4月6日。
多くの人にとっては、なんの変哲もない一日かもしれない。少しの特別が幸せに繋がるような、些細な一日。
もちろん、そんな日も大切だと思う。私自身も好きだ。けれど、今日だけは違う。今日だけは、平凡な一日で終わらせたくない。
私にとって、特別な一日。……のはずなのだけれど。
「えと、あの、小湊……?」
「何?」
「聞きにくいんだけど……もしかして、何か怒ってる?」
いかにも何でもない、という風を装ってはいるものの、私には分かる。小湊はいつものように、薄い笑みを浮かべているけど、目が笑っていない、気がする。
4月6日。今日は小湊の誕生日だった。一緒に祝うのは初めてではないけど、恋人として迎える小湊の誕生日は初めてだ。だから今年は例年以上に大切な日で。細心の注意を払ってきたから、ここまで何か不手際があったという覚えはないし、小湊の嫌がるようなことも無かったと思う。
不思議に思いながらその目を見据えると、彼は逆に私から目を逸らした。
「春市と、いつの間にか随分仲良くなったな、と思って」
「えっ」
その一言で、小湊の態度の謎が解ける。
今年はとにかく気合を入れた。絶対に喜んで欲しかった。春休みという時期を利用して、二人で旅行に行くことにしたのだけど、行先や食事、そしてプレゼントで、小湊の好みから外したくなかった。もし「ハズレ」だったとしても、一緒に楽しめるということは勿論頭にあったけど、どうせなら最高に喜んで欲しかったのだ。
そんな訳で、高校時代から付き合いのある弟の春市くんを頼って、旅先を決め、プレゼントを準備し、無事に当日を迎えることが出来たのだ。
だけど、それが小湊を不安にさせてしまっていたとは思わなかった。私の行動は、独り善がりだったかもしれないと、一気に申し訳なさが募る。
「あの、こみな__」
謝ろうとした言葉は、出る寸前で音になる前に消えた。
クス、と小湊が笑っていたからだ。しかも、先程までの繕った感じはない。この感じは……まさか。
「……ワザと?」
「まあ、さすがに自分の誕生日忘れるほどボケてないからね。事情は理解してるつもり」
「やっぱり……」
「でも、妬いたのは本当」
「え」
からかわないでよ!と言うつもりが、それもまた口にする前に喉の奥に引っ込んだ。
普段あまり表には出さないから頭から抜けがちだけど、小湊は意外とヤキモチ妬きだ。前に女子会でその話をすると、「そんなの今更じゃん?」と一蹴された。どうやら周りにはあまり隠していないらしい。私が鈍いだけなのかもしれないけど。
でもまさか、春市くんもその対象に入るとは。
「ずっと考えてたんだよね」と小湊が重ねて言った。
「俺の誕生日、他の男の事なんか考えないで、俺の事だけで頭いっぱいになれ、ってさ」
「……」
世の中には、束縛を嫌う人もいるだろう。例え好きな人でも、自分の時間は自分のものでしかない、と。
そういう考えの人がいるのは当然だし、私だって束縛されたいという訳じゃない。だけど、こうして偶に独占欲を見せてくれるのは、嬉しいものだ。
「でも、春市くんだよ?小湊の弟だよ?兄弟、仲いいじゃん」
「……ついでに言うと、それも気に入らない」
「え!?それって、もしかして呼び方?いや、うん、それは……ごめん」
知り合った高校時代から、今も変わらず小湊呼び。付き合い始めた時は、流石にそれはどうなの?と自分でも思ったし、周りにも言われた。けど、慣れ親しんだ呼び名を変えるのも気恥ずかしくて、何となくそのままにしていた。
小湊の方は、自然と名前呼びに変えていた。そういう所がスマートで、少しだけ羨ましい。
とはいえ、小湊がこうして私に直接要望を言ってくることは珍しいと思う。同い年にも関わらず、いつもリードしてくれているから。
それを叶えたいと思わないはずが無く。
「じゃあ……亮介?」
「うん、それがいい」
気恥しさは伴うものの、案外すんなりとその名前を口にすることが出来た。
むしろ、それを噛み締めるように頷いた亮介を見ると、今まで呼べなかった自分に腹立たしさすら覚える。
「……こんなの、今言うつもりなんて全く無かったんだけどね」
「そうだったの?」
「言っただろ?事情は理解してるって。……ほんと、お前の事になると自分がコントロールできないよ」
「……ふふ」
溜息をついた小湊に、思わず笑いが零れる。「何笑ってんの」とお得意のチョップが降って来たけど、珍しく威力は無いに等しかった。
「だって、嬉しくて。そういうの得意な亮介が、私には弱いんだって思ったら」
「調子に乗らない」
「はいはい」
自分にも他人にも厳しい亮介にも、自分を制御しきれないことがある。それだけでも驚きだけど、そのトリガーが私自身だなんて。
それが聞けただけでも、何だか私がプレゼントを貰ってしまったような気さえする。
ダメダメ。貰いっぱなしなんて有り得ない。何より、今日の主役は亮介だ。
本当は色々と後で行う予定だったけど、恐らく全てバレているのだし、これ以上後ろに回す意味もない。
「……改めて、亮介、誕生日おめでとう!」
「ありがとう。さっきは色々言ったけどさ、こうやって手間かけて準備してくれたことも、感謝してる。嬉しいよ」
「うん、気に入って貰えたら、嬉しい」
今日は、年に一度の恋人の誕生日。
初めてのお祝いでも、そうでなくても、大切で、特別な一日。
ただ祝いの言葉を贈るだけじゃなくて、私たちの距離も、前よりもっと縮まった気がした。
__Happy Birthday.
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