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チキチキチキ……
(…またか。)
何がしたいんだ、この女は。
俺がソレに気付いたのは、6月の終わりごろ。席替えで彼女の隣の席になって暫く経った日のことだった。
その日は国語の自習で、漢字のプリントが渡されていたものの、正直暇だった。
暇だったのは俺だけじゃないらしく、隣の苗字もボーっとしていたかと思うと、突然筆箱を漁りはじめた。そうして取り出した物、それはカッターだった。
(……何に使うつもりなんだ?)
チキチキとカッター特有の音を立てながら、刃が姿を現す。
そして彼女はじっと刃を見つめると、そっと自分の腕の背にあてがった。
日に焼けていないソレには、赤く細い一筋の傷。その横に刃を立て、スゥっと手前に引く。
綺麗だ、と思ってしまった。
白く細い彼女の腕に、血が浮かぶことは無く、ただ赤い傷が付いただけだった。
「苗字、お前、何がしたいんだ」
「あぁ、コレ?うん、なんと言うかさ、」
俺が問いかけると、彼女はさして気にもせず、淡々と答える。
初めて見たときは1・2本だった傷も、今はおおよそ30本に増えている。
「お前は死にたいのか?」
そんなに軽々しく問うべきではないと思いながらも、やはり気になってしまう。
彼女は気にする様子も無く、淡く笑んで傷を見つめる。
「生まれてこなかったなら、それはそれでいいと思う。でも、生まれてきて、友達も出来て楽しみも知ってしまった。それで死にたいとは思わないよ。」
「なら、」
何故、と言う言葉を言う前に、刃をしまうチキチキという音に遮られてしまった。
「よく聞くみたいに、痛みを感じることで生きていることを実感する、とかそんなんじゃない」
「なら何でそんなことするんだ?」
「ただ何となく、切ったらどうなるのかなーって思っただけ。どうしていいか分からなかったから……だから、切ってみただけ」
どうしていいか分からないのは俺のほうだ、なんて言ったら、それこそどうなるか分からない。
彼女が傷を付けるのは腕の背のほうで、普通、一般的にリストカットと言うと腹の方にするのではないのか。そんな俺の疑問に、彼女は笑って、目立つから、と答えた。
「自分でどうしていいか分からなかったから、他人に気付いてもらいたかった。誰でもいいから、親でも、先生でも、友達でも。
………でも、」
目を伏せて薄く笑んだ彼女の目尻に、薄っすらと水滴が光る。
不覚にも、俺はまた綺麗だと、思ってしまった。
太陽に照らされた彼女の見慣れた筈の横顔に、どきんと胸が高鳴り、熱が顔に集まるのが分かる。
「でも、やっぱり、日吉くんには気付いて欲しかった……っ」
目を瞑ると同時に、瞳からは雫がこぼれる。
普段は欠片も窺えない彼女の儚げな姿に、俺はどうしようもなく泣きたくなった。
優しく思い切り抱きしめて、粉々に壊してしまいたい。
矛盾している。自分でもよく分からない、熱く煮えたぎった想いが躯を支配する。
「俺は、なにもできないのか?」
「、え」
「お前の傷に気付いた俺に、なにか…」
なにか、とにかくなにかできることは…。
俺がずっと気になっていたのは、腕の傷なんかじゃなく、その壊れてしまいそうな横顔だった。
「苗字、俺はお前が好きだ」
「日吉、くん…」
「その想いも横顔も、全部俺にくれ」
「……うん」
こちらを向いて笑った彼女の顔は、今までその横顔を照らしてきた太陽なんかよりもずっと眩しくて、俺はつい目を逸らせてしまった。
SOSライン
(やはり俺は、横顔のほうがすきかもしれない。)
2007.07.20