どうかどうか、幸せの確信を | ナノ


私の父親は、私が6歳の頃に女を作って家を出て行った。おおらかで優しかった父が。私は信じられなかった。でも母が、毎晩私が寝た後にこっそり泣いているのを知って、事実なんだと実感せざるを得なかった。姉妹のいない私は、母と二人きりで生きてきた。片親だからと馬鹿にされないように、母は私に何の不自由もなく育ててくれた。そんな母も、ガンで死んだ。脳の彼方此方にまで転移していた、所謂末期ガンというやつだ。学生の私に膨大な学費を払える訳もなく、私は親戚の家に引き取られた。義務教育ではない大学の授業料は馬鹿にならない。伯父さんたちは気にするなと言ってくれたけど、そんなわけにはいかなかった。少しでも学費の足しになればと続けていたバイトの帰り道、私は信号無視で突っ込んできたトラックに跳ねられた。気付いたら、あの村で医者をしていたおじいさんとおばあさんに助けられていた。どうやら150年も昔に遡ってしまったらしい。俄かには信じがたいことだが、生活するうちに事実なのだと実感していった。それからは、おじいさんたちのもとで手伝いをしながら暮らした。一月くらい経った頃、村の人たちは一揆を起こすと言い出した。おじいさんは私に笑顔で「皆が怪我をしたら誰が治療するんだい。傷薬がたくさんいるだろうから、隣の村まで行って薬草を摘んできてくれないか」とお使いを頼んだ。夕方私が帰って来る頃には、村は既に焼け野原だった。

新選組の屯所に連れられて行く途中、私は自分について話した。我ながら散々な過去だと思う。勿論、私が150年も未来から来たということは伏せておく。トラックに跳ねられた衝撃で時代すら越えてしまうものなのかと思うが、越えてしまったものは仕方がない。「バイト」も「出稼ぎ」くらいに置き換えて話す。



「そうか…。お前も大変だったんだな」



またあの大きくて優しい手が、私の頭をくしゃりと撫でる。そのまま少し悲しそうに微笑んだ。



「……ごめんな、」

「え…?」



一瞬だった。頭を撫でていた手が、素早く私の首の後ろを突いた。鈍い痛みを感じたときには、もう意識はほとんどなかった。


首に重い痛みを感じて目が覚めた。朝日が目にしみる。そうか、私はあのときに気絶させられたのか…。ということは、此処は新選組の屯所のどこかなのだろう。身体を捻ってみるが、身動きがとれない。手足を縛られているようで、口にも猿轡がはめられていた。無理な体制で寝ていたからか、身体が痛い。すると、小さく足音が聞こえてきた。その足音は部屋の前で止まり、襖が開けられる。



「やぁ、目が覚めたかい」



現れたのは、優しそうな風貌な男だった。その人は井上さんと言うらしい。おそらく六番組組長の井上源三郎だろう。井上さんは、足の縄と猿轡を外してくれた。



「すまないねえ、綺麗なお嬢さんを縄で縛るなんて」

「いえ…。解いてよかったんですか?」

「ああ、原田くんに解いてやってくれと言われてね」

「原田…さん」

「君を此処に連れて来た男だよ」



私の処遇について、幹部の人たちで話し合っているらしい。話を聞くために井上さんは私を広間へと連れて行く途中で、少し隊士について話してくれた。昨日私を此処に連れてきた人たちは、原田さんと藤堂さんだそうだ。藤堂さんは最年少幹部らしい。見た限り私と歳も近かった。

井上さんに案内された部屋では、新撰組の幹部が私を待っていた。中には原田さんと藤堂さんもいる。



「おい女、此処に座れ」



髪の長く綺麗な人が、眉根に皺を寄せながら自分の前に座るように促す。この人があの有名な鬼副長の土方さんなんだろう。私は大人しく土方さんの前に腰を下ろした。



「名は?」

「高倉みなとです」

「お前は昨日、うちの隊士に殺されそうになったというのは本当か」

「…そうですね、刀を振り下ろされました」

「その隊士はどんな風貌をしていた?」

「髪は白く、瞳は赤でした。…血を寄こせ、と」



それを聞いて、土方さんは溜息を吐く。隣にいた近藤さんも苦笑いを零す。私の後ろに座っていた沖田さんと思わしき人が、面白そうにくすくすと笑った。



「あーあ、その子、完全に見ちゃってるじゃないですか。殺しちゃいましょうよ」

「総司、お前はちょっと黙ってろ。……お前、ほかに何か隠してるだろ。言え」



土方さんは沖田さんを嗜めるように言ったあと、鋭く目を細めた。有無を言わせない圧力に、私は一瞬息を詰らせる。…やはり隠してはおけないようだ。



「信じられない話かもしれません。正直、私自身も嘘だと思いたい。でも起きてしまったからからには信じるしかありません」

「御託はいい。何を隠してる?」

「…単刀直入に言います。私は150年後の未来からきました」

「…お前は殺されたいのか」



幹部の人たちは皆一様に目を見開いて私を見た。こいつ何言ってるんだ、そんな目で。私だって自分で言ってて馬鹿みたいな話だと思う。そんな中、山南さんだけはにこやかな笑顔を崩さない。



「面白いことをいいますね。なにか証拠になるものはあるんですか?」

「…京都河原町に枡屋さんがありますよね」

「そうですね」

「枡屋喜右衛門が古高俊太郎という攘夷派の志士だということはご存知ですか?」

「…ほう、それは未来では誰もが知っている既知の情報であると?」

「少なくとも調べようと思えば誰でもわかる内容です」

「この様子でしたら、他にも外部に漏れては困る情報をお持ちかも知れませんね、土方君?」



山南さんは相変わらず微笑を貼り付けている。そんな山南さんに話を振られ、土方さんは更に眉間の皺を増やした。苦々しそうに口を開く。



「……他にも何か知っているのか」

「豊玉発句集」

「っ、お前…!」

「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」

「分かった、もう分かった。お前が未来から来たというのは信じよう」

「ありがとうございます」



豊玉発句集の威力は絶大だった。梅は梅って…。私でもそのセンスはないと思う。これ以上句を読み上げない為にも、土方さんは私を信じると言ってくれた。



「確かに機密を漏らされても困るしなぁ」

「未来の知識を持っているなら殺してしまうのは惜しいですね。是非話を聞かせていただきたい」

「仕方ねえ、人手も足りないし、女中としてなら置いてやらんこともない。…お前、家族はいるのか」



家族…。私は原田さんと藤堂さんに話したことをそのまま話した。今度は未来のことも隠さずに。

殺されなくても、このまま追い出されても行くところなんてない。それなら女中でもなんでも此処に置いて欲しかった。私は頭を下げる。



「私には行くところも頼れる人もありません。仕事はきちんとこなします。だから此処に置いてください」

「高倉君、頭を上げてくれ。…辛い話をさせてしまって悪かったね。君はこれから此処で暮らすといい。いいだろう、トシ?」

「アンタが決めたなら何も言わねえよ」

「やったな、みなと!」



それまでずっと黙っていた藤堂さんが弾かれたように私に飛びついた。その表情は本気で私の身を案じていてくれていたようで、心が温かくなる。新選組は人斬り集団なんて言われているけれど、怖い人ばかりではないと思う。土方さんだって言い方は怖いけれど、本当は優しい人なんだろう。何より、原田さんの手はとても温かかった。たくさんの人を殺してきた手が、あんなに優しいだなんて。



「俺、藤堂平助。みなとっていくつ?」

「19だけど…」

「俺と同い年じゃん!みんな平助って呼ぶし、みなともそう呼んでくれよ!」

「うん…ありがと、平助」



平助だけじゃなくて、此処にいる皆に感謝しなくちゃいけない。胸に空気を吸い込み、私は精一杯微笑んだ。




ここは思っていたよりあたたかいようです
(生きてみたいと思った)(ここが私の居場所になりますように)


20101203
title:meg


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