がインテレオンの思考を少しずつ戻していく。体力が削れた分、インテレオンはなんとか所持していたきのみで回復して、そしてしっかりと狙いを定めていく。

「今度こそ…!」

ユウリがダイストリームを繰り出すように指示すると、次は負けじとインテレオンはブリムオンに技を命中させた。
ダイマックスしたポケモンの技の威力は絶大だ。例えそれが自分より大きなキョダイマックスしたポケモンでも大番狂わせが起きることはある。ブリムオンが直撃したダイストリームはまさにそれだった。

「ブリムオン!」

ビートの掛け声も虚しく、体力全てを削られたブリムオンは魔法が溶けて元の大きさへと戻っていく。力なく倒れたブリムオンを、ビートはただボールに戻すこしかできなかった。ボールの中のブリムオンを見つめ、それから視線をスタジアム全体へと戻す。

「終わった」と思った。

勝者がユウリであることを実況のアナウンスが伝える。自分は負けたのだ。バトルの前に「負けたらこれで引退」だと言ったこともはっきりと覚えている。何よりチャレンジャー時代に自分がしたことは許されることではない。これでようやくあのピンクまみれの生活から開放されると思っていた。

「おい、悪くなかったぞ!引退したらもう一度デビューしろ!」
「………、はい?」

大番狂わせなのは何もポケモンバトルだけではなかった。ビートのバトルに魅入られたサポーター達の評価は想像以上にいいものだったのだ。ひとまず今後デビューするかは置いといて、ビートはユウリと握手を交わしてフィールドを後にする。その時もビートに対する声援が消えることはない。その声援は、ビートにとって心地の良いものであった。きっとこれからアラベスクジムを次ぐようになればこんなことは何度もあるのだろう。声援を背に受けるこの感覚は、ビートにとって居心地がいいものであった。






 未だ声援が止まぬ中、ネリアはスタジアムの席から離れて会場を飛び出していた。あれから胸の鼓動が収まることはなく、むしろこの秘めた思いをビートに伝えたくて仕方がない。
スタッフに事情を話したネリアは急いで選手入場口へと全速力で走っていく。すると角を曲がったその時、ちょうどフィールドから戻ってきたビートと彼を待っていたポプラが居た。

「ビートくん!」

聞こえてきた声にビートはネリアの存在に気がつく。そして言葉を返そうとして突如体にかかった重さに咄嗟に思わず受け止めてしまったが、それが「抱きしめられている」ことに気がついた時は今までのバトルもあり、どう処理していいかわからなかった。ビートがなんて言葉を返そうかと吃っているとすぐにネリアはビートから離れ、そしてあのいつもの笑顔で言い放つ。

「ビートくん、すっごくすっごくかっこよかったよ!」

はっきり聞こえた言葉を聞き間違えるはずがない。ビートの口から出てきたのは「え、あ……」と情けない言葉ばかりで、ネリアは「うん?」と首をかしげる。

「……当たり前でしょう。何せボクはエリート、ですからね!」

ようやく出てきた言葉に、ネリアは嬉しそうにさすがだと相槌を見る。傍から見ればそのやり取りはいつものビートとネリアの日常風景に変わりはない。だが、先程のビートの声が震えていたことに、後ろで2人を見守っているポプラただ1人だけが気づいていた。