- ナノ -
 人理継続保障機関カルデアは一度破壊工作を受けた。それはもう酷いものだった。辺り一面は炎に包まれ、マスター候補だった47人は重症を追ってほぼ危篤状態になり、それなりの数だったカルデアのスタッフも殆どは重症を追い命を落としていった。そのなかでもとりわけカルデアの医療スタッフであるブリジットは助かった方であった。助かったとは言ったものの、レイシフトルーム付近に居たため追った傷はかなりのものであり、カルデアのマスターである立香が特異点Fに行っている間、自分は治療を受けることを余儀なくされた。医療スタッフのくせに自分の身すら守れないとはとその時は悲嘆したものだ。結局復帰できたのは第3特異点の人理修復が行われる前だった。今でこそ穏やかになりつつあるカルデアだけれど、その間にドクターロマンを始め彼等にはたくさん迷惑をかけてしまったはずだ。別に気にしてないというのが彼等らしいが、それでも今はただ恩返しがしたい――その一心でブリジットは働いている。だから自分は休む暇などないと思っているし、ここにいるサーヴァントとそのマスターたちのことが最優先事項であった。
ふぅ、とため息をついて持っていた資料をテーブルに置く。いくら休む暇はないと言っても少しの気分転換は必要で、ブリジットは立ち上がり医務室を後にする。一面銀で統一されたカルデアの廊下はあまり代わり映えしない。なにより雪山の地下にあるのだから外を見たって何もないのだ。それでも、ふと聞こえてくるサーヴァント達の会話を耳にするだけで嬉しくなる。思えばこのカルデアも大分賑やかになったものだ。だから彼等が羨ましくないといえば、嘘になる。でももっと力になりたいと思ったブリジットは数ヶ月前、契約を結んだサーヴァントが一人いた。

「おや、休憩ですか?」
「うーん……まぁそんなとこかな…」

円卓の騎士の一人である弓の名手、トリスタン。それがブリジットと唯一契約を結んだサーヴァントであった。トリスタンは自分の問いにあまりはっきりとした答えを言わないブリジットに多少の疑問を覚えていた。
確かにここで喚ばれた際、カルデアがどんな機関なのか、一体今までに何があったのかを知識として与えられる。そしてどうしてブリジットがこんなに身を切り詰めてまで仕事に専念するのかも理解している。それでも一つだけまだ分からないことがあったのだ。

彼女は決して自ら「休む」という選択肢を選ぼうとしない。

先程のように休ませようと誘導しようとしても誤魔化すだけで、気がつけばデータの数字と睨み合っていたり傷ついたサーヴァントの修復をしている。一体彼女はいつ休んでいるのだろうか、まだそれをトリスタンは見たことがなかったのだ。

「もし出撃するようなことがあったら喚ぶから、それまでは皆と待機しててね」
「…………」

そうしてまたブリジットは医務室へと戻ろうとする。きっとこのまま戻れば彼女はまた仕事を始めるのであろう。ブリジットは自分のマスターとはいえ、ただの人間である。誰かのために働く王でもなければ全知全能の神でもない。だからこのままいけば普通の人間は疲労によって倒れることは明白で、どうしてもトリスタンはそれを見過ごせなかった。サーヴァントという存在がいるのだから、素直に頼ってほしい――気がつけばブリジットの腕を掴んでおり、当の彼女はきょとんとした表情をこちらに向けている。

「ええと、なぁに……?」
「………そうですね、少しご無礼を働くことをお許しください」
「えっ、ちょ、ええっ……!?」

ぐっとブリジットの腕を引いたかと思えばそのままひょいっと抱きかかえ、所謂俵担ぎにしてそのまま医務室に彼女を運ぶ。離せだなんだと暴れられたがそれは無視だ。欲を言えばもうちょっとふかふかのベッドで休ませてやりたかったがそう贅沢も言ってられない。布団を捲りブリジットを寝かしつけたところで自分ももぞもぞと布団の中に潜っていく。そして抱きしめれば暴れだしたが男女の力の差もありトリスタンは動じない。いよいよ逃げられないと悟ったのか、徐々にブリジットの力は弱くなっていくものの投げかけられる言葉は未だ反抗的なものだった。

「ちょっと、どいてってば!私まだやらなきゃいけない仕事があるの!」
「こうでもしないとあなたは休まないでしょう」
「そ、そりゃそうだけど…でも私に休んでる時間なんてないんだってば!」
「それではおやすみなさい」
「ちょっと聞いてるの!?」
「……………」

ブリジットの言葉にトリスタンは反応しない。あのおやすみなさいという言葉で本当に寝てしまったのだろうか、「嘘でしょ」と言うブリジットの言葉に反応するものは誰一人としていない。いよいよ諦めてはぁぁと大きなため息を吐けば力が抜けたのか次に欠伸が出てしまう。少しだけ休むなら許されるだろうか――そんな思考と共に、ブリジットはものの数分経たないうちにすぅすぅと寝息を立て始めた。それを確認したトリスタンはゆっくりと目を開ける。自分の腕の中で眠る彼女は未だあどけなさを残している。さらりとしたその髪に触れても未だ彼女が起きる様子は見せない。
本当はこんなことはせずに、面と向かってもっと色々なことをブリジットに言ってやりたい。でもそれで彼女が思いつめるようなことは避けたくもある。言葉は時に暴力となって突き刺さることを既に知っているから、それだけはどうしても繰り返したくはなかったのだ。でもだからと言って何も言わずに上手くいかないこということをここ数ヶ月で学んだことも事実である。

「……難しい、ですね………」

独りごちた言葉に反応するものはいない。きっとブリジットが目覚めたらどうしてこんなことをしたのか色々聞かれるはずだろう。それを上手く伝えられるかどうか――楽器を持ち出すでもなく悲しみに満ちたため息が医務室に漏れた。