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 夏の終わり、という悲しみに明け暮れる暇もなく、新チームが始動した。

 それにより、今まで先輩たちの陰に隠れていた一年生――私たちの代が次々と頭角を現し始めた。
 右のサイドスローの川上くんや、堅実なプレーで既に安定感のある白州くん、そして青道一の俊足を誇る倉持や、今や正捕手の座を固持している御幸という風に、各々着実に自分をアピールして上へ上へと食い込もうと切磋琢磨していた。
 マネージャーとしては、勿論チーム全体を応援しているけれど、それとは別に私個人としては同じ学年の仲間として、頑張ってほしいという気持ちはある。私に出来ることは限られているかもしれないけど、出来るだけ力になりたい。

 大事件が起きたのは、夏休みが明け、新学期を迎えたとある秋の日のことだった。



 朝練後、日直の仕事として朝の提出物を纏めて職員室に運んだ、その帰り。
 見覚えのある桜色の髪が、視界の前上方に見えた。それは私がこれから登る階段で。

(あ、挨拶……は絶対するにしても、いつ!?お辞儀もいるよね!それ以外は……)

 一年の間はそれほど移動教室も多くないからか、廊下でこうして先輩方とすれ違うのは稀だった。それ故に、頭は半ばパニック状態だ。
 それでも平静を装って一歩を踏み出した、その時。

「やっべー!!早く行かねぇと!!」
「どうしたんだよー!」
「まだ英語のワーク終わってないんだって!」
「うわ、それ高島先生のやつだろ?残されるぞー!」
「だからやべぇんだって!急ぐぞ!」

 そんな声と共に、目にも止まらぬ早さで男子が大勢横をすり抜けて行った。やがて彼らは階段に差し掛かり、集団で、それも数段飛ばしで登っていくけれど。

「!」

 そのうちの、何人かが階段を降りていた小湊先輩に身体が当たり、彼の身体が傾いた。
 当たった方は、大した衝撃ではなかったのか、はたまた人数がいるからぶつかった事をそもそも認識していないのか、足を止めることなく上階へと行ってしまった。

「せ、先輩……!!」

 気付けば走り出していた。私がどうにか出来る事なのかどうかなんて、考えもしなかった。小湊先輩が危ない、助けなければ、とにかくそれしか頭になかったのだ。
 ほとんど滑り込むような形で落下地点まで辿り着いた瞬間、先輩の身体が降って来て、当然受け止めきれずにひっくり返った。小湊先輩も高校球児だ。体格は私と然程変わらないけど、重みがある。ぐえ、と蛙のような声を上げてしまい、消え去りたい気分になった。先輩に聞かれていないことを祈るしかない。
 それをそれとして、何とか間に合ったことにほっとしていると、小湊先輩が身体を起こし、私に向き直る。眉間に皺が寄っているのは気のせいだろうか。

「……何やってんの?」

 気のせいじゃない。全く。
 確実に眉間に深い皺が刻まれているし、もっと言うと何故か私にその矛先が向いているような。

「えと、先輩が危なそうだったのでどうにかクッションにでも、と……」
「なんで」
「なんで?ええっと……私はマネージャーですし……皆さんに怪我をさせる訳に、ぃだっっ……」

 何故私が詰められているのか分からないまま、小湊先輩の問いに答えるも、途中で降り降ろされた手刀によって、最後まで続けることはかなわなかった。グラウンドでは、倉持がよくくらっているのを目にするけれど、ここまで痛いなんて思わなかった。
 文字通り頭を抱えながら痛みに悶えていると、小湊先輩は更に追い打ちを掛ける。

「馬鹿なの?いや、馬鹿なんだね、お前は。高村、だったよね。知らなかったよ、お前がこんなに馬鹿だったなんて」
「ば、馬鹿って言い過ぎでは……」
「煩い馬鹿」
「すみません!」

 いい事ではないのだろうけど、色々な人に馬鹿と言われてしまうため、自分はどこか抜けているところがあるのだろうなと自覚だけは出来ている。いや、一学期の出来事を通してそれを改善したいとも思っているけれど、どれが駄目なのか、自分ではあまり分からないのだ。いつも、怒られてしまってから、気付くことになってしまう。今も、どうしてこのような状況になったのか、理解している訳ではない。
 呆れたように溜息をついた小湊先輩は、「あのさ」と先程より少し落ち着いた声音で言った。

「マネージャーとか選手とか関係ないから。お前は女の子だろ?落ちて来たのが俺じゃなかったら……増子とか丹波だったら、潰されてたんだけど。分かってる?」
「…………」
「俺のことで後輩の女子に怪我させたら、自分がどうにかなるより余計気になるよ」
「はい、本当にすみません……」

 小湊先輩も、素敵な人だ。そんなことは以前から分かっていることだけど、これは少し意味合いが違う。私の『馬鹿』に気付いて、ちゃんと叱ってくれる人。
 私がどうにかなった時に小湊先輩がどう思うかまで気が回らなかった、と項垂れていると先輩が薄く笑うのが聞こえた。先に立ち上がり、手を貸してくれる。

「……でも、今回はその馬鹿さに助けられた訳だしね。ありがとう。助かった」
「えっいやそんな……!!私の方こそお礼を言いたいくらいです!」
「は?なんで高村が言う訳?……大丈夫?本当に怪我は無いの?」
「はい!平気ですよ」
「……ならいいけど」

 小湊先輩は納得してなさそうだけど、特に体に異常はなかった。ひっくり返った時に背中を廊下に打ち付けた為、痛いというか痺れてはいるものの、それも時間の問題だろう。
 手を貸してもらった事にお礼を言いつつ、全身についた埃を払っていると、「高村」と呼ばれた。

「この後職員室行くけど、お前も来る?」
「え?何か用事でもあるんですか?」
「まあ俺の用事もあるけど。それより、さっきの馬鹿どものこと、先生たちに報告しに。あいつ等、確か朝練してたバスケ部の連中だったはず」
「ああ!そうですね、危ないですし」
「正面から通行人にぶつかるとか、練習不足もいいとこだよね」

 すらすらと毒を吐く小湊先輩の顔には、真っ黒な笑みが浮かんでいる。これは、私に向けていたのとはまた違う、怒りのオーラだ。
 これはこれで怖い、とその笑顔を見ながらようやく__

(小湊先輩と……話してる……!?)

 __私は、事の重大さに気が付いたのだった。



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