向けられていたカメラやマイクが下されて、ふっと一歩前の少女が小さく息をつく。張り詰めていた空気が滲むように緩んで、知らずこもっていた肩の力を抜く。半袖を着るにはまだ少し早いが、全身を覆うこの衣装ではじわりと汗が滲む季節になった。
 少女が腰掛ける車椅子のハンドルを握る。自動で走行できるそれは本来介添は必要ないのだが、自分が側にいるときはこうすることが暗黙のルールのようになっていた。
「お疲れでしょう、部屋に戻りますか」
「いえ、少し中庭に。せっかくの天気なので」
 少女の言葉に、車椅子の向きを修正する。騒がしさを取り戻した周囲を通り抜けて中庭まで辿りついたところで、「人払いを」と、短く命じられた。一礼をして足早に去っていく人々を見送り、少女と二人きり、やわらかな陽の射す庭に残される。
 車椅子に添えた手に、少女の手が重ねられた。最近まで目の見えなかった少女は今でもこうして、他人に触れることが多い。少女が触れやすいようにと正面に動いて、改めて手を握る。布越しにじわりと体温が移り出した頃、少女が口を開いた。
「……少し、話を聞いてくださいますか、『ゼロ』」







 まだ呼ばれなれない名に、少し反応が遅れた。首肯の意を示すため、一つ頷く。
「私の兄は、ひどい人でした」
 少女は一瞬張りつめた目をして、すぐに誤魔化す様に微笑んだ。
「沢山の嘘をついて、沢山の人を騙して。私にだけは嘘をつかないとおっしゃっていたのも嘘。兄は目的の為なら、罪のない人たちも大勢殺めました。もしかしたら、この世界が憎くて、すべてを壊してしまいたかったのかもしれません」
「それは、……」
 とっさに口を開いて、けれど吐き出す言葉が見つからず、口をつむぐ。
「この世界は、兄にとっては決して優しい世界ではなかったのだと思います。それでも、兄にはたった一人、裏切っても裏切られても、ずっと共に在るような。少なくとも、側で見ていた私はそう感じる様な友人がいました」
 少女はくすりと小さく笑みをこぼす。
「彼は、優しくて、頑固で、強い人でした。……私にとっても、もう一人の兄の様な方でした。その彼も、先の争いで命を落としました」
 握った手を少しだけ、強く握り返される。記憶を辿る様に目を閉じた少女の、紫水晶の瞳が見えなくなったことに少しだけ安堵した。あまりにもそっくりな色をしているそれは、時に容赦なく自分の内側をざらりと撫でる。
 そのまましばらく、どちらも口を開かないまま時間が過ぎた。時折遠くから聞こえる人の声は、どこまでも他人事だ。
 彼女は、後悔をしているのだろうか。凪いだ表情からは伺うことができない。あの日から、少女が生々しい感情を表に出すことは、格段に減ったと今更ながらに気付く。
「……私は、私にとって」
 硝子の様な硬さを持った響きで、それでも確かなあたたかさを含んで、彼女は続ける。
「私が、兄と彼と過ごした日々は、あの優しかった時間は。何よりかけがえのない宝物です。だからこそ『ゼロ』、私は貴方を一生許すことは出来ません。あの日、兄に殺されていたかもしれない私を救って下さったのは貴方です。それでも、兄を殺めたのは貴方であるという事実は変えられないのです。世界にとって貴方は救世主なのかもしれません。けれど、貴方も、私も。兄と同じ人殺しです」
 握った手がわずかに強張るが、少女の表情は変わらないまま。
 あまりに優し過ぎるのだ、この少女も、その兄も。優し過ぎるからこそ、自身の罪からも、自分への罰からも逃げられない。
「『ゼロ』。人殺しの私に。貴方を許せない私に。これから先もついてきてくれますか」

 滲んだ瞳、震える声。それでも、少女は鮮やかに笑ってみせた。







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