- ナノ -
 いつものように修練を終えていつものように医務室へと向かう。

――いつものように?

そこで一旦トリスタンは違和感を感じたが、特に気にすることなくそのまま歩を進めていく。医務室では相変わらずブリジットが仕事をしていたが、トリスタンが戻ってきたことで気づいた彼女は「お疲れ様」と声をかけて手を止める。そして立ち上がり、紅茶を淹れる準備を始める。最近では修練を終えてからこうして一緒に休憩することが多くなったのだ。どことなく嬉しそうに「どうぞ」と紅茶を渡され、トリスタンはカップを受け取り手に持つと温かさがじんわりと広がっていく。疲れた時には甘いものがいいと、少し甘めなのがブリジットの淹れる紅茶だったのだが今回飲んでみればその甘さはなかった。やはり違和感が抜けないトリスタンは、とりあえずこれは夢なのかもしれないと思うことにした。だから味までは再現されていないと考えたが、それでもひっかかりが取れずにトリスタンは飲んでいたカップを置いた。そもそもいつもならこうして修練で何があったのかブリジットは聞いてくるはずだし、面白いことにトリスタンは前後の記憶が一切ない。これは一体なんなのか――考え込むトリスタンを不思議に思ったのか、ブリジットが不安そうに覗き込んでくる。どうしましたか、と聞いてくるブリジットに不信感が募るのは何故だろうか。

「トリスタンさん…?」

そしてようやくその違和感の正体に気づいたトリスタンは返事をするでもなく弓を取り出し、弦を一本爪弾いた。1つ音が鳴ったあとにブリジットの右腕が飛ばされる。

「え―――――」

どうして、と目の前のブリジットの表情が驚きの色に染まる。未だ本性を表さずブリジットでいようとする辺りかなりの演技派だとトリスタンは嘲笑いながらもう1つ音を鳴らす。次に飛ばされたのは右手であり、相変わらず目の前のブリジットの形をした人形は相変わらずどうしてと嘆いている。どうやら言わなければ分からないらしく、トリスタンはそのまま理由を述べた。

「どうして、ですか。ブリジットの淹れる紅茶は少し甘いですし、ブリジットは私のことを「トリスタンさん」とは呼ばないからですよ」
「……………」

正体がバレてしまったことが楽しくないのか、目の前のブリジットは黙ったかと思えば唇を歪に歪ませ、そして黒い影に追われて姿形を変えていく。現れたのは、まさに影の自分だった。影の自分は蔑むようにこちらを睨んでいるが、特にトリスタンは怯むことはない。

「たった少しの違いだけで分かるなんて、随分と彼女に思い入れがあるようですね。……まさか、自分がしたことを忘れてはいませんよね?」
「っ…………」

自分がやったこと、それはつまり第六特異点でのことだろう。そうするしかなかったとはいえ、反転のギフトを賜った自分は村を燃やし、無関係の村人を殺していった。正確に言えばあの時の自分とブリジットに喚ばれた自分は違う「トリスタン」だが、罪が消えないことは既に分かりきっているからなかったことにしてしまおうなんて思ったことはないし、今後もそうするつもりはない。

「忘れるな、自分がやった行いを。忘れるな、自分によって消された多数の命があることを。忘れるな―――」

呪詛のように言葉を繰り返しながら消えようとする黒い影をトリスタンは弓を引いて切り刻む。別に自分がしたことについて責められようともそれを受け入れるつもりだったし、逃げようとも思わない。けれどもそれ以前に今回は「ブリジットを騙った」ことが許せなかった。影は消えるでもなく無残な形となってトリスタンの足元に残っている。確かにあの時の自分と今の自分は別だけれど、「反転」の素質は根の方にあるのかもしれないと、トリスタンはその残骸を見ながら自嘲気味に笑った。




 次にトリスタンが目覚めたのは医務室のベッドだった。確かブリジットを休ませようとして寝たのではなかったかと今までのことを思い出してこれが夢ではないと分かって安心して起き上がる。隣ではブリジットが未だにすやすやと寝ており、彼女が起きていなかったことにトリスタンは少しだけ安心した。あんな夢を見てしまったから、きっと多分普通にしようともブリジットには何があったのか分かってしまうだろう。ただでさえ忙しそうな彼女にそんな心配をかけたくはなく、トリスタンは起き上がり無意識にブリジットの頬へと手を伸ばす。しかし触れようとしたところでブリジットが身動ぎをしたものだからトリスタンは思わず手を引っ込めた。そしてようやく目を開いたあと、ゆっくりと起き上がる。

「おはよう……」
「おはようございます。ゆっくり休めましたか?」
「うん、お陰様でね」
「それはよかった」

この後いつもなら霊体化するのだが今回トリスタンにそんな様子はなく、不思議に思ったブリジットはじっとトリスタンを見つめる。至って彼はいつも通りにしているけれど、ブリジットは一言聞かずにはいられなかったのだ。

「…なにかあった?」
「!……いえ、何も」
「そっか。…でも、もし何かあったら気軽に言ってね。相談に乗るぐらいならできるから。医者としても……マスターとしても」

ブリジットの言葉に思わずトリスタンの気持ちが揺らぐ。今まではただのマスターとサーヴァントだけの関係でいいと思っていたし、最近では少しだけだが一緒に休むようになってきてくれたことが嬉しくもあったからそれだけでもトリスタンは十分だったのに、普段人の相談に乗ることが当たり前のブリジットが医者としてではなく「マスターとして」言葉をかけてくれたのだ。ブリジットがこうして気持ちを伝えてくれたのだから、トリスタンも自分の気持ちを伝えたくなるのだ。

「大丈夫ですよ。…ブリジットと一緒なら、絡みつくどんな運命からも逃れられそうな気がしますから。でも、そうですね…」
「?」
「…もし、本当に辛くなった時に、相談に乗っていただけますか?」
「もちろん」

トリスタンは元々自分の気持ちを主張する人ではないことをブリジットは一緒に過ごしていたことで理解していた。そんなトリスタンが自分とならどんな運命でも大丈夫だと言ってくれただけでも嬉しかったのに、更にあんなお願いまでされたら断る理由なんてどこにもないだろう。ありがとうございます、と言ったトリスタンはそのまま立ち上がり、いつものように霊体化しようとしたがブリジットは思わず無意識にトリスタンのマントの裾を掴み引き止める。きっと思っていることは一緒だろうと思いながらも、敢えてトリスタンはどうしたのかと振り返れば遠慮しがちにぽつりぽつりとブリジットは言葉を紡ぐ。

「そ、その……今日はもっと一緒に居たいな、なんて……だめ、かな…」
「奇遇ですね。私も同じ気持ちでした」

ブリジットの頬に手を添えながら答えると彼女は分かりやすいように顔を真っ赤にする。そして勢いよくベッドから降りて白衣を着てデスクへと戻っていった。そういえば最初こそ仕事ばかりの姿だったり、休憩しろと言っても反発する姿しか見なかったけれど大分ブリジットの色々な表情を見るようになったと思うのだ。もっともっと他のブリジットを見てみたい――そんなことを考えながら、トリスタンは今ある幸せを噛み締めていた。