獲るか、獲られるか


 人の気持ちなんて、単純だ。
 表情、瞳の動き、仕草。その一つ一つをよく観察すれば、何を考えているのか大まかには読める。幼い頃からそういうのは得意で、気が付けばそれは趣味として極める所まで極めていた。

「すごい!せっかくなんだし、付き合っちゃえばいいのに」
「ええ、でも……かっこいいけど、まだ知り合ったばっかりだよ?」

 知り合ったばかりのイケメンにも告白されちゃうわたしって凄くない?って素直に言えよ。

 小首を傾げて『困ったように』微笑む友人に、私は笑顔を崩さず、心の中で毒づいた。
 彼女の言う事を額面通り受け取って、親身になってアドバイスするなら「もう少しよく知ってからの方がいいんじゃない?」だ。生憎と、私は一目惚れや運命の恋を信用してない。ホイホイ告白して来る人なんて、最悪身体目的なんじゃないかとすら思う。
 けれど目の前の彼女が求めているのは、そんな現実的なアドバイスじゃない。熱に浮かされた瞳と、自らの置かれた状況に陶酔している様子を見ればわかる。彼女が話しているのは、私であって私じゃない。

「かっこいいならいいんじゃない?私なら、あんなイケメンに告白されたらすぐオッケーしちゃうよ」

 だから私も、私として向き合うつもりはない。相手の欲しがる言葉を、欲しがるままに与えてやる。心の中を見透かすだけじゃ飽き足らず、私はそれを楽しみに、日々生活を送っていた。

 趣味が悪い、性格が悪い。その辺の事は自覚しているけど、相手も望む言葉を貰えて良い思いをして、私はその様を見て、勝手に愉しんでいる、ただそれだけ。誰かを傷付ける意図はない。
 仮にあの子の彼氏になる男が最低最悪のクソ男だったとして、私が背中を押す事で彼女が不幸になったとしても。もしあの時、私が彼女の意に反した忠告をしていたら、彼女はますます意固地になって男の元へ駆けていた可能性が高い。
 要は、私が何を言おうが、結果は同じなのだ。『外野』の私が、何を言おうが。


**


 今日の放課後は委員会の作業があって、鞄を取りに教室へ戻った頃には、すっかり日が暮れていた。この時間なら部活も終わっている頃だ。帰り道が混雑していそうで、嫌になる。
 もう少し残って、時間をずらして帰ろうか__そんな事を思案していた時、ふと誰かの気配を感じた。

「っ!」

 振り返って、息をのむ。
 ついさっきまで一人だったはずの教室の中に、いつの間にか人がいた。

 ウチの高校のロゴの入った派手な色味のジャージ。褐色の肌によく映える、これまたド派手な白いふわふわとした髪。一度見たら忘れられなさそうな風貌のその人__種ヶ島修二は、確かに閉めたはずの引き戸に背を預けて、確かにそこにいた。
 彼は私と目が合うと、それはそれはわざとらしくニコリと笑う。

「あらら、もう見つかってしもた」

 こんなに感情の籠ってない笑顔を、私は初めて見た。
 驚きと不信感でピクリとも動けない私に、種ヶ島先輩は、「ちゃい☆」と片手を上げて意味の分からない言葉を放つ。これは何なんだろう。パリピの間で流行ってる挨拶か何かか。知らない文化過ぎて、流石の私も返す言葉が見当たらない。

「……あの、こんな所で何をしてるんですか?」
「何って、自分に用があってんけど」
「用?私に、ですか」
「せやで☆」
「いや、でも私たち、初対面ですけど」

 そう、何故だか普通に会話しているけど、私はこの人と話をした事も、ましてや会った事すらない。せいぜい、廊下ですれ違った事があるかも、レベルだ。私が一つ年上の彼のフルネームを知っているのも、種ヶ島修二という存在自体が、舞子坂において有名だからに過ぎなかった。
 __今、この瞬間までは。

「まあせやな。ほんなら、まずは自己紹介や☆ 俺の名前は、種ヶ島修二やで〜!自分は?」
「え、えっと……苗字名前、です」
「ちゃ〜い☆名前ちゃんやな」

 突如始まった自己紹介タイム。
 いつものようにゆっくりじっくり、相手の事を観察する暇も考える暇もないまま、せっつかれた勢いで名乗ってしまった。
 満足そうに私の名前を復唱した種ヶ島先輩に、不信感が募る。この人のペースに乗せられているようで、少し癪だ。でもそれを表に出すなんて私らしくないし、何よりそれは種ヶ島先輩を更に喜ばせるだけのような気もして、何でもない風を装った。

「先輩、それで私に用って何ですか?」
「ん〜、名前ちゃんの事口説いたろ思ってん☆」
「…………はい?」

 余りにも軽々しく放たれた言葉に、思わず素で聞き返してしまう。その間も「ああ、回りくどいと伝わらんわな」なんて、軽快な調子を崩さないままで、種ヶ島先輩は衝撃の発言を重ねた。

「つまり、俺と付き合わへん?っちゅー事」

 次から次へ、脈絡もなく訳の分からない事ばかり。何なんだろう、この人は。
 私の聞く種ヶ島修二の噂と言えば、やれテニスが上手いだの、やれ合コンがプロ級に上手いだの、やれ読モにスカウトされただの、そんな「ザ・パリピ」みたいな話ばかり。
 そんな人間が、何をどう思って、ひとりで陰湿に、目立たないように生きている私を、口説こうという気になるのか。そもそも、どこで私の存在を知ったのか。

 彼への疑問は尽きないけれど、ひとまず、やれる事はある。

「ごめんなさい」
「なんで?」
「なんで、って……」

 間髪入れずに問われて、逆に私が戸惑った。
 ひとまずやれる事。それは、何がどうなったか知らないけど、私に申し込まれた交際を断る事だったのに。
 そもそも私が自分の色恋沙汰に全く関心がないのは大前提として、種ヶ島先輩の事は、好きとか嫌いとかそういう次元ですらない。今出会ったばかりの人に付き合って下さいと言われて、普通ははいそうですか、と素直に頷けない。

「私なんてそんな、先輩のこと、よく知らないですし」

 口にしたのは、取り繕ったものではなく、そのままの理由。目の前の状況を整理するのに必死で、いつものように俯瞰で人を見る事なんて、完全に頭から抜けていた。
 けれどその時点で、私の負けは決まっていたのかもしれない。

 私の返答を聞いた種ヶ島先輩が「……へぇ?」と、さぞ愉快そうに口角を釣りあげたのを見て、嫌な予感がした。

「こーんなイケメンやったら、すぐオッケーするんやないん?」
「そ、れは……言葉の綾というか」

 今日したばかりの自分の発言を持ち出されて、背筋が凍る。と、同時に新たな疑問が大量に湧いて出てくる。
 あの話、聞かれていたの?いや、あれは昼休みに屋上の前の階段で話していただけだから、たまたま耳に入る事はあるかもしれないけど。というかこの人、自分で自分の事をイケメンって……と、そこまで考えて、止めた。
 そもそも、どうして私がこうやって責められるみたいな形になっているのか。私は、貴方とは付き合わないと意思表示したはずだ。私の前の発言を聞かれていたのは迂闊だったけど、それで鬼の首を取ったように対応されても困る。

 どうすれば今のこの状況を打破できるのか。どうすればこの厄介な男を退けられるのか。
 そこでようやく私は、種ヶ島修二を真正面から観察するに至る。

「…………」

 そして、気が付く。この私が、目の前の男から、何の情報も読み取れていない事に。
 突然の邂逅、折り重なる爆弾発言の数々。それらを言い訳にして、私は彼の感情を見定められずにいると考えていた。でも、それは違う。
 読み取りたくても、読み取れない。種ヶ島先輩の水晶みたいに濁りのない瞳からも、ヘラヘラしているようでいて一分の隙もない態度からも。思考、感情……そういうものが、全く見えない。

 __不気味。その言葉に尽きる。
 私が種ヶ島先輩に出会ってから今まで、分かったつもりになっていた彼の感情の揺れは、きっと彼がわざと漏らしていたものを拾っていたに過ぎない。

「冗談はやめてくださいよ、後輩を揶揄うなんてひどいじゃないですか」

 初めから抱いていた不信感が、一気に極限にまで達する。
 もはやここに、あまり長居はしたくなかった。冗談、揶揄い、戯れ、そういう事にしておかないと、後戻りが出来なくなりそうで。私の知る種ヶ島先輩の表面的な部分に合わせて、軽いノリで流してしまいたかった。

「アカンなぁ。俺の求めてる反応はそれやないで」
「え?」

 そんな私の微かな祈りは、いとも簡単に打ち砕かれる。
 気付けば、私の間合いに種ヶ島先輩がいた。

「俺が欲しい言葉、くれへんの?」

 背の高い彼がぐっと身を屈めて、私の耳元で囁く。その言葉は、私を戦慄させるには十分過ぎた。

「な、にをーー」

 まるで、私の趣味を知っていて声を掛けてきたかのような__そんな事が、あるというのか。
 思えば、私と種ヶ島先輩の会話の流れは、私があの彼女に聞いたものと相違ない。知らず知らずのうちに、ここまで誘導されていたとでも言うのだろうか。
 私から、胸の奥底の本心を引き出す為に。

 不意に襲ってきたのは、本能的な恐怖。気が付けば、足が勝手に後ろへ後ろへと下がっていた。
 種ヶ島先輩は、そんな私の一挙手一投足を見逃す事なく丸い瞳で捉えては、追い詰める。どれだけ必死で状況を理解しようとしても、いや、理解したところでどうにもならない。
 私はずっと、外野だったはずだ。動き回る人達を、一線引いた外から眺めるだけの存在だったのに。今の私は、ただの獲物だった。狩る側ではなく、狩られる側の、無力な獲物。

 じりじりと少しずつ後退した挙句、とうとう窓際まで来てしまった。当然のように種ヶ島先輩も目の前にいて、距離感は変わらない。
 半ばパニック状態となった頭では、「この場から逃れたい」という事しか考えられなかった。

「もう帰ります!急いでるので!」

 やっとの事で絞り出した声は、思っていたより震えなかった。僅かに残ったプライドが、そうさせなかった。
 叫ぶや否や、突進する勢いで種ヶ島先輩の横をすり抜けようとした瞬間、素早く伸びてきた腕がそれを阻んだ。

「!」

 即座にくるりと体の向きを反対方向へと変えた瞬間、もう片方の腕が目の前を遮る。掠れた笑い声が響いて、「いけずやなぁ」と、真横で愉しそうな声がする。今の私には、それは悪魔のように感じられた。

「俺に気付く前までは、もうちょい残ろ〜とか考えとったんやろに」
「な…………!」
「嘘ついても、修さんにはバレバレやで☆」
「…………」

 __絶句。
 屈辱だった。自分の思考を突き付けられることが。こんな軽薄なノリの男の掌の上で、踊らされていたことが。
 二の句が継げない私に、「あらら、怖がらせてしもた?」と全く悪びれずに言ってのける男に、苛立ちが募る。
 今まで、気に入らない人間なんて、星の数ほどいた。その度に、私の特技を駆使して、陰ながら鬱憤を晴らし、嫌な部分を飲み込んで生きてきた。けれどこの時初めて、そんなものとは比べ物にならないくらいの激情が迸っている。

「……せやなぁ、このまんまでもええけど__」

 そうぼやいた種ヶ島先輩は、何を思ったか、こちらを覗き込むようにしながら、そのまま顔を近付けてくる。唇と唇が触れそうになった瞬間__私は目の前の整った顔面に、頭突きをかましていた。

「ぃっ……」
「つ〜〜……痛いんはこっちやで」

 痛い。私は別に石頭じゃないし、人生で頭突きをした事なんてないし。
 ただ、流石の種ヶ島先輩も、物理攻撃はちゃんと効くらしい。赤くなった額を摩っているけど、こんなちっぽけな痛みじゃ、私の溜飲は下がらない。

「いきなり現れて何なんですか!?私の理解者ぶるの辞めて貰えませんかね!!大体、この私に心理戦挑んで来るなんて、いい度胸してますよね!!いつか返り討ちにしてやりますよ!!!」

 私の得意分野で私を嵌めて、思うままに動く私はさぞ滑稽だっただろう。キスしようとして来たのも、全くもって意味不明だけど、どうせそれも私の反応を見て面白がっているだけだ。この人は、どうやら私以上に趣味が悪いみたいだし。
 でもこのままで終わる私じゃない。絶対に、絶対に、種ヶ島修二に吠え面かかせてやる。

 怒りに任せて、己の感情を全てぶちまけてやると、ほんの少しだけスッキリした気がする。初めてこんな風に叫んでしまったせいで、これだけで随分息切れしてしまった。
 肩で息をしながら種ヶ島先輩を見上げると、一瞬だけ呆気に取られたように目を見開いた後、「……ぷ、」と勢いよく吹き出した。彼の大きな笑い声が、がらんとした教室に響く。

「理解者は俺の専売特許やないんやけど……っはは、ええわ、やっぱり」

 一応私は喧嘩を売ったというのに、この反応は何だろうか。何がそんなに面白かったのか、目尻に涙さえ浮かべている。
 相変わらず私の思うようにはならないけれど、その日初めて、種ヶ島修二という人の素の部分を見つけられた気がした。怪しさや不気味さのない、子供みたいな笑顔に惹き付けられて、不思議と目が離せない。

「ほなら、これからも遊ぼな。名前ちゃん」

 そのせいだろうか。何やら不穏な事を言われた気がするのに、何を言ってやればいいのか、すぐには頭が回らなかった。
 この人は、私が恥をかかされて、腹の立つ、倒すべき相手なのに。

「…………遊んであげるのは、私の方ですから!」

 

 やっぱり今日は、私の完敗だ。






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