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 ブリジット・キャロルは魔術師の家で生まれたごく普通の魔術師である。根源へと至るために魔術を修め、キャロル家での専門でもある医療関係の知識も徐々に付けていくことになった。そして時計塔へと進み、そこでも今まで以上に知識を伸ばしたブリジットは卒業後、魔術師としてではなく医師としての技術を身につけるためにも数年間専門学校で学んでいたのだがそれも終わりに近づく頃、ある誘いに声を掛けられた。それが時計塔では有名なかのアニムスフィア家が所有する機関からだったから最初は驚いたものだ。人理継続保証機関フィニス・カルデア――それがブリジットが誘われた機関である正式名称だった。そこには最新の機器が整備され、医療に携わるものなら見て損はないものが設置されていた。中でも驚いたのは、人間と英霊を融合させるという実験だろう。英霊という存在がかの「聖杯戦争」なるもので使用されるということは知っていたが、まさかそれを人間と融合させることが出来るなんて考えたこともなかったのだ。しかもキャロル家が代々医術関連に貢献していることもあってか、ブリジットはその研究の末端に関わることになったのだ。同じ「女性」としてその少女を見て欲しい――トップであるドクター・ロマンは最初ブリジットにそう言ってきた。しかしブリジットはあくまで「医者の端くれ」であって普通の人間ではない。「先輩」と自分のことを呼んできた少女に対して驚いたし、「自分は君が想像しているほど人間らしくはないし、参考にしちゃいけないよ」と伝えれば不思議そうに見つめられたあと、結局は「ブリジットさん」と呼ばれるようになった。
そんな少女、マシュ・キリエライトは今ではマスター候補Aチームの主席になるまでになっていた。今日はいよいよレイシフト実験が行われる日でもある。カルデアは全体的にどこか慌ただしく落ち着かない。先程の連絡でついに一般公募で招集された48人目のマスターが到着したらしい。これからきっと所長による説明会が始まったりもするのだろう。実はブリジットもこのカルデア局員になった際、医療スタッフだけではなくマスター候補の「スペア」としても登録されていた。スペア、つまり万が一何かあった時の埋め合わせ用だ。だからブリジットも所長の説明会に参加する権利はあるのだが、如何せん研究に関わったこともありレイシフトのことはよく知っている。だから今ブリジットは医務室に詰めていた。「ボクが居なかったら代わりに見ておいてくれ」と、以前ドクターにお願いされた通り、ブリジットはそのお願いを守っていた。きっと彼も今頃所長の説明会に同伴しているのだろうか、そんなことを考えていると腕に嵌めた通信機器に連絡が入る。ボタンを推して応答すれば、それは今まさにレイシフト実験が行われるだろう管制室にいるレフ教授からのものであった。

「何でしょうか?」
「これからレイシフト実験が行われるのでね、折角だからブリジット君も見に来ないかい?」
「いや、でも私は……」
「既に知っているから問題ないとは思うが、やはり実際見ておいて損はないだろう」
「はあ……」

それなら後ほどそちらに伺います、とブリジットが伝えると連絡はそこで途切れた。何も急いで行くことはない。なぜなら既に知っていることだし、今はこの散らばった書類を纏める必要がある。それが終わってからでいいかと呑気に考えて片付けをしていると、突然一瞬辺りが暗くなりブリジットは手を止める。再び電気は付いたものの、次の瞬間ばちんとブレーカーが落ちるような音を立てて館内の電気が一斉に消えた。このカルデアでは発電所も備えられているからまず停電することなんてありえない。おかしい――急いで医務室を飛び出して実験が行われているであろう部屋へと向かおうとしたところで次に胸に響くような爆音が響く。そして体が飛ばされたような感じがした後に、ブリジットの意識も飛ばされていった。




 ばちばち、ばちばち。何かの音が聞こえる。ばちばち、ばちばち。ゆっくりと目を開ければ辺り一面赤く、次に感じたのは身体全体に纏わりつくようなじっとりとした熱さ。ここでようやく館内が燃えているという事実を認識したブリジットは動こうとして、身体の上にのしかかるものに気づいて目を見開く。そこには目の前に広がっている光景ほどではないにしろ瓦礫があって自由に体を動かすことが許されない。辛うじて致命傷は避けられたものの、少し先にある説明会が行われていた部屋の被害はかなり酷いものだろう。他の部屋はどうなっているのだろうか、なんとか確認しようともがいてみるが前に進めるはずもない。

「システム レイシフト最終段階に行こうします―――」

しかし遠くで聞こえたのは確かにレイシフトで使用する機械のアナウンスで、それはそこにまだ「生きている」マスターが少なからずいると言うことを示していた。自分は誰かにそれを伝えなきゃいけない、即座にそう考えたブリジットは少しでも自分の命が持つように魔力の殆どを保つことに回す。少しだけ、少しだけでもいい。誰か見つけにきてくれる人が現れるまででいい。誰でもいい、それこそ悪人だろうと、助けてくれる人がいるなら――そうぼんやりとする意識の中で聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。頼りなくて弱そうで、それでも聞けば安心するその声はブリジットもよく知る人物だった。

「だ、大丈夫かい、ブリジットちゃん!」
「ぁ、……ドク、ター…私はいいから、あのへやに、ひとが………」
「助かってる人がいるんだね!?ありがとう。でも君も放っておくことはできないよ」
「私はいいですから、早く、」

あのマスター達を、そういう前にブリジットはついに意識を手放していく。最後にロマンが名前を呼んでくれたことも、ブリジットの耳には届いていなかった。





 ブリジットが目を覚ましたのは、実にカルデアの最後のマスターである藤丸立香が冬木でのレイシフトを終えた後だった。目覚めた時は一瞬戸惑ったものの、冬木へのレイシフトが行われるアナウンスを聞いたことを思い出したブリジットはようやく今まで何があったのかを聞いて理解した。そして少しでも今すぐにカルデアの力になりたいと思ったが、それは叶わないことであった。ブリジットが受けた被害は療養を要するもので、結局満足に動けるようになったのは立香達がオルレアンでの特異点を解決してからであった。

「それじゃあ改めて、ボクが管制室にいる間は医務室を頼むよ」
「はい!」

そして漸くブリジットも復帰を果たし、与えられたものはドクター・ロマンが不在になった間の医務業を担当するというものだった。他にも凍結中である47人のマスターの状態を管理したり、修練所のデータ収集から更新を任されたがそれはどうということもない。なぜならドクター・ロマンならこれに加え指揮官としてグランドオーダーを執り、カルデアの復興を手がけ自分の面倒まで見ていたというのだからそれに比べたらなんてことないものだろう。特異点での修復が進んで行くに連れ、ブリジットも段々今の仕事だけでは物足りなくなっていた。レイシフトはしないにせよ、自分だってマスター適正のある人間なのだ。もっともっとカルデアの力になりたい、そう思って周りに相談してみれば以外に止める人もおらず、ブリジットもマスターとしてサーヴァントを召喚することになった。

「円卓の騎士、嘆きのトリスタン。召喚の命に従い参上しました――」

そこで喚ばれたのが、円卓の騎士でもあるトリスタンであった。研究としてマシュの面倒を見ていたことや、弓、ひいては竪琴の奏でる音色には「癒やし」の効果もあることから反応したのではないかというのはダ・ヴィンチちゃんによる見解だ。確かに召喚した際は心地よく、悪い気はしなかった。それでも2人の関係はあくまで「マスター」と「サーヴァント」であり、周りから見てもあっさりとしたものだった。

「お疲れ様です、ブリジット。疲れてはいませんか?」
「うん、大丈夫。トリスタンもありがとう、お陰で医務室を留守にしても安心できるなぁ」
「…、それは光栄です」

ブリジットがトリスタンにお願いしたことは実に単純なもので、ブリーフィングなど医務室を留守にした際万が一を防ぐために門番をしていて欲しいということであった。これは令呪もなにも使わないお願い、である。ブリーフィングから戻るとブリジットはいつものように仕事を始め、トリスタンは霊体化するというものだった。本当にただのマスターとサーヴァントという関係で、それ以上でもそれ以下でもない。トリスタン自身それは分かっていたし、その関係を保つつもりでいる。けれども同じ時間を一緒に過ごしている以上ずっとそのままというわけにもいかない。ここ数日で見えた「ブリジット」という女性は仕事ばかりで休もうとしない。確かに留守の際はここを守って欲しいと言われたけれど、それ以外のお願いはしてこないのだ。サーヴァントという使役されるものの特性故か、もう少し頼ってほしい、なんて思ってしまうこともあるのは確かだった。

「それじゃあ何かあった時はよろしくね」
「………」
「トリスタン?」
「あ、いえ…はい、畏まりました」

そう伝えていつものようにトリスタンは霊体化して消えていく。そしてブリジットも何事もなかったかのように仕事を再開していく。今はただのマスターとサーヴァントという関係だけれど、その均衡が崩れつつあることにお互い気づくのはもう少し先の話であった。